財津和夫ヒストリーⅠ から続く
以下は、NHKで放送された、 ザ・ヒューマン「人生はひとつ でも一度じゃない」の文字起こしです。まずは番組サイトから、その内容を引用紹介します。
数々のヒット曲を生み出してきたシンガーソングライター財津和夫。年を重ね、引退も考えていたが、ある出会いを機に10年ぶりの新曲に挑み始めた。コロナ禍の制作を取材。
▽“サボテンの花”“青春の影”などをヒットさせたTULIPの財津和夫に3年間取材▽松田聖子などに楽曲提供・日本有数のメロディメーカー
▽更年期障害、大腸がん、体の衰え…音楽への情熱を失いかけた過去
▽再起のきっかけは、故郷福岡で始めた一般人向けの作詞講座
▽「自分で自分を励ませる歌を作りたい」10年ぶりの新曲制作
▽コロナ禍で曲作りがピンチに…
▽72歳 魂のオンラインライブ。
なお拙文は、番組を忠実に再現しておりますが、出演されている一般の方々のお名前やアップ画像は割愛しております。ご了承ください。
財津和夫さん、72歳。去年秋、初めてのオンラインライブに挑戦しようとしていた。コロナ禍でコンサートができない中、どうしても届けたい曲があった。
「今この年齢で歌える歌、人生、最後のチャレンジになるかもしれません」
チューリップのリーダーとして活躍した財津和夫さん。作曲家としても、数多くの名曲を世に送り出してきた。しかし十五年ほど前から、更年期障害、ガンなどに襲われ、心身の衰えを感じるようになる。曲作りの意欲も沸かなくなり、引退を考えるようになった。
「もうずいぶん長い間やってきましたので、これでもうできなくなってもいいのかな」
転機となったのが、故郷で始めた、一般の人向けの作詞講座。さまざまな人生が刻まれた参加者の書く詞。財津さんは、あらためて言葉のもつ力に気づかされた。
「自分を励まそうとしている詞が多い。 (僕も) 自分を鼓舞するような歌詞を作ってみよう」
そして挑んだのが、10年ぶりの新曲だった。コロナ下で何回もも中断しながら、書き上げた曲。
タイトルは『人生はひとつ でも一度じゃない』
歳を重ねる現実に直面しながら、前に進もうとする。その姿を、三年にわたって記録した。
撮影を始めたのは、2018年の夏。財津さんは前の年にみつかったガンの治療で、1年ぶりにチューリップのコンサートに臨もうとしていた。このとき47年目。音楽に明け暮れた人生だった。闘病生活を経て、不安を抱えながらも、自分を奮い立たせようとしていた。
福岡で生まれ育った財津さん。大学生の時、ビートルズにあこがれて、音楽活動を始めた。『心の旅』が大ヒットして、一躍人気者に。別れや青春を印象的なメロディで歌う財津さんは、圧倒的な支持を受けた。その後、作曲家としても、多くのアーティストに楽曲を提供。世に送り出した曲は、千近くにのぼる。
しかし15年ほど前から、体の不調が次々と財津さんを襲った。月刊文藝春秋の手記には、五十年代後半から、更年期障害に悩んでいたことが綴られている。
「体は疲れているのに眠れないし、唇や瞼はけいれんしてものすごくつらかった」
~ 2010年 雑誌『プレジデント』 ~
2004年から3年ほど、更年期障害に悩まされていた。「体力はどんどん落ちるのに、仕事や子育てなど、背負っているものは多い。その重圧に耐えきれなくなって、本当に逃げ出したくなったんです」。折しもチューリップ再結成コンサートで全国を回っていたとき、疲れているのに眠れず、唇や瞼が痙攣するなど、人知れずつらい日々を過ごしていた。
そして70歳を目前にした2017年、全国ツアーのまっただ中に、大腸ガンがみつかった。治療の苦しさは、想像を超えるものだった。
「(ガンの)ステージが医者の言葉で言うと、3.5。ずっと薬を飲み続けなきゃいけないんですよ、再発防止の。その副作用が強くて、食欲が出ないのはもちろんですけど、味覚がない、嗅覚がない。何かを食べようとすると戻しそうになる。覚悟しました、いろんなことを」
半年にわたる闘病生活を経て、財津さんは2018年秋、財津さんは復活コンサートに挑んだ。
終盤に近づくにつれ、ふりしぼるように声を出した。実はこのころ財津さんは、音楽活動に限界を感じていたという。
「もう全然違いますよ。ピークを100とすれば、今は40、30ぐらいじゃないですかね。時々、昔の音源を聴くんですけど、こんなに声が出ていたんだとか、もう嫌でたまらない。」
