「軍師官兵衛」切腹の危機の謎②[長政に助けられた官兵衛] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

跡部蛮の「おもしろ歴史学」

歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

晋州城攻略のために朝鮮へ派遣された軍監の官兵衛が、事前の連絡もないまま、城を攻略する前に日本へ帰ってきました。


この重大な命令違反に秀吉は激怒し、面会を求めてきた官兵衛を追い返してしまいます。


一方、晋州城落城後の八月十日付で、秀吉は官兵衛の嫡男・長政に朱印状(手紙)を送り、日本軍の拠点の一つである機長(クチャン)城の普請と越冬の備えを怠らないように命じていますが、その手紙の一節に次のようなくだりがあります。


「勘()()()(官兵衛の当時の官職名)がこと(中略)重ねて御意得るべき由にて候間帰朝の儀、曲事に(おぼ)し召、ただちに御成敗なるべく候。左様にてはその方(長政)迷惑すべく候。親に替わり候て諸事申しつく様(中略)勘解由儀は助け置かされ。その旨を存じ、いよいよ奉公にぬきんでるべく事

 

 意訳すると、こういうことになるでしょう。


《官兵衛は命令を無視して帰国したため成敗するべきだが、そうなったら、長政が困るだろうから、親(官兵衛)に替わって忠勤に励む長政に免じて官兵衛の罪を許すことにする。これからも、ぬきんでて奉公するように……》


まさに官兵衛、晋州城攻略などに功のあった息子に助けられた形になりました。


(つづく)


※ホームページを開設しました。執筆・出演依頼などはホームページよりお申し込みください。


http://officekimoto.jimdo.com/