戦国イケメン一家”宇喜多ファミリー”の謎① | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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長宗我部元親は謀略によって四国をほぼ平定したといってもいい智将でした。


戦国時代には「智将」と呼ばれる武将が何人かいますが、なぜか中国・四国地方に集中しています。このブログで取り上げたことのある広島の毛利元就もその1人ですが、岡山の宇喜多直家もそうでした。


宇喜多氏といえば、最近、歴女の皆さんの目にとまった“イケメン武将”宇喜多秀家の名がすぐに思い浮かびます。直家はその父。妻(秀家の母)も、羽柴秀吉を手玉に取ろうとした美女であったという通説が残っています。


このシリーズでは、戦国きってのイケメン一族ともいえる「宇喜多ファミリー」の素顔を追いかけてみたいと思います。


まず秀家の父・宇喜多直家の事蹟を確認しておきましょう。彼の肖像画は残っていませんが、写真で残る木像(戦災で焼失)をみると、細面でキリリとした鼻筋通る美丈夫ぶりです。


もともと宇喜多氏は備前の守護代浦上氏に仕え、砥石城(瀬戸内市)に割拠していましたが、直家6歳のときに城を奪われて没落します。


流浪の末、直家は15歳のとき旧主の浦上宗景に仕え、『古今武家盛衰記』によると、男色をもって宗景に寵愛されたとあります。


実際に宗景と男色関係にあったかどうかはわかりませんが、直家が美少年だったことは間違いないでしょう……。
(つづく)