引退を考えるようになった財津さん。次第に、故郷の福岡に帰ることが増えていった。
「年のせいでしょうね。いわゆる郷愁ってやつじゃないですか。福岡の空を見たいな。風に当たりたいな」
ずっと続けてきた曲作りにも、意欲がわかなくなっていた。
「いろんな曲を作ってきて、なんかもう目新しい曲はないな。自分で新しいとかんじるのものはないなと思った。もうずいずん長い間、自分のステージという仕事をやってきましたので、これでもうできなくなってもいいのかな」
その福岡で財津さんに、思わぬ依頼があった。地元のホテルから、作詞講座をやってみませんかと誘われた。財津さんは福岡に帰る理由ができると、軽い気持ちで引き受けた。
参加者は、ほとんどが五十代から七十代の一般の人たち。歌詞の書き方の基本を教わったあと、参加者は曲をイメージした詞を書き、財津さんが読みあげる。参加者の詞のほとんどが、家族の関係や、身近な出来事など、自分の人生を題材にしたものだ。
認知症になった母親の詞
表現する楽しさ。そしてさまざまな人生に触れられるおもしろさから、講座はすぐに人気となった。長く音楽業界で生きてきた財津さん。予想していた以上の刺激を受けたという。
「(参加者の詞は)生きた 作られたものがない世界がガーっと押し寄せてくるんですね。僕はすごい狭い世界にいて、狭い視野で細かいものを見ていても、それでいいと思っていたんですよね。本物だから。ドキュメンタリーだから」
この講座に通うことが生きる支えになったという人もいる。55歳の大阪在住の女性。6年前に脳腫瘍と診断された。医師からは根本的な治療法はなく、やがてものを飲み込むことができなくなるかもしれないと言われている。
ふたりで焼肉行ったならば
いつも私だけ すぐごはんも頼むの
ビールにごはん?
ビックリされるけど
「だってお肉には白飯やん!」って
一緒のごはんは美味しいね
一緒にいると楽しいね
あなたといると わたし
あぁ、生きてるって実感できるの
食べられる喜びをことばにすることで、すこしでも前を向きたいと考えたという。
「すごい不安はあるけど、でも不安を持っててもしゃあない。だからあの詞にも、自分の病気のこととか、悲しいとかつらいとかは一切入れずに、生きる喜びって言ったら大げさだけれど、書いたつもりなんです」
もう歳だから。そう考えていた財津さんだった。参加者の詞を読みかえす中で、気づいたことがあった。
「自分を励まそうとしている詞が多い。大人になって、それ以上になっていくと、やっぱり、そうなるのかと思いましたね。それを読むと、僕も自分を励ましたいなという気になってきて、人を励ますっていうことも大切ですけど、自分を励ますってことは、歳とってから必要なことでしょう」
財津さんは机に向かった。自分で自分を励ませる曲を書いてみたいと、10年ぶりに新曲を作ることにした。
「本当に悩んできた」
なかなか筆が進まない。メロディメーカーとしての才能が特に評価されてきた財津さん。これまではずっとメロディを先に作り、そこに詞を載せる手法をとってきた。しかし今回は、初めて詞を書くことに挑戦していた。
「詞っていうものを、僕はずっとないがしろにしていたんですよ。音が好きで、響きが好きで、詞はいらないと思っていたんですけどね。(今は)歌の詞っていうものの持つ力っていうのもなんとなく理解してきて、言葉優先にこれからはしてみよう。それはやっぱり刺激になってるんですね。モグラ状態だったものが、ちょっと地上に顔を出せたのかもしれませんね」
三ヶ月後、自分を励ませることばは何か。財津さんは思いつくかぎり書き出していた。鍵となるフレーズに、あることばを選んだ。
「いわゆるサビって言われる部分があるじゃないですか。歌の中のサビ部分で、『だいじょうぶさ』って、ほえるんですけど」
ガンになったときの経験がもとになっていた。
「闘病中にだいじょうぶさって思ったことも言ったこともないですけれど、でも「闘病後、『あっ、だいじょうぶだったんだ』ってありましたし、ですから『大丈夫』ってことばは僕にとって、魔法のことばになってるんでしょうね。頑張れよって言われても、頑張ったのにこうなっちゃったわけですからね。頑張ってない人はいないわけじゃないですか」
