今回は、刑事事件の時効について。



一般に刑事事件で問題となる時効は、公訴権の時効というものです。



公訴権というのは、検察官が裁判所に刑事事件の裁判を始めることを求める権利のことをいいます。



そして、一定期間の経過により公訴権の時効が成立すると、検察官は公訴することができなくなります。



被告人に刑罰を科すのは、裁判所ですから、公訴できなくなると、被告人は刑罰を受けないでいいことになります。



では、なぜ、公訴権の時効という制度があるのか。



いろいろな説明がありますが、たとえば、



①時間の経過により、証拠がなくなったり、人の記憶が減退することで、正確な証拠に基づいた裁判ができなくなるからという考え方。


→たとえば、50年前に起きた事件について、警察から、「あなたは1961年7月25日、福岡太郎さんと一緒にいましたか。」って聞かれても、答えられるわけありませんよね。


これは極端な例ですが、あいまいな記憶で証言して、それに基づいて、犯人と疑われる人に刑罰を科すわけにはいきません。



時間の経過により、その事件が社会から忘れ去られ、犯人を罰する必要がなくなるからという考え方。


→たとえば、昨日起きた事件を見聞きすれば、「この犯人は許せない!」と誰しも感じますが20年前の事件についても同じように感じるかという問題です。


刑罰の目的には、「悪いことをやったら罰せられますよ。」との社会への警告もありますので、忘れ去られた事件の犯人を罰しても、この目的はどこまで達することができるかという疑問もあります。



私の考えでは、やはり①が公訴時効の存在意義としては大きいと思います。



無実の人を罰することなど絶対にあってはなりません。



私も昨年、無実の人の弁護を担当しました。



その人は何も悪いことをやっていないにもかかわらず、検察官に訴えられ、1年以上もの間、身柄を拘束されました。



裁判では、無罪判決をもらいましたが、やはり1年以上もの長期間、社会で生活をできないことは耐え難い苦痛であることは明らかです。



たとえば、この事件で、公訴されるまでに時間がかかってしまい、証人の記憶があいまいであるにもかかわらず、証人が断定的な証言をして、被告人が刑務所に行くようなことになっていたらと思うと、今でもぞっとします。



そういう意味では、公訴権の時効の制度はなくてはならないものだと思います。



また近いうちにこの続きを書きます。