この世の中に
こんなにも寂しいこと
ってあったんだ…
これ以上なんてないだろうな…

と毎日思う。


娘の写真を見ては
切ない気持ちがこみあげて
ため息を吐きながら
毎回同じことを思う。



パーセントで言えば
とっくに100%を振り切って
ずっとその針は壊れっぱなしな感じ。


ただひたすら寂しくてたまらない。


いつも側にいたはずの
愛するかわいい我が子が
ある日から急に
会えなくなるって

想像しただけでも苦しかったのに
現実に起こってしまって…

未だに夢のようだし
いないことが信じられない。


次男が生まれて
一般的には
喜ばしいことだと思うし
その存在に救われているのだけど…

だからといって
娘の不在の事実が変わるわけでなく。


授かること自体も奇跡だし
自分も含め周りの命そのものにも
いつも感謝もしているけど

寂しいという気持ちは
どうやったって埋まらない。
穴が大きすぎて
もはや修復することはできず
ずっとそのまま。


なんで私は
子供が2人から3人に増えて
さらに賑やかに暮らしていくという
人生じゃなかったのか…

なんで
次男が生まれた喜びと
娘のいない悲しみの
両極端を常に味わいながら
生きることになってしまったのか…


その意味は全くわからない。


…けど
我が子をなくすと
こういう気持ちになるんだと
身をもって思い知った。

そんなこと
全くもって知りたくなかったけど、、
でも知ることになった。



思えば
長男がいてくれて
さらに娘が生まれてからの6年
私はとてつもなく幸せだった。


妊娠中もトラブルしらずで
ひたすら幸せな気持ちに満ちていて。

そのハッピーな状態が心地よくて
それを味わいたいがために
また妊娠したいと思えるくらいだった。


生まれてから成長の過程でも
ずっとかわいくてたまらなくて
この可愛さはいつまで続くんだろう、
こんな気持ちを味わえて
その幸せにいつも感謝していた。


愛情がどんどん湧いてきて
親の子に対する想いは
無限なんだなって思ってた。



つまり娘が生きていたときは
幸せが100%を超えていた。

毎日その針が振り切れるくらいに
満たされて幸せな時間だった。


私は娘をとおして
その両極端な気持ちを
最大限に味わってるんだなと思う。


普通に何事もない人生だと
気持ちの容量的には一定で
それ以上もそれ以下も
ないかもしれないけど。


私が感じた気持ちは
振り幅の大きさでいえば
それはそれはものすごくて。


幸せと寂しさは
プラスとマイナスで
相殺されるんじゃなくて

そのとき感じる気持ちは
どちらも同じく大切で
心の容量を広げることに
繋がってるんだろうなって。



娘が旅立つことは
ただ悲しいつらいだけじゃなく

なにか他にも意味があるとするなら

私の頭の理解を超えたところで
そういう理由があるのかもなって。



頭にふっとわいてくるというか
そういうことだよって
教えられてるような気になる。

これが今の私の気づき。


寂しい気持ちとともに
どうにかその日その日を
過ごさないとだね。

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