大塩平八郎の乱の謎を解く[最終回] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 大塩平八郎の乱について、残る二点の謎を解決しておきたいと思います。


②大塩勢はわずか三名の犠牲者を出しただけでなぜ四散したのか。

③死後なおも平八郎の“亡霊”が跋扈した理由は何なのか。

 

 という謎です。


 ②の四散の理由は比較的簡単に答えが得られます。大塩勢は烏合の衆であったからです。


 『咬菜秘記』は、乱のどさくさに紛れ、豪商・鴻池の蔵から四万両が消えたという話を載せています。


 四万両は千両箱で十荷以上にあたり、そう簡単には持ち出せないと思いますが、暴徒化した民衆の中に盗っ人の類も紛れこんでいた可能性はあるでしょう。


 だとしたら、彼らや民衆は、幕府が静観していたことをいいことに、略奪を繰り返していたものの、幕府方から発せられた一発の砲声に驚き、四散したと考えられます。


③の答えは、平八郎の遺体が焼け焦げ、面相が確認できなかったからでしょう。


しかも平八郎は、大塩勢によって家を焼き出された民衆の間においてさえ、


「大坂市中の者など平八郎のことを有り難がる者多き」(『咬菜秘記』)


というほどに人気がありました。


したがって、世直しを求める民衆が期待をこめて、平八郎の”亡霊“を生み出したといえます。


そして、それから三〇年後、世直しを求める民衆のパワーは「ええじゃないか」運動となって爆発します。次号から、その「ええじゃないか」の謎に迫ろうと思います。