文化祭冊子に載せた小説です。駄文です![]()
どんなに願っても、どんなに叫び、祈り、痛みを積み重ねたとしても、叶わないものがあると分かっていた。既成事実は今更変えられない。現実は変わらない。
だから、心に鍵をかけて。周囲をひたすら拒絶して。
本当の気持ちは手紙だけに。
空へ出す手紙だけに。
*
私が生まれるずっと前に建てられたと思われる古いビル。そのビルを所有していた会社が潰れてから、人の気配は全くしなくなった。灰色の壁はひび割れ、全てのフロアには窓がなく、金属の枠だけになっている。あとはただ朽ちるだけのその空っぽのビルの屋上に私はいた。空は突き抜けるような青で、雲ひとつない。この廃墟ビルは周囲の建物よりも比較的高い。空に届きそうなくらいに。だから、手紙を出すのに最適だった。
私は右手に握りしめた手紙つきの風船――あの人が大好きだった赤色の――をゆっくりと
掲げた。小学生の頃から今まで何十回もしてきた行為。その手を放そうとした瞬間だった。
「待って!」
ひどく焦っているような、でも、よく透る声が背後からした。驚いて振り返ってみると、うつむいたまま肩で息をしている子どもがいた。
男と女どっちだろうとよく見てみると、黒いランドセルを背負っている。
こんな平日の真っ昼間にどうしてこんなところにいるのだろう。自分のことを差し置いてそんなことを思っていると、その子はふらふらとこっちへ歩いてきて、風船を持っている方の私の腕をつかんだ。びっくりして振り払おうとすると、その子はいっそう強い力で握り締めた。
「な……何?」
私の声に反応してゆっくりと上げた顔は、生きているのかと疑うくらい白く、対照的に黒く長い前髪がとても目に付いた。
「お姉ちゃんが御影だよね……?」
いきなり名前を呼ばれて反射的に身をすくめる。顔も知らない相手に名前を知られている以上の恐怖があるだろうか。頭の中でパニックを起こしながら、
「なんで私の名前を知ってるの。というか何?あんた誰?」
若干睨んで疑問をぶつけると、その少年はごめんなさいと呟いてゆっくり私の腕から手を離した。
「僕の名前は浅井悠太。ずっと、御影のことを探してたんだ」
そう名乗った少年から詳しく情報を聞いたところ、どうやら以前私がとばした風船を拾って、気になって私を探していたようだった。まぁ、時折「えーと……」と言いながら挙動不審に話すのでそれは嘘だとすぐに分かったのだが、それについてはあえて言及しなかった。名前を知っている事については言いたくないようで全く教えてくれず、自分の名前も教えたのだからと半ば強引にフェアということになった。分かった事は小学4年生という事だけ。つまり、自己紹介において浅井悠太という少年は謎だらけだった。
「で、」
人懐っこい笑顔に騙され少し打ち解けてしまった私は目の前に座っている悠太に尋ねた。
「平日の真っ昼間にこんなとこにいていいわけ?学校は?」
私はもちろんサボタージュだが。
「やだなあ、今日は午前で終わりだよ」
いや、知らないし。
「御影はいいの?“タンイ”とかあるんじゃないの?」
「また変な事知ってるなぁ。私はいーよ、学校行ってもつまんないし。一応留年しない程度には行ってるけど」
苦笑しながら言う私を、悠太は一瞬ひどく寂しそうな顔で見ているように思えたが、またすぐににこっと笑った。
「だよね。義務教育とかで無理矢理入学させられて、熱血な担任にクラスの協調性とか押し付けられて嫌になるよ。嫌なやつはいるしさ」
そう言う悠太の声は笑っているはずなのにひどく冷たかった。嫌なやつって誰だろう、と私が考えているうちに、悠太は飛び跳ねるように立って、屋上の柵にもたれかかっている私の隣に並んだ。悠太は少し考えるような様子で、
「御影はいつも風船を飛ばすために学校サボってるの?」
「ちーがーいーまーすー。今日はたまたま!放課後とか休日でも飛ばすし、飛ばさない日もあるから、それは結構不規則かなー」
でも、と言ってポケットから風船を取り出す。
「これは常備してる」
悠太は少しの沈黙の後、突然吹き出した。
「ちょ……なに!?」
「いや…御影が頑張って風船ふくらましてる姿想像したら…」
おなかを抱えながら盛大に笑う。
「はぁ!?今すぐその変な想像消せ!じゃないと殴る」
「あはは……変って自覚あるんだ」
「…………っ!!」
どうすればこの生意気な少年に年上の威厳というものを叩き込めるだろうか。私は何も言い返せないまま頭の中で答えを模索した。
それから、私と悠太は今流行っているドラマや好きなおにぎりの具など本当に小さなくだらない事を長い間話していた。
「ここは風が気持ちいいね」
そう言って悠太は屋上の柵から下界の景色をじっと見た。
「ねぇ、もし……………………………………あっ!!」
小さく声を上げた悠太の方を振り返って見ると、悠太は「来た……」と一言呟いて屋上のコンクリートの上に放り投げてあったランドセルを慌てて背負った。
「どうしたの?」
私の声も届いていないようで急いで出口に向かっている。はっと気づいてこちらを向くと早口でまくしたてた。
「ごめん、逃げないと!御影、明日もここに来て!約束!」
逃げないと?何から?
“もし……”?何が言いたかったんだろう?
嵐のように来て嵐のように去っていった悠太に聞けるはずもなく、私は理由を求めて同じように下を見たが、そこにはただいつもと変わらず車と人がせわしなく、ちっぽけに、動いているだけだった。
悠太と話している間にいつのまにか街は夕暮れに向かっていた。
明日も来てと言われたが、何時に行けばいいんだろう。それに、悠太は風船を飛ばす理由だけは聞かなかった。なんで?そんなことを考えながら帰路につく。今日のことをじっくり振り返ってみると何とも奇妙な気持ちになってくる。子どもとはいえ、名前を知られている初対面の人間と心を開いてあんなに長く話してしまった。謎だらけの少年は話をしていても私のことを尋ねるばかりで、やっぱり謎だらけだったのだ。いや、でも、むしろお互い何も知らない方が楽でよかったのかもしれない。相手の事を知りすぎてしまうと、きっと窮屈になる。学校のように他人に依存するだけの世界なんて息苦しくて嫌いだ。
でも。もしかしたら。
悠太となら、お互いの事を知っても今と変わらない関係のまま続ける事ができるんじゃないだろうか。
そんな淡い期待をしたところで家に着いた。ただいまは言わず家に入ると、ドアの閉まる音に気づいた小百合さんがキッチンからぱたぱたと玄関まで出迎えに来た。
「おかえり。ご飯今から作るけど何食べたい?」
「……なんでもいい」
私はそっけなくつぶやいて自分の部屋がある二階に向かった。部屋のドアを閉めて制服のままベッドに倒れ込む。ふと顔を横に向けると、殺風景な部屋の窓際にある勉強机の上の母の写真が目に入った。幼稚園の頃一緒に行った海で撮った写真だ。
「お母さん、ただいま」
まだつづく!