蹴鞠会を催す財力があったとはいっても、まだ信秀は尾張で抜きん出た存在とはいえませんでした。
しかし、八年後の天文一〇年(1541)、守護代の達勝が尾張熱田(名古屋市)の地侍・加藤一族の諸権利を安堵した判物(書状)によりますと「弾正忠(信秀)がそう申すので……」と読み取れる一文があります。
当時、信秀は謀略で落とした那古屋城に居城を移していました。
信秀は近在の熱田湊を支配下に置くため、守護代を動かし、判物を出させたのです。
熱田を手にし、守護代以上の権力を握っていた事実が窺われます。
その五年後、信長が一三歳で元服しますと、信秀は彼に那古屋城を譲り渡し、熱田近くに古渡城を築いてそこへ移りました。
そのころから信秀は極めて多忙な日々を過ごします。
『信長公記』に、
「備後殿(信秀のこと)は国中たのみ勢をなされ、一ヶ月は美濃国へ御働き、又翌月は三州(三河)の国へ御出勢」
とあるとおり、隣国の美濃と三河への出陣、すなわち他国への侵略へと突き進むのです。
(つづく)
【著者新刊情報】『江戸東京透視図絵』(五月書房新社。1900円+税)
編集者「町歩きの本をつくりましょう。町を歩きながら、歴史上の事件を“透かし見る”という企画です」
筆者「透かし見る?」
編集者「そうです。昔そこであった事件や出来事のワンシーンをイラストレーターの先生に描いてもらい、現実の写真と重ね合わせるんです。つまり、町の至る所に昔を透かし見るカーテンのようなものがあると考えてください」
筆者「それってつまり、“時をかけるカーテン”ですね。そのカーテンがタイムマシンの役割を果たしてくれるんですね!」
編集者「まあ、そんなところでしょうか……」
筆者「やります、やります。ぜひ書かせてください!」
という話になって誕生したのが本書。新しいタイプの町歩き本です。
【著者新刊情報】『明智光秀は二人いた!』(双葉社、1000円+税)
明智光秀はその前半生が経歴不詳といってもいいくらいの武将です。俗説で彩られた光秀の前半生と史料的に裏付けできる光秀の後半生とでは大きな矛盾が生じてしまっています。そこでこんな仮説をたててみました。われわれは、誰もが知る光秀(仮に「光秀B」とします)の前半生をまったく別の人物(仮に「光秀A」とします)の前半生と取り違えてしまったのではなかろうかと。この仮説に基づき、可能な限り史料にあたって推論した過程と結論を提示したのが本書です。 したがいまして、同姓同名の光秀が二人いたというわけではありません。最近では斎藤道三について「父と子の二代にわたる事績が子一人だけの事績として誤って後世に伝わった」という説が主流になっています。そう、斎藤道三も「二人いた!」ということになるのです。
【著者新刊情報】『超真説 世界史から解読する日本史の謎』(ビジネス社、1600円+税)
日本史が世界史の一部であることはいうまでもありません。そこで大真面目に「世界史から日本史を読み解いてみよう」と考えました。その結果を最新刊に凝縮させました。 弥生・古墳時代から現在に至るまで、日本は東アジアはもとより、ヨーロッパやイスラム諸国からも影響を受けながら発展してきています。弥生時代の「倭国大乱」から明治新政府による「日韓併合」まで、日本史を国際関係や世界史の流れから読み解きました。