皆さん、こんにちは。

努力の甲斐もなく、昨日大飯原発が再稼働されてしまいました。


もちろんこれで終わりではありません。

むしろこれからです。


非常に多くの海外メディアや独立系の通信社がこの動きを伝えてくれました。


報道ステーションで鳥越さんもおっしゃっておられましたが、普通の人が個人の意思で集まった行動は、まさに安保以来の出来事かと思います。


と言っても、私自身は安保世代ではなく、生まれる前の話ですが、あの頃は、自身の力が国に影響を与えられると誰もが信じていたと聞いています。


あの時代、そして現在と、手段こそ各々賛否はあると思います。

ただ、一時の高度成長期からバブルと経過するに当たって、日本人の誰もが国の運営に興味を失い、それとともに、行動をしない言い訳に「自分は何も出来ない存在」と決めつけてきました。


選挙に行かないと言う風潮もその最たる例かと思います。

また、政治家・官僚・経済団体等、既得権益に群がるサイドは、これを良しとする部分多大で、投票率の向上にも極めて消極的でした。


しかし、毎週金曜日に行われてきた「総理官邸前抗議行動」や数々のデモ・集会・抗議行動が次第に大きな力となると、御用にぶら下がっていた一部のメディアは無視できないと判断し、それを伝え始めるやいなや、力は更に大きなうねりとなってきました。

同時に海外メディアも報道し始め、世界的な注目を集める行動になってきています。


昨日、一つの事例として、大飯再稼働阻止には失敗しました。


でも、多くの国民に問題意識を芽生えさせた事は、揺るぎない事実であります。

だから、これからなんです。


さらに、本日、民主党から50数名の離党が出るようです。

新党を支持するとかどうかと言う話の前に、国は国民を守る存在であるべきで、経済も軍事も同盟も、国民の命の前では2番以降でしかないはずです。

今回の離党者がこの意に準じているのなら、私は支持し後援していくつもりです。



私は、このブログを見て下さっている方々に、思想や支持を押し付けるつもりは毛頭ありません。

しかしながら、今回、これらの行動を最後まで報道し続けているジャーナリストだけは、是非とも紹介させて頂きたいと思います。


それは、岩上安身氏。

彼が率いる団体が、インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(略称:IWJ)

(ジャーナリスト岩上安身が2010年12月に設立した、インターネットを活用し、市民に根ざした新しいジャーナリズムのありかたを具現化するインターネット報道メディアです。)

http://iwj.co.jp/


内容は、私がどうこう言うより、HPを見て頂く方が良いと思いますので、書き立てることは致しませんが、私は、岩上氏の活動を支持しています。



さて、昨日ツイッターで連投させて頂きました内容につきまして、ブログに載せたらと言うお言葉をいただけましたので以下に掲載させて頂きます。


以下、ツイートより。


【昨日の抗議行動に参加して】

今回の抗議行動に際し、主催者(呼掛人)の存在や対応、警察との協力体制に違和感を持った人もいるみたいです。
確かに、抗議行動の熱と力からすれば、拍子抜け又は公権力との癒着をイメージした人もいると思いますし、所謂儀式の様なものと感じた方もいるかも知れません。


ただ、これには二つの理由があると思います。


一つは、これは抗議活動であり、デモ行動や集会では無いと言う位置づけである事。
その裏には、組織的に動員した運動では無く、普通の人が個人の意思で官邸前に集まったと言う根本があります。

もう一つは、呼掛人のグループ自体が組織でも後見団体がある訳でも無く、暴動や不足自体に対応する能力が無いと言う事。
これの裏には、警察サイドの珍しい位の協力姿勢があります。

(実は、あまりに警察の方が紳士的で驚きました。)→大飯原発前の行動に対しては、それに限らなかった様で悲しい限りです。


従って、組織が事前に道路専有や集団行為に対する許可を取ったり、大きな横断幕やのぼり、場合によっては小競り合いと言ったものを国民運動と見るならば、それは拍子抜けとなりますね。

趣旨・運営に関しては、事前の自由報道協会での記者会見で、呼掛人の代表者達がお話していました。


ただ、その様なボランティアかつ中心組織の無い運営では、スタッフ個々に差異が生じる事は否めません。
例えば、圧力的な支持をする人も、上から目線と言うのでしょうか、殴り言葉も見受けられました。

一方では、地下鉄から出てきた幼児二人を連れた親子連れに対し、ある腕章をしたボランティアさんが「あくまでも個々の意志によりますが、今回は、大勢が参集する活動であり、不足自体が起きないとも限らないので、出来ればこの辺りに留まって参加して頂き、お手持ちの抗議文と3名の参加カウントは、私に託してくれませんか。」と話していました。


たぶん、私が見ても危ないと感じた位です、人道的な個人の判断ではないでしょうか。


ただ、そこには、一人でも多く動員をしたい盛り上げたいと言う事より、参加者(近隣にお勤めの方も含め)の安全を優先する姿がありました。


まさに、経済優先で人の命を蔑ろにする国・電力会社と決定的な差であります。



また、事前会見で、イタリアのジャーナリストの方が、イタリアでは100万人規模になるが、なぜ日本はこんなに少ないのかと聞いていました。


端的に言えば日本人の気質となるでしょうが、再三申し上げます通り、普通の人が個人の考えで、有名人の先導無く集まった事には多大な価値があり、その意味合いは100万人をも凌ぐ流れ、つまり、選挙に行く・政治を身近に・そして諦めないと言う機運の魁であり、それには十分な一歩であると思いました。


これからも、政治を身近なものとし、一人でも多くの方が選挙に行き、それぞれが家族・愛する人を守る為に最も適任と考える候補者に、個人の意思で投票されます様訴え続けて参る所存です。


Marianafan HIRO



報道ステーションで鳥越さんがおっしゃっていた、52年振りに蘇った普通の人が個人の意思で集まった国民運動であり、大きな一歩である価値は、運営の手段や手順の不備をはるかに超える価値を感じずにいられません。