心が折れるということはこういうことなのだろうと思い知らされても折れたままではいられないので心しなやかにいられる人でいられるように過ごそうといつも思うのに心は折れ続けるのは残暑なく秋の訪れを感じたせいではない。
女子大生になる孫と母方の祖母が、お盆に孫の引っ越し先へ向かうトラック車内に無口なまま並び座っている、祖母と孫孫娘とは年に一度会うくらいで引っ越しは娘の母に手伝いに来てもらうつもりにしていた、どちらかというと父方の祖母とは家が近いせいもありよく面倒を見てもらっていたのだが、大学合格も引っ越しも知る事無く一年ほど前に死んでしまっている、生きていれば当然隣に座り引っ越しを手伝ってくれているのはその祖母なのだ、ドア側に座った孫は携帯をひたすらいじり、ドライバーと孫に挟まれ中央に座る祖母との間には朝顔の鉢が携帯を扱うには邪魔な感じで置かれていて孫の彼女は祖母からさらに身体を窓際に向けうつ向いた姿勢にいて、引っ越し先までの時間と着いてからの時間を考えるとそうせざるしかないのだろうとシートから赤信号のたびに滑り落ちないよう鉢を支える祖母を見て、この時期の引っ越しなのかとはドライバーは思わなかった。
書く必要のない場合、大概書く事はしない、書き残す意味を考えて書けばそれは書かれる、無理に書いたとしても後から読みかえした時成る程と感心はまずしない。
大概の出来事は許せてもいい加減問題になる場合はどうしても先へ進める事は出来なくなったりするもの、そこまでに至るとまず収拾のつかない状態になっていたりするので復元するのは難しいし元に戻したつもりでもそれは元とは違い歪なもので当初とは明らかに外れてしまっていたりする。
世の中の大半は偽りや建前に動かされていてそれ以外は自分自身の知る処にはないとほんのちょっとした出来事に触れ人の世の関係に失望したとしても生きている限り傍に寄り添い歩き続けお互い時々支えるか距離をとって一人勝手に支え無しに立ち止まるのも自由にしているかしかない。