ブログを書くのが好きだったのに、長々書いていると飽きてしまって記事が書けませんでした。


娘は三日間の入院で、退院後は薬の量が増えたおかげか落ち着いています。恐らく睡眠不足が良くなかったと生活リズムを見直して、21:30には眠るようになりました。(眠くなる薬を夕食後に飲むようになった。以前は寝る直前だったタラー


ここからは私のことになりますが、5月はメンタルの調子がすごーーーーーーーーーく悪くてTwitterで色々やらかし最悪の記憶しかないという始末。3月に生理が止まって原因の薬をやめたら史上最低に落ちて、復活したのが4月下旬。一瞬すごく良くなったものの、また若干落ちた感じです。通院でその復活した薬を2錠に増やしてやっと可も不可もなく……な今。生理が止まるかもな問題は保留でとりあえず現状維持。


こうやって薬にメンタルが振り回される状態を客観視すると、私って本当におかしいんだな…病気なんだな…と自覚してなんとも言えない気持ちになります。うつ病を言い訳にしたくないけど、実際うつ病のせいでおかしな言動を取ってしまう。それでTwitterの交流めちゃくちゃになりました。最悪です。終わりです。趣味で繋がって楽しかったのに自分でめちゃくちゃにしました。うつ病のせいで、でも理解はされない。普通に人には分からない、それはそう。ただ悲しい。



6月はTwitterから離れ、ひたすら月末のイベントの準備をしてきました。イベントというのはいわゆるコミケの亜種で、推しカプのオンリーイベントのことです。👈なんのこっちゃ


私は小説を書いており、Twitterや某所に出して見てもらっています。その、今まで出したお話をまとめた再録本と、まるまる話を書き下ろした本の2種を、そのイベントで売る予定で準備してきました。


私は優秀なので、再録本の方の書き下ろし短編は12月には書き終えています。未来の自分を信用していない&不安症だから早めに書いていました。実際一時期小説が上手く書けなくて悩みました。もうひとつの書き下ろしは薬で調子が良かった4月下旬に書き上げて、余裕でした。無料で配布する栞や名刺を作っていました。2冊とも表紙を絵師さんに依頼しており、装丁はその仕上がり待ちでした。


子供が入院することになり、付き添いしています。


5月5日昼、昼食を食べようとしたところ、急に痙攣を起こしました。別の部屋にいた私は夫に呼ばれる。娘が痙攣している。横になるようにして、夫は動画撮影。時間は2分から3分。呼びかけると目は開ける。救急車を呼んだ。


実は4月17日午後、学校で痙攣を起こして倒れたばかりだった。今までこういう発作はなかったので動揺した。その後脳波検査をし、その結果を主治医に見えもらったところ、はっきり診断はつかないがてんかんの疑いはあるという答えだった。一回で落ち着く場合もあるので薬はどうするかと問われたが、飲んでいた方が安心なので服用開始。朝夕だけど一週間は副作用の様子見で夜だけど言われていた。ちょうど一週間後が5月5日だった。つまり夜しか飲んでいない状態。


その量がとても少ないらしく、もう少し増やした方がいいので連休明けに受診できるようにして主治医と相談することで帰宅。


そして22時すぎ、また痙攣。状態は似た感じ。痙攣って見たことあります?結構がくがくで目は上向いてるし明らかに異常で怖いんですよ。それでまた救急車。一日に二度ということで入院して経過観察を勧められた。


昼間は夫がなんかモゴモゴしていて(いつもそうなんだけど)(でかい口たたくくせにモゴモゴするからイライラする)(滑舌が悪い)それに対するイライラと、義母にてんかん持ちの妹の話を聞いて東京の病院に通っているらしくそこの薬を飲むようになったら一年発作が起きていないから子供も通わせる手もあるとか言われて、


