こんにちは!

気づきマスターあおいです。

 

 

週末に東京へ行った時の出来事からの

自分の気づきです。

 

 

金曜は歯科矯正の予定で

外苑前まで行きました。

 

 

昼間で、朝晩のラッシュほどではありませんが、

山手線も銀座線もそこそこ混んでいます。

 

 

 

帰りの銀座線の車中、

席が空いていたので座りました。

新橋乗り換えで降りようとした時、

目の前の女性二人がすごく前まで迫ってきて

降りれそうにもなく、

 

 

 

大抵、降りそうな素振りがあると

みんな避けるものです。と思い込んでいました。

 

 

 

「降ります」と言ったけど、

避けてくれない。

 

 

 

ふと顔を見ると、

この女性二人とも、この席に座りたい様でした。たぶん。

 

 

 

だから、私が降りるのに

避けたら、その隙に相手に奪われる。

絶対に避けない、渡さない。

 

 

 

そんな気迫を感じました。

 

 

どうしようもないので

「降りまーす」と声をかけて通ろうとした時、

ぶつかったり押したりしたつもりはないんだけど、

 

 

 

右側の女性が、

自分の片足を軸にクルクルクルって回転したんですよ。

ダンスさながらに。

 

 

 

転んではないんだけど、

転びそうだし、危ないから支えたんだけど、

その回転している間に、

 

 

 

もう一人の女性は、心配するどころか

すかさず座って、ホッとしている。

クルクルした女性は怒っている。

 

 

 

その様子になんか失笑してしまって

(ほんとすみません)

 

 

「大丈夫ですか?」と声をかけるだけにして

降りました。

 

 

 

でも、これ内なる自分だなって思ったんですよね。

 

 

 

執着するあまり、

周りが見えず、

願いが叶わなかった時に、

 

 

誰かを加害者にして、

自分を可哀想な被害者にすることで、

 

 

執着していた自分

周りを考えること、

見ることができなかった自分

奪うことしか考えていなかった自分

 

 

つまり

「残念な自分」

「ダサい自分」

「醜い自分」

を見ないで済むんですよね。

 

 

 

被害者マインド

誰かを加害者にするマインド

マウントを取り優位に立とうとするマインド

 

 

 

これがあるのを認めるのがすごく嫌で、

「うっすら自覚はあるよ」という

さらなるマウントポジションを取ってきたわけですが、

 

 

 

今回のこの出来事は、

私が何をしているのか、

何をしてきたのか、

ドラマとして客観的に見せてくれたのでした。

 

 

 

すべての出来事は最高最善に起きていて、

それは私の教師なんだなと思いました。

 

 

 

日々、常々、

それを意識することはなかなか難しいけどね。と思い込んでいるんですけどね。

 

 

 

今日も最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

この気づきが読んでくれた方の気づきになったら幸いです。

ありがとうございました。

 

 

 

昨日は実家で 夕飯を頂きました。
ウニの貝焼きがあって(地元の特産)
久々に食べたら、
思ってた(記憶)より美味しくなかった。
もっと磯くさい方が海っぽくて好き。
 ※生臭いのとは別