楽日前日のレイトショーにもかかわらず、補助席が出るほどの盛況ぶりに、とても嬉しくなった。
ツイッターにて、ネタバレ無しの感想を一言だけ書いたのだが、こちらではネタバレありで、もう少しだけ書く。
前半、弟の勤める会社の上司や、ドキュメンタリー監督など、ステロに嫌なキャラクター達の描写にげんなりしながらも、独り×3が『3人』となり、その各々の『生命』を生き始めたところまでは、決して悪くはなかった。が、マリンを追っかけるドキュメンタリーチームがガッツリ絡み始める後半から、おれの心は映画から離れていった。
まず、過去に知的障害者の兄が犯したという罪の謝罪に3人で向かうというくだり。
10年苦しみ続けてきたという被害者の父親が、ドキュメンタリーのカメラが回る前で、果たしてあのような謝罪の場を受け入れるのか?
10年経ってもあの憎悪(ナイフを用意し、実際に刺してしまうほどの)なら、もっと前に復讐しようとしていなければ、あの父親のキャラクターは、やはり破綻しているとしか思えない。
もっとあり得ないのは、それほどの心の傷を負っている筈の娘が、兄弟の前に現れるというところ。
どう解釈しても、あのくだりは人間の行動として、一貫性が無いように思う。
勿論、人間が常に整合性のとれた行動をとる訳ではないということは十分承知している。しかし、そういった場面であろうと、映画のキャラクターの行動には、何かしら説得力が必要であり、それは理屈や言葉などではなく、映画の腕力みたいなものだと思う。
さらに、兄が行方不明になった後、弟とマリンが、撮影テープを取り戻しに行くというくだり。
ここで、散々クソヤローに描かれていたドキュメンタリーの監督が、更にクソヤローになってしまう。
『ヤラセはダメだ』と150万もギャラを払ってまで撮影したテープを、『ちゃんと金は返せよな』とすんなり2人に渡してしまう。
この瞬間、『傑作を撮る為なら、どんな汚いこともやる』という、それまで提示してきた筈のクソヤロー唯一の矜持もあっけなく捨て去られ、主人公達は何の障害も無く、目的を果たしてしまう。
じゃあ一体、これまでのくだりは何だったんだろうということになる。
しかし、これ以上に納得出来ないのは、知的障害者の描写である。
愛情表現の分別がつかず、至る所に好きな絵を描いてしまうという知的障害者が、弟とマリンの情事を悟り、家を出て、独りアイランドに向け船を漕ぎだす?
これはとてもご都合主義な知的障害者の造形であるとしか思えない。
この映画の製作に際して、どのくらいリサーチされたのかは分からないが、劇中で語られる『兄のせいで犠牲になる』という、どこまでも他者が障害者を見る眼差しを表したセリフに、全てが集約されているように思う。
障害のある方と生活をするということ。
家族であるということ。
それは有無を言わせない、圧倒的な現実。
大変なことではあるが、不幸ではない。
与えてもらうものの大きさを、どれほど知っているというのか?
障害者を映画に登場させるということは、本当に難しいことだと思う。
映画は『ここで、いいんだ』という、当然の結末に帰結するが、それは本当に救いなのか?
『ここしかない』場所で懸命に生きている『生命』を取り巻く環境は、本当に厳しい。
ロストパラダイス・イン・トーキョー
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