政宗には、謀略を用い、その父を殺害した疑惑があります。
まず、政宗が晩年、小姓に語った言行録などをもとに、事件の一部始終を振り返ってみましょう。
二本松城主の畠山義継という武将がいます。
畠山氏は伊達家に従ってきましたが、政宗が攻めた小浜城(福島県二本松市)の城主大内定綱に加勢して政宗の怒りを買ってしまいます。
そこで義継は、当時、宮森城(同)に在陣していた政宗の父輝宗を頼り、和を乞いました。
輝宗はすでに家督を譲っていた政宗と相談します。
そうして、定綱の居城だった小浜城に陣していた政宗は、厳しい条件ながら、父の顔をたて、義継を許すことにしたのです。
天正十三年(1585)十月八日、義継は、御礼言上のために宮森城の輝宗を訪ねました。
ちなみに、政宗はこの日、鷹狩りに出かけ、小浜城を留守にしています。
一方、宮森城では、義継が輝宗に礼を述べていた最中、台所で大きな物音がしました。
実際には、膳棚を吊るしていた縄が切れ、盛り並べた皿や鉢の上に棚が落ちて大きな物音がしただけでしたが、その物音に驚いた義継の家臣がこっそり、義継にこう耳打ちしたのです……。
(つづく)
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