菊の花の味をしめ、食通キキさんは
まだまだ落ち着きません。
というより自分でも比較的大丈夫だと思ってましたが勘違いでした。
日に日に寂しさが増したり、小さな部屋に呼吸器や酸素の音が響いていた毎日で、逆にその音が父の生きてる証にもなりつつあった私には音の無い夜の部屋が辛くて辛くてたまりません。
寝れません。
テレビをオフタイマーしてます。
ブログも何度も書こうとしたんですが…
すみません
先日までのコメントのお返事、お許し下さい。
父と元気に帰宅する予定でしたから、父が居ない今、お返事することが苦しくなってしまいました。
お返事、書けません、ごめんなさい。
父が入院し私を励ます為に皆さんからたくさんの元気玉受け取りました。
ありがとうございました。
そして、私を励まそうと頂いた品々、遅くなりましたがご紹介。
sayonaさん、ありがとうございますm(__)m
そして父が旅立ち
父にとって初孫=姪っ子Y華
我が家は田舎で子供も少なくY華が小学校に上がった時、同級生はゼロ
小さな小さな身体のY華、ランドセルが歩くという怪奇現象を引き起こす中、学校からの帰り道、一緒に帰る人もなく辺鄙な道を帰ることに。
まだまだ小さな1年生の時、いつもは誰かが迎えに行ったり、ボランティアさんが送ってくれるんですが、ボランティアさんも居ない日お迎えして下さいと言われ、誰も家に居なく、父は眩暈を押して軽トラで可愛いY華を迎えに。
Y華は今も
「もうじぃちゃん、フラフラで怖かったけぇ」
と嬉しそうに誇らしげに話します。
そんなY華も中3
恥ずかしさとどちらかというとクールな子、見舞いに来ても軽く
「じいちゃん来たよ」
という程度。
亡くなる前日もその程度。
そして、その深夜息を引き取る父
本当は多分あと1日頑張りたかったはず。
なぜならその1/28はY華の私立の入試日。
Y華には知らせず入試に送り出してもらいました。
試験が終わりそのまま斎場に来たY華
いつもと変わらぬ冷静に斎場の部屋に入って来たY華に私は
「じいちゃんが待ってるから顔を見せてあげ」
柩まで7歩とない道のりを1歩踏み出した瞬間大粒の涙がポロポロとY華の瞳から落ち柩の前で泣き崩れるY華
辛かったね…
話しかけたかったのに恥ずかしい年頃できっと心の中で励まし続けてたんだね。
その姿が私達家族には痛かった…
まだまだ書きたいことがあります。
でも辛くて今は書けない
また父のこと書いてイイですか?
聞いてもらえますか?
その他たくさんの励ましのメールなどありがとうございますm(__)m
本当に皆さんの存在が私の支えです。
ありがとうございましたm(__)m
ゆっくり歩き出します。
どうかお見守り下さると幸せます。
見捨てないでね(笑)
よろしくお願いします。
感謝感謝感謝
♥日本一丸♥







