「道鏡を僧だと思って侮ってはいけない。腰帯のあたりに菰を打つときに使う槌(陰茎のたとえ)がぶら下がり、それが勃起するたびに、(女帝を犯すという)恐れ多い行為をなさる」
とんでもない歌が流行ったものです。
この『日本霊異記』に掲載される話がネタ元となって、俗にいう道鏡の「巨根伝説」が世に流布されていったのでしょう。
しかし、男女間の、それも天皇の秘め事が外部に漏れるとは思えません。
以上の話は、道鏡が異例の出世を遂げたがために作られた話でしょう。
しかし、道鏡は本当に大出世したのでしょうか。
ここで『公卿補任』を紐解いてみたいと思います。
それによりますと、道鏡が近江で孝謙上皇(当時)の看病にあたった三年後に「大臣禅師」、四年後に「太政大臣禅師」、五年後に「法王」と、スピード昇進しているのは事実です。
ただし、問題はその役職が実権を伴うものだったのか否かでしょう。
大臣や太政大臣は「議政官」とよばれる朝廷の主要ポストですが、『公卿補任』には
「道鏡禅師(中略)大臣に准ずる」
と書かれています。
「大臣禅師」が大臣に準じるポストだからといって、実権があるとは限りません。太政大臣禅師や法王についても同様です。
道鏡が禅師(僧)として議政官たちにモノ申し、政策面で影響を与えていたのは事実でしょうが、道鏡が中年の女帝をたらしこみ、思うままに出世したとする通説は、見直すべきだと考えています。
ただそれでも、当時の公卿らからの”やっかみ”はあったのでしょう。だからこそ、のちの「巨根伝説」に繋がるような悪評が立ったのだと思います。
それでは、道鏡最大の悪事とされる「天皇位簒奪」の事実関係はどうでしょうか。
(つづく)