曲が完成したら、コンサートを開いて聴いてもらいたい。
久しぶりの曲作りに没頭していた。
しかし、2020年4月。コロナ禍による緊急事態宣言される。曲作りは中断し、コンサートの予定も白紙となった。そして番組の取材も・・・
去年10月、半年ぶりに取材の許可が出た。
財津さんは福岡のマンションにひとりで暮らしていた。
「不安で不安で、どういう風に対応していいかわからない」
春先、家族で暮らす東京で感染者が急増したため、福岡に移り、ほとんど人に会わずにいたという。不安を抱える中でも、財津さんが欠かさず続けていたことがある。
散歩だ。
何も考えず、景色を見ながら歩く。
あるとき、ふと気持ちが軽くなる瞬間があった。
「人種を越えて同じ苦しみを体験しているわけですよ。怖いんですけど、人って不思議なもので『自分だけじゃないんだな』って思うと、『あっ、みんなと一緒なんだ。自分はひとりじゃなんだな』という感覚をおぼえる。コロナにただやられてばっかりじゃ嫌じゃないですか。こういう事態になったので、新しい日常を楽しむしかないな」
コロナ禍で、コンサートができない状況が続いていた11月、財津さんは久しぶりに東京のスタジオにやってきた。スタッフに、「チャットってなんですか」と質問する財津さん。スマホやSNSが苦手な財津さんだが、初めてのオンラインでの配信を試みることにしたのだ。
「拍手すればいいってもんじゃないですけれど、拍手したくなりました。皆さんとリモートでもつながることができれば、こういう仕事をしている者にとっては、ありがたいことなんです」
中止になったコンサートの代わりにと、弾き語りを披露した。
「チャットにいろんな人が書いてます。すごいですね。リアルオンタイムな感じで」
一歩踏み出した財津さん。開催を見合わせていた作詞講座も、ふたたび始めることにした。たがいに距離をとり、さまざまな感染対策をおこなったうえでの再開だ。
「みなさん、いろんな覚悟があってのことでしょうけど、来ていただいてありがとうございます」
久しぶりの講座。参加者たちも新型コロナによって、大きな影響を受けていた。バーを経営する男性は、売り上げが落ち、閉店の危機にある状況を詞にしていた。脳腫瘍と闘いながら参加している女性の姿もあった。
詞を書くことが、生きる支えだと言っていた女性。しかしこの日の表情は硬かった。「(詞が)書けない。詞が進まない」。コロナ禍で友人と会う時間も奪われ、引きこもる中で、うつ状態に陥っているという。
「なんでこんなに息苦しいんやろうという状態が、何ヶ月も続いて、それがひどくなっていったんですね。何をするにしても、家の用事をするにしても、炊事する前に深呼吸をしないと、用事ができない。私はなんでこんなんになっちゃったんだろう」
もう一度、詞を書けるようになるにはどうしたらいいか。
アドバイスを財津さんに求めた。
「自分が力が出ないときも、人間だからあったと思うんですけど、どういう風に克服してきたんですか」
「なんかこう、進まなくなったとき、進まなくてもいいんです。一回深呼吸して、僕が一番、個人的になんか気分転換できる、そして気分転換していながら、僕なりに次に進んだと思えることは、散歩ですね。散歩。それは自分の力みをほどいてあげる。楽にしてあげる方法だとおもうんですよね。
「あ、そうか。散歩なんかしてないわと思って。私、絶対やってみようって思いました。だから好きなところに行って、ノートとペンを持って、思いついたら、すごく季候がいいので、やってみようかなと、すごい後押しになりました」
コロナ禍で、壁にぶつかる人々を見て、財津さんはふたたび新曲の詞と向き合っていた。一ヶ月後、オンラインライブで披露する。
「迷えば、どんどん迷えますよね」
迷っていたのは、大丈夫と歌うサビの部分だった。
「『大丈夫だよ』という誰もが言える言葉が、ちゃんと責任を持って、本音が裏側にあって、説得力があってという、言葉に聞こえていかないといけない」
オンラインライブ一週間前。財津さんは最後の仕上げに取りかかっていた。
「決心しました。同じ言葉を繰り返すのか。それとも変化をつけていくのか。同じ言葉を繰り返すことにしました」
繰り返すことにしたのは、「大丈夫さ」のあとの、「うまくいく」という言葉。
