ここ数日、書きたいことはたくさんあったのですけれど、例えば天然石のこと(ガーネットが気になって仕方なかったり  来月の石ですね)


なかでも一つ、これは、と思うことを書いておきます


ツインさんかもしれない人の仕掛けてくること、あえて避けてくるような謎の行動(こちらは思い出す限りなにもしてません)

それによって「なんで?! 」という感情はおこります。悲しみも伴うかもしれませんが、不思議と騙された!なんてずるい人だ、 みたいなことにはならないものではないかと思っています。


態度を翻すとか、そういったことのおこる反面、水面下で気遣いをしたり、わかりにくく遠巻きにサポートをしたりと、本人には直接の支えは見せなくても遠くからの「なにか」によって見守ってくれるため、決定的な苦しみは起こりにくいのではないかなと感じます。


好きな人なんだから、無理して信じてるのでは、ということも何度も考えました。

どれだけ相手の態度が冷たくとも、なぜか心はあるべきところへ帰っていくし、なぜか信頼しています。


いよいよこれはおかしい、と気づくまで繰り返されます。

騙されるとか、根本的に否定をされるようなことはありません。どこかでサポートが入ります。

相手も自分で直接サポートできなくてもなんとかなるように根回しをします。

それが相手自身すら意識もしていない愛なのかもしれません。

きづいたらそうしている、ということ。


そして今のわたしはそうである相手のことを想うという一念しか残りません。

全然会えない、けれど、仕事にも生活にも端々に相手が残してくれた恩恵があることに気づいて愕然とします。

驚くほどそれしか残っていません。


このところそれを思い返すということと、より現実の自分を見つめることに気持ちがむいていて、スピリチュアリティだったりする不思議なことより、一層現実みのあることにむきあっている気がします。


出会った頃からの数年はあれだけ不思議ばかり起きていたのに。


先日12年ぶりに友人が連絡をくれて会いました。

彼と出会う前の自分とその後の自分を思い出すような感覚。

その頃の自分と今の自分。変わったことがたくさんありすぎて、まるで答え合わせみたいでしたし、今もなお欠けている自分を教えられたようでした。 


いまなんとなーく 学んできたことの最後の困難の学びに向き合っている気がします。

夢やなんだかわからないことではなくって、つよく意志とか意思に向き合うことが必要なような。

意思の強さが次のテーマなのかな。


明日はダイエットします←