生命の重さ | ☆サンフランシスコ☆ ライフ&ワーク

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夢は大きく。人生山あり、谷あり。毎日楽しく。日々前進。
そんな私の北カリフォルニア生活。

うちの祖母が昨年の12月に入院してからかれこれ丸半年が経ちました。

この間、その病院でびっくりすることがありました。

母が祖母のお見舞いにいくと、相部屋の入院患者のおばあさんに

うちの祖母のことをそうやって生きてるだけで

政府の予算の無駄遣いだって言われたそうです。

私、それを聞いたときに

もう目が点になってしまいました。

確かにうちの祖母、痴呆症で言葉も満足じゃないです。

体もチューブでつながれて

しかもそのチューブをいやがって手で取ろうとするから

手はベッドに縛り付けられてほんとうにかわいそうです。

けど、まだ意識もあるし立派に生きてます。

人の寿命がいつ終わるかなんて誰にもわかりません。

家族だって早く安らかに逝ってほしい思ったりするのです。

でもまだ生命のある人間の前で

いくら痴呆症で理解することができなかったとしても

そんなこと言っていいのでしょうか?

祖母は風をこじらせて半年前に入院するまでは

元気に歩いたり、デイケアーセンターに通ったりしてました。

今じゃあ本当にいたたまれない姿になってしまって

たしかに生きてる意味を見いだせない姿かもしれません。

そんな姿を見ている家族だって

つらいのです。

それでもその発言は

今まで96年の人生を

まじめに生きて来た方に対しては

あまりに理不尽で、

人としての尊厳を尊重するかけらもない言葉です。

祖母の今までの96年間の人生。

いろいろと大変だったと思います。

戦争で旦那さんを20代の若さでなくして

それから再婚することもなく

女手一人で働きながら

誰のお世話になることもなく

立派に子供を育てて

老後そのような姿になったからといって

政府のお金の無駄遣いなのでしょうか?

今までまじめに生きて来て

しっかり税金も払ってきて

今の入院費だって

彼女の貯金で全部まかなっているのに。

その発言をされた方も、もう80代に近いとききました。

その方も人生の終盤を迎えてるのに

そんな発言しかできないなんて。

そんな見方しかできない人生って悲しいなあ。

誰だって、ぱっと潔く

医療のお世話にも

家族のお世話にもならずに

ある日、ささっと今世をさることができたらどんに楽でしょう。

けどそうもいかないのが人生で。

人生の最後をどう迎えるかなんて誰にもわからない。

少なくてもそういう悲しい大人(もうすでにかなり大人だけど)

にだけは絶対にはならないように。

私の祖母がしてきたように

自分の人生は、全部自分が責任をもって

最後まで人生を謳歌しようと思います。