私は正直今でいっぱいいっぱいで、自分と娘のことであっぷあっぷしているから東京まで通院なんて無理!で激おこしてしまった。私がどれだけ力を振り絞って仕事行ってるかの理解はないし、でも東京いってるじゃんとか言いやがるしそれだって不安がありつつ行ってるわけでなら行かなきゃいいじゃんとかムカつくこと言いやがるので口論になった。👈これが娘のストレスになったのでは?と思っている……申し訳ない


休日明けの明日、主治医もいるらしいので薬の相談して増やして様子見と言われているけどなるべく早く帰りたい、娘が帰る帰る言うのと暇を持て余している。ここにいた方が安心ではあるけど個室代もキツイ。そういう不安と、娘が今後大丈夫なのかという不安でかなりしんどい。薬が効けば抑えられるみたいだけど、また発作となると心配でメンタル削られる。毎回救急車呼ぶの? どうなんですか。なにより7月と8月が夫の長期出張で私ワンオペなんですよ。暑いと体調崩すし、ワンオペでてんかんの心配と対応、かなり不安ですえーん

卒業式の朝、雪が降っていた。住んでいる地域は滅多に降雪しない。よりによって三月のなぜこの日に??( ∵)…?

寒い予想はしていなかったので、制服の中に着られるようなカーディガンはない。かろうじて靴下はニーハイにしておいて良かった。


駐車場の校庭の土がどろどろで、歩くうちに靴がとても汚れた。テンション下がる。昇降口で受付を済ませる前に、娘はさっさと教室へ行ってしまう。はやいよ。担任がいたので軽く挨拶して、保護者の待合室で高等部の卒業式が終わるのを待つ。


卒業式は中学部と合同だった。体育館の中央に演説台があって、保護者は校長の後ろから我が子を見る感じ。端を陣取ったので上手いこと見られたけど、席によっては全然見えないんじゃないかなぁ🤔舞台にのぼれない子もいるからこの形なんだろうけども〜。色んな子がいる中で娘は上手に卒業証書を受け取ることができていた。


式が終わったら教室へ。途中、廊下に在校生が「おめでとう」のポスターを持って見送ってくれた。娘も去年まではこうしていたのかなぁ…と思いを馳せた。


教室で、六年間の思い出をまとめた映像を見せてもらった。今は学校で写真を撮ってくれて(地域の学校はどうか知らんけど)、懇談の時にも見せてもらえるんだけど、様子がわかって助かりますな〜にっこり 


スクリーンで上映してくれるんだけど、こういうのは少人数の支援学校だからできることだよなぁと思う。支援学校は一人に対して先生がちゃんと見てくれるから、全然悪いところじゃないよ! と迷っている年長さんの保護者にすすめたい。地域の学校じゃなくて良かったと何度も思った。


入学時は六年間で平仮名を読めるようになって欲しい、それが目標で望みだった。でも難しいだろうな、と当時の娘の様子で諦めていた。


娘は平仮名の読み書きをマスターし、片仮名も覚えて今は簡単な漢字の書き取りに挑戦している。足し算もできるようになった。(5+2だったら、指を2本使い、5、6、7、と数える)


落ち着いて静かに椅子に座って待てるようにもなり、この学校の先生たちの力がなかったら、この成長はなかったと思う。大感謝。


今の担任には二年間お世話になった。ベテランのいい先生だった。副担任は高等部から来た先生で、こちらもベテランのハツラツとした生徒思いの方で恵まれたな〜と思う。最後に子供達から担任と副担任にお花を渡したら、二人とも泣いておられたよ……。こういう障害を持つ子供と真剣に関わってもらえて、本当にありがたいと思う。世の中は嫌がる人の方が多いから。


寂しいなぁ。




帰りは!ショッピングモールの中にあるスリコでぬい服を買いに走り、デニーズで卒業おめでとう!ごはんをたべた。入学式まで一ヶ月は毎日放デイのお世話になる。苦手なお弁当だワンワン!書類も片付けねばならない。