人生の終着駅について。 | 色々あったけど、40歳近くまで生きてこれました。

色々あったけど、40歳近くまで生きてこれました。

 横浜市北部、青葉区、都筑区、緑区に不動産賃貸・管理を担当に地域密着で毎日走りまわっています。都筑区生まれ、緑区育ち、青葉区の高校卒業、青葉区の会社に働いて、田園都市線市ヶ尾駅で不動産業を営んで、自宅は緑区です。生粋の横浜北部人間です。
 


 一昨日、以前勤めていた会社の先輩が亡くなりました。享年52歳です。本日告別式に行ってきました。

 昨年、療養の為会社を退職されたのですが、死因は肝硬変です。

 もともとお酒が大好きで、自宅でも、酒宴の席でも誰よりも飲んでいた記憶があります。飲みすぎてのトラブルも結構あり、私自身もトラブルに巻き込まれた事もあります。自宅で飲んでいても、色々な人に電話をかけたりして、淋しかったのだと思います。

 以前は皇宮警察に勤務していたそうです。辞職してから、様々な仕事をして、私が以前勤めていた会社に入社した経歴です。

 私が新人の頃は、色々な事を教えて頂き、博学でとても優しい方でした。特に字がヘタクソな私は達筆の先輩の字の憧れた者です。男らしい立派な字でした。

 しかし、年々会社を休む日が続いてきました。「熱っぽい」「お腹が痛いと」休む際は一週間位は休んでいました。お酒好きの知っている同僚(私含む)は「また二日酔だぁ」なんていっておりました。

 
 私ごときが先輩の生活を想像するなんて、大変おこがましい事だとは思いますが、多分、淋しくてお酒に溺れてしまったのだと思います。一人暮らしの家で、帰ってきてすることが無ければ、一人暮らしの頃、私だってお酒を飲んでいました。

 裏付に以前、飲みすぎて、以前忘年会か社員旅行か忘れましたが、騒ぎを起こしそうだったので、部屋に無知矢理連れて帰って際に、「誰も俺の事を解かってくれない、こんな人生じゃなかった。もっとできたんだ!」と地団駄を踏んでいました。

 深い後悔や、自責の念があり、それを打ち消す為に、お酒を飲み続けてしまったんではないかと私は考えます。

 療養の為に退職をしましたが、終着駅を決めて、更に増してお酒を飲み続けたのでしょう。

 
 享年52歳という年齢は若いのかどうか私には解かりませんが、私にもきっと紆余曲折な人生が待っているはずです。

 
 今はただ、ただご冥福をお祈りするだけです。そして色々お教え頂き誠にありがとうございました。