広島だけではなく、なぜ長崎にも原爆が落とされたのか?
二つ理由が考えられます。
広島で使ったガンバレル型とは違うインプルージョン型原爆の威力を試したかった。
広島型原爆(リトルボーイ)は爆弾内が筒状になっていて弾尾に仕掛けた爆薬で核物質を圧縮し爆発させます。これをガンバレル型といいます。分かりやすい構造ですが濃度90%以上の高濃縮ウラン以外使用できず、かつ小型化ができない、完全な安全装置が作れないなどの問題点がありました。米国も早い段階で量産をあきらめています。ただ、確実に爆発するので、最初の核爆弾に選んだのではないでしょうか。
長崎型原爆(ファットマン)は核物質を通常火薬で取り囲んで一斉に爆発させて爆縮核反応を起こさせようというものです。これをインプルージョン型といいます。この方式は、発火時点の微妙に異なる爆薬の威力が中央部で均一の圧力になる仕掛けが難しく、後にコンピュータの父と呼ばれるフォン・ノイマン博士がこのために開発した偏微分方程式を10か月以上の時間を費やして計算して、ようやく最適解を得たという逸話が残っています。こちらは構造が難しい分、入手しやすいプルトニュウムが利用できるので、米軍は量産体制に入っています。
本当は量産計画中のインプルージョン型で試したかったのですが、失敗が怖いので、最初の一発はガンバレル型でいったということのようです。ソ連参戦前に日本を降伏させたかった。
- 米国トルーマン大統領は日本本土侵攻時のシミュレーションを見せられて、その犠牲の多さにたじろぎ、スターリンに参戦を呼び掛けていました。スターリンは日本からも停戦の仲介役を頼まれていて、漁夫の利を狙っていました(例えば日本に北海道を割譲させて、見返りに日米停戦をあっせんするなど)。ところが原爆開発が急ピッチで進みソ連なしでも最小の犠牲で日本に勝てるという見込みが立ってきてトルーマンは考え直します。さらに、7月のポツダム会談時点で早くも東西冷戦が始まり出していましたので、大戦後のソ連の勢力範囲を最小に抑えるという新たな外交課題も出てきました。にもかかわらず占領地は占領国のものとするという約束をポツダム会議でしてしまいました。そこで、ソ連が日本に攻め込む前に、日本の降伏を実現させる必要が喫緊の課題として登場してきます。この課題への具体的対策として、立て続けに2発の原爆で大都市を連続破壊することで日本帝国の継戦意志を打ち砕くということが計画されました。
- トルーマンの意図は当たり、日本帝国は1週間もたたないうちに降伏しました。慌てたスターリンは日本降伏を承知していたにもかかわらず8月18日に開戦して千島に侵攻します。が、思いのほか日本軍の抵抗は激しく、千島全島の占領作戦が終わったのは9月5日でした。
アメリカ人は原爆が戦争を終わらせたのだ、必要悪なのだとよく言います。しかし、大日本帝国の継戦意図を挫くだけなら、分かりやすい形での脅しでよいわけですから、落とす場所は大都市近くの海上などでよく、無抵抗の市民の上である必要はなかったと言えます。ただ、その場合は終戦までより多くの時間が必要でスターリンの思うつぼにハマった可能性も捨てきれません。スターリンはどうしても北海道が欲しかったようです。
いずれにしても今はアメリカの時代です。徳川時代に大坂攻めの卑怯さ残忍さを語ることがタブーであったように、米軍の一般市民を効率よく焼き殺すための非人道的日本空襲や無道な原爆攻撃を言い立てるのは反米活動に火がつかないよう上手に制御されています。しかし、勝つために平気で無辜の市民の命を奪った1945年の米軍指導部の行動は唾棄すべきものです。この問題はいつか、おそらく百年以上の後に、アメリカの時代が終わったときに、米国史の最大の汚点として非難に満ち溢れた論調で記録されることとなるでしょう。





