アジアの真実 | サファイアのブログ

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スピリットの成長と日々の変化を日記にしていきます。
                       進化する魂

昨日は広島原爆の慰霊祭でした

いつもお邪魔するブログの"玄のりも農園"から昨年もうなくなられていますが

平和運動にかかわった人手さえ存在を知らない彼の作品の一部を書いていきます


                戦争案内より(高岩仁監督)


日本が、海外に本格的に進出し始めるのは、明治維新以降ですが

そのきっかけを造った中心人物が(伊藤博文」です


彼は、ヨーロッパ視察旅行から帰ってきてから全国に遊説し、日本の経済発展のためには戦争をして中国、朝鮮、東南アジアを植民地にし、


資源と労働力と独占的な市場を獲得しなければいけないと唱えました




伊藤博文の存在は、彼がもともと貿易業を営んでいた商人であったという事実から

政治と経済との癒着の道を開き、日本の資本主義社会の土台を築きたいという


点で見逃せません



日本の財閥の始まりである三井(物産)グループを育て

富国強兵路線に日本を導いたのです



そして、その方針どうりに日本は、明治維新後、着々と軍備を増強して1894年の日清戦争以来

1904年日露戦争、

1914年第一次世界大戦と


10年沖に戦争をしています



そして、その戦争のたび「台湾、朝鮮、満州)と次々に植民地を獲得し

それをバネに経済成長をしていきます


その事実から明治以降の日本の海外政策が基本的に



財閥の意図の下に動いていることがわかります



それどころか、実際には資本家たちが軍と屈託して背後で暗躍していたのです



当時の最大財閥である三井物産の企業活動と軍部との関係を示す

良い例があります



日露戦争後、日本が"満州を獲得して

三井物産が大きく業績を発展させた一つの部門は、「大豆」でした



満州は世界的な大豆の産地だったのです



それをほとんど三井物産が独占的に買占め

その油から、マーガリンを作ってヨーロッパ諸国に輸出し



油粕は、国内で肥料として売る事で大いに儲かっていました




1920年になると三井の大豆の取引高が伸び悩むようになりました


それは、満州の軍閥張作兆が、大豆の買い付けに手を出し始めたからです




そのうえ、張 は、日本が植民地支配の動脈のように利用していた


満州鉄道に平行した独自の鉄道を計画して着工し始めていた




その鉄道工事が始まったその直後の1928年、

張は、関東軍によって,列車ごと爆殺されました



翌年の1929年、の三井物産の大豆の取扱高は

倍近くに跳ね上がっていました



      つづく