皆さん、こんにちはぁ。
昨日は、突然の強震で、びっくりされた方も多いんじゃないでしょうか?
大きな被害が出なかったことが、何よりもの救いでした。
今更ながらですが、内陸浅発地震の予測が如何に難しいものなのか、改めて思い知らされました。
昨日15時~の私を追ってみると。
南関東在の私は、ポケェ~っと某ハンバーガーチェーン店でお茶中。
2013年2月25日15時26分、開いていたツイッターに栃木県北部 M4.1 震度3の報が入りました。
「栃木かぁ?(まぁこの辺なら判る判ると知ったかぶる)」
その後、15時35分 栃木県北部 M2.5 震度1、15時41分 栃木県北部 M2.3 震度1、15時43分 栃木県北部 M2.8 震度1と続いて発震の報。
「あれあれ。(おかしいなぁ?」
そこへ、お友達から「栃木の発震嫌ですねー」のメール。
「ホントですねー。(と言いつつ、最大注視している相模湾の活動に話をすり変えてしまう)」とお返事。
その内に「うん?地震かぁ?(ゆっさゆっさと言う揺れに)こりゃ深いか遠方だな。」とつぶやく。
(実際は、深いどころか10キロ以内の比較的浅めでしかも関東での強震(T_T;))
そこに、別のお友達から「そっちは大丈夫?」と連絡。
慌ててPCで確認すると、16時23分 栃木県北部 M6.2 震度5強となっていて、座りながら尻餅ついてたまげたと言う感じでした。
その後も含め、現段階での有感地震は、なんと47回。(下記)
M6超とは言え、非常に多い余震では無いでしょうか。
震源近隣の防災科学技術研究所「栗山西観測点」と気象庁「群馬片品観測点」の連続波形
を見てみましょう。
防災科学技術研究所Hi-net連続波形 栗山西観測点より
気象庁連続波形 群馬片品観測点より
これを見ていくと、12時30分頃から活動が活発化し、その後15時より一気に強まっていった事が判ります。
地震活動予測としては、この12時~15時迄の傾向を読み取って、皆さんに警戒をお願いするのが本当の実だと思います。
しかし、日本各地に点在する観測点を四六時中見ている程、生活にゆとりがある方はそうはいないでしょうから、今回の様な後の祭り的な話になってしまいます。
それ以外にも、
・直前にハムスターが大暴れしていた(茨城ひたちなか市)
・金魚が暴れた(東京東部)
・気象庁火山監視モニターで見ると、日光白根山、那須岳共に、晴天で見通しも良かったのですが、発震前から靄のような状態で、視認不可能となっていた。
等々の報告も入ってきました。
でも皆さん、気象庁って、スーパーコンピューターを持ってましたよね。
上記連続波形だけを見ても、明らかな違いが生じている訳ですから、変動報告的なアラートが発報する仕組み位容易いんじゃ無いでしょうか?
いや、当然あるのかなぁ?
外れても、官僚の皆さんの首を求めたりしませんから、どうかおかしいデータがある位知らせて欲しいものです。
話が反れてしまいました。
この震源界隈の発震について、非常に興味深い記述がありましたので紹介しておきましょう。
文部科学省研究開発局地震・防災研究課 地震調査研究推進本部の資料で、栃木県の過去に発生した大型震と今後の予測を記述したものです。
http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kanto/p09_tochigi.htm
残念ながら、この予測では、今回の震源域は網羅されておりませんでしたが、過去の発震記述には大きなインパクトがあります。
それによると(一部引用)、今回の震源よりは若干南東(那須岳東方に延びる関谷断層との関連も指摘されるものですが)ではありますが、かつてM6超の地震が数回記録されております。
特に、1683年は、4月頃から日光付近で群発性の地震が続き、
6月17日にM6.0~6.5、
6月18日にM6.5~7.0、
少し経って10月20日にM7.0が発生しております。
また、その後も1725年にもM6.0や規模不明ながら1735年、1746年、1755年などに被害地震が発生、福島県との県境付近では1659年の岩代・下野の地震M6 3/4~7.0が発生しているとのことです。
更に、1949年の今市地震ではM6.2とM6.4が8分の間隔をおいて続けて発生しています。
特出すべきは、赤字で記述したところです。
あくまでも少しのデータからの推察ですから、信憑性は低いとご承知頂きたいのですが、この辺りの地震は、活動期と不活動期を繰り返してる様で、一度動くと数回強震を起こすと言うものです。
今回、前兆微震から大型震迄のスパンが僅か4時間であったこと、その後の余震が40回を超える事を鑑みると、同規模もしくはそれ以上の発震が直近無いとは言い切れません。
先程、気象庁柿岡地電流にも小規模ですが顕著な反応があり、千葉香取の電波観測にも再び数値上昇の傾向があります。
今暫くは警戒モードでお願いできればと思います。
また、1949年今市地震の約3ヶ月後の1950年2月28日には宗谷東方沖地震(M7.5)、その一年半後の1951年7月12日には小笠原諸島西方沖地震(M7.2)が発生しており、この辺りの発震から各地に飛び火する事も考えなければならないでしょう。
これからも種々のデータ観察を怠らず、諸先輩方にも教えをこいながら、しっかり活動を捉えていきたいと思っています。
尚、従来より指摘しておりました中規模震警戒域・大規模震監視域につきましては、大きな変更はありませんので、過去ブログを参照頂ければ幸いに思います。
当面、栃木北部に関連しそうなデータを最大注視しながら、他方への波及を監視してまいりたいと思っています。
最後に、現在私の中で最も大きな監視対象域である相模湾(内陸なら葉山~小田原及び伊豆諸島)に関しまして、雲や地鳴り、井戸水の変化、動物の変調等、何か気になる事をご存知の方がいらっしゃりましたら、どうぞお知らせ下さいませ。
一緒に防災していきましょう。
それでは、これからもしっかり準備と心構え、そしてあなたの素敵で優しい笑顔をもって、来る困難に立ち向かっていきましょう。
マリアナファン ヒロ