晋州城攻略のために朝鮮へ派遣された軍監の官兵衛が、事前の連絡もないまま、城を攻略する前に日本へ帰ってきました。
この重大な命令違反に秀吉は激怒し、面会を求めてきた官兵衛を追い返してしまいます。
一方、晋州城落城後の八月十日付で、秀吉は官兵衛の嫡男・長政に朱印状(手紙)を送り、日本軍の拠点の一つである機長城の普請と越冬への備えを怠らないように命じていますが、その手紙の一節に次のようなくだりがあります。
「勘解由(官兵衛の当時の官職名)がこと(中略)重ねて御意得るべき由にて候間、帰朝の儀、曲事に思し召し、ただちに御成敗なるべく候。左様にてはその方(長政)迷惑すべく候。親に替わり候て諸事申しつく様(中略)勘解由儀は助け置かされ候。その旨を存じ、いよいよ奉公にぬきんでるべく事」
意訳すると、こういうことになるでしょう。
《官兵衛は命令を無視して帰国したため成敗するべきだが、そうなったら、長政が困るだろうから、親(官兵衛)に替わって忠勤に励む長政に免じて官兵衛の罪を許すことにする。これからも、ぬきんでて奉公するように……》
まさに官兵衛、晋州城攻略などに功のあった息子に助けられた形になりました。
(つづく)
※ホームページを開設しました。執筆・出演依頼などはホームページよりお申し込みください。
http://officekimoto.jimdo.com/