「大丈夫さ 大丈夫さ うまくゆく 一人になっても 何が起きても」というのは、はまらない言葉ではないんですけれど、悩んでいる人がいたら、一日に何度も、「大丈夫さ」という言葉を言い換えさないですよね。「大丈夫さ 大丈夫さ うまくいくさ」。これは呪文のようなものじゃないですか。自分を暗示にかけるかのように、呪文するわけです」
曲のタイトルも決めた。
『人生はひとつ でも一度じゃない』
人生はひとつしかない、でも何度だって挑戦できる。そんな思いをこめた。
一ヶ月ぶりの作詞講座。
「書いてみようと思う方? 」
女性が手を挙げた。うつ状態で苦しんでいる中、散歩する中で思いついたという。
「財津さんがしんどいとき、どうされていましたかと訊くと、『あるいてみたよ』とおっしゃたので、『あるかなくちゃ』とか思って、自分で実際歩いたり、自分でやれることをどんどんやって、押されるように今、前に出てるっていう自分がいて、このまま浮上していこうっていうような、今そんな感じ」
「ご自身の内面的な葛藤が言葉になって描かれたというお話を聞きましたけれど、より強く深く伝わってきます」
首都圏を中心に、感染者がふたたび増えていた12月、10年ぶりの新曲を披露する、オンラインライブの日を迎えた。
何度も中断しながら、1年以上かけて作り上げた曲。
「私がしゃべっている映像の前まで来ていただいてありがとうございます」
全国で、多くの人が心待ちにしていた。
今日は、お約束した新曲の発表です。
『人生はひとつ でも一度じゃない』
うまくいかないこと それは恋だけじゃない
人のなかにいれば 面倒なことだらけ
宝くじ当たるのも どこに隕石落ちるかも
誰にもわからない 予言者も神様も
大丈夫さ 大丈夫さ うまくゆくから
大きな力 君の中から
大丈夫さ 大丈夫さ すべてうまくゆく
人生はひとつ でも一度じゃない
悲しいときには鳥になり 空から眺めよう
嬉しいときには蟻になり 喜び運び続けよう
生まれてきたわけなんて わからなくてもいいんだ
地球は回り続ける 君は歩き続ける
大丈夫さ 大丈夫さ うまくゆくから
前を向いたら そうさ今から
大丈夫さ 大丈夫さ すべてうまくゆく
人生はひとつ でも一度じゃない
女性 「ズーンときた。何回でも行き直せるよ。何回でもやり直したらいいやん。ちょっと休憩したらっていう感じに聞こえてきたので」
歌いきった財津さん。意外な言葉を口にした。
「喉がからからですね。これはもう一回、リベンジしなきゃいかんな」
「もうそろそろ引退とか、いろんなことを考えなきゃいけない年頃になってきて、でもこういう歌を歌うことで、もう一回、何か違う形でも挑戦できるよ。今日も、なかなか声が出ずに、歌もうまく生きませんでしたけれど、でも『もう一回歌うぞ』って、ついつい最後に言ってしまいましたけれど、リベンジする、リベンジするということは、人生一度じゃない、ひとつしかないけど人生は、でも一度じゃない、ってことかなぁって、僕がしゃべったことなのに、僕のところに戻ってきた、そんな気がします」
一週間後、財津さんはもくもくとウォーキングしていた。
「気力だけじゃなくて、体を鍛えなきゃいけないなって痛感しますね。もうちょっとね、何か、ひと仕事、ふた仕事できるか、わかりませんが、もうちょっとだけ、やりたいなって気持ちもあるんで」
もう音楽はできなくなってもいい、と言っていた財津さんが、最近よく思いだすという曲があるという。
『私の小さな人生』
50年前に作った『私の小さな人生』。その詞は、こんな言葉で結ばれる。
歌を歌って生きて行きたい
ことし1月、財津さんから連絡があった。
じゃあ、
ちょっとやってみましょうかね。
もっといい声で、この曲を届けたい。リベンジに臨んでいた。
幸せのことは誰も教えてくらない
自分で探すのさ 好きなうた選ぶように
なぜいつもつまずき
なぜ自信がもてない
大人になった誰も
悩みは消えないもの
大丈夫さ 大丈夫さ うまくゆくから
よみがえる力 君の中から
大丈夫さ 大丈夫さ すべてうまくゆく
人生はひとつ でも一度じゃない
財津和夫ヒストリーⅡ
了


































































