京都市長の憂鬱 ~ お役人の失態で歩道の真ん中に立ってしまった謎の箱のお話 ~ | Kou

Kou

音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。

 

 

京都に観光などで行かれたら、四条通りを歩く方も多いでしょう。
百貨店や高級ブランドの店が軒をつらねる、古都一の繁華街です。
以前、ここの歩道は狭かった。
それが、四年ほど前、車道を四車線から二車線に減らしての歩道拡幅工事がおこなわれ、快適に歩けるようになりました。

でも上の写真をご覧下さい。

ところどころ歩道の真ん中に、鉄製の箱が、なぜか堂々と立っています。
行き交う人々のじゃまをしています。
うっかりしていると、ぶつかることもあります。

この箱の正体は、電線の保守機器です。

地中化してある電線を、メンテをするためのものです。
以前は、車道と歩道の境界にありました。
このまま歩道を広げると、真ん中に立ってしまうことになります。

そこで京都市の建設局は、機器を歩道の端に移すよう、管理者である関西電力に依頼しました。

ところが工事をおこなうと、大規模な停電が発生してしまうことが判明します。
建設局は、やむなく移設を断念しました。
結果として、この箱が残ってしまったということです。


しかし今頃になって、意外な事実がわかりました。
関西電力は電力の安定供給のため、緊急時を想定してのバックアップの仕組みをもっています。
機器の移設工事をするなら、このバックアップを流用すれば、停電は起きなかったのです。
むろん関西電力は、この安全策を使いたいと、事前に建設局に提案し説明していました。

だが建設局は、現在箱が残っているとおり、移設の工事を行いませんでした。
なぜなのか。
読売新聞夕刊が、この問題を今年1月8日に報じています。


下はその記事であり、記者が建設局の担当者に事情を問いかけるところから引用します。

 

いったい、どうなっているのか。改めて市に尋ねると、現担当の〇〇課長(記事では実名)も驚いた様子。改めて当時の関係者に確認し、「『大停電が起きる』と皆が思い込んでいたが、起きないことが確認できた。どこかで行き違いがあったとしか考えられない。移設を断念したのは工期が延び、コストがかさむなど総合的な判断からだった」と理由を訂正した。なぜ思い込んだかは「資料も記録もなく、わからない」という。

建設局は歩道中央などに11基を残す見通しを市議会に報告した際は「大停電」を理由としており、事実に基づかない説明をしていたことになる。

 

つまり建設局は、大停電が起きると思い込んでいたということです。
なぜ思い込んだのかわからない。
資料も記録もないという。


工事が終わったのは、2015年のことです。
つい最近の資料が、なぜもうないのか。

いくら古都とはいえ、平安時代の四条大路のことを訊いてるんじゃないんだから。


また、このような大規模な工事なら、多くの人間が絡んでいるはずです。
たとえば、関西電力との打ち合わせ会議だけでも、相当数の人間が出席しているはずです。
その全員が思い込んだという説明を、信じられるわけはありません。

それにしても、これを伝える記者も、ちょっと甘くないですか。
読売は、この事実をスクープしたようです。
ならば、資料がないからという言い訳を鵜呑みにして、これ以上追及しないのもどうかと思います。
今後の取材も考えると、あまり突っ込めないのでしょうか。
中央官庁の情報隠ぺいと違って、ローカル過ぎて、ニュースバリューがないからでしょうか。

いずれにしろ、あきらかな京都市の失態です。
これほどわかりやすい行政の大失態が、路上に露出しているのも珍しいかもしれません。
次に京都に来られた際には、四条通にお立ち寄りください。
全部で11基あるそうです。
すぐおわかりになります。

ただし混雑時には、相当の人出になります。
くれぐれも、歩きスマホはなさらないよう、ご注意ください。
ぶつかること、必至です。

 

 

 

 

ブログ後記

後日談という言葉があります。
ここでは、歩道を邪魔する箱についての「前日談」を、書かせてもらいます。

上の拙文は今年1月の、読売新聞の記事をもとにしたのですが、
前の年の昨年9月のこと、京都市はあるセレモニーを開きました。
問題の箱に三角屋根をかぶせて、舞妓などのデザイン画を貼った、そのお披露目式です。
歩道を占拠する、無粋な鉄箱の印象をすこしでも和らげようとしたのでしょう。

セレモニーには門田大作京都市長がお出ましになりました。
そしてデザイナーの女性とともに、にこやかにカメラにおさまりました。
市長の顔には、宿願の歩道拡幅を成し遂げた充実感があふれているように見えます。

しかしこの時点で市長は、箱の移設にかかわる大失態を知っていたのでしょうか。
読売の記事が出るのは、翌年1月のことです。

京都市建設局の担当の、「停電がおきると思い込んでいた」という話を信じるならば、このとき市長は何も知らなかったことになります。


あるいは、建設局の隠ぺいだったとするならば、市長は無邪気なはだかの王様状態だったといえます。
だからセレモニーに出席し、市の大失態であるその箱を目の前にしても、ご機嫌うるわしかったのでしょう。


読売新聞の取材を機にした、この二カ月余りのちに、ことの次第を聞かされた市長の胸中やいかに。
お察しいたします。

 

 


 

 

 

写真引用 上から順に
毎日新聞2018年9月22日 
読売新聞2109年1月8日
産経新聞2018年9月21日