跡部蛮の「おもしろ歴史学」

跡部蛮の「おもしろ歴史学」

歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

 古墳群は佐紀エリア(奈良市)から古市・百舌鳥エリアへと移行します。

 

 それは血族集団が変わったことを意味していると思われます。

 

 当時、大王はあくまで豪族に推戴されて初めて大王となれたと考えられ、逆にいうと豪族たちの支持がないと大王にはなれませんでした。

 

 つまり、崇神天皇の皇統が佐紀を拠点とする豪族へ、さらには古市・百舌鳥に割拠する豪族へと、まったくちがう血縁集団へ変遷していった事実を示しているのではないでしょうか。

 

 このうち、古市・百舌鳥古墳群は五世紀の「倭の五王」と呼ばれる時代に築造されています。

 

 歴代天皇の中でも、第15代天皇や仁徳天皇というビッグネームがこの時代に即位しました。

 

 また、雄略天皇の時代、その名を刻んだ鉄剣が関東地方の豪族の墓(埼玉県行田市の稲荷古墳)から発見された事実は、五世紀終わりの雄略天皇の時代、すでに関東までヤマト政権の支配地域が広がっている事実を物語っています。

 

 だからといって、この「倭の五王」の時代に同じ血縁集団による天皇の世襲が確立したとはいえません。

 

 そもそも、巨大古墳の築造は、天皇家の支配力が高まっている事実を示すとともに、それだけの巨大な古墳を築かなければ、ライバルである他の豪族らへ力を誇示できなかったといえるからです。

 

 まだまだ天皇の権力が確立したとはいえず、不安定だったのです。

(つづく)

※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。

 次に注目したいのは奈良盆地とその周辺にある古墳群の分布です。

 

 古墳は、三輪山を中心とするエリア(奈良県桜井市)、佐紀を中心とするエリア(同奈良市)、さらには河内国の古市(大阪府羽曳野市)・百舌鳥(同堺市)を中心とするエリアと、三つの地区にわかれて分布し、それぞれ群をなしています。

 

 三輪古墳群、佐紀古墳群、古市・百舌鳥古墳群です。

 

 このうち、「伝仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」を含めた巨大古墳群を擁する古市・百舌鳥古墳群は世界遺産に登録されています。

 古墳の築造年代から「三輪→佐紀→古市・百舌鳥」と年代が移っていったと考えられます。

 

 まず三輪地域は、初めて国を治めた―つまり、「はつくにしらす」という意味の和風諡号(わふう・しごう=崩御後に贈られる称号)をいただく崇神天皇の磯城瑞籬宮(奈良県桜井市)があったとされる土地です。

 

 崇神は「欠史八代」につづき、実在した可能性のある初めての天皇ともいわれています。このヤマト政権を統治する崇神天皇の皇統が何代つづいたかわわかりませんが、それら天皇(当時はまだ大王)の陵墓が三輪古墳群になったと考えられます。

 

 その後、古墳群の分布は、第13代成務天皇陵と比定される石塚古墳を含めた佐紀地域へ移ります。

 

 2025年の初め、これまで知られていなかった全長約200㍍に及ぶ大型の前方後円墳の痕跡が見つかり、佐紀池ノ尻古墳と命名されました。

 

 痕跡が見つかったのは、平城宮に隣接する一角で、現在は住宅が立ち並ぶ佐紀古墳群の近くです。

 

 平城京遷都にともなう建設工事で破壊されたらしく、4世紀末の古墳だと推定されました。

 

(つづく)

※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。

 三輪王朝から河内王朝までの時代(1)

 

 まずは中国の史書に登場する話を中心に、五世紀以前の状況をみていきましょう。

 

 『漢書地理志』に「わかれて百余国と為す」とあるとおり、わが国(中国の史書に「倭国」として登場)では1世紀ごろ、100以上の「国」が割拠し、『後漢書倭伝』によると、2世紀の後半に「倭国大乱」によってこの国が大いに乱れたことがわかります。

 

 その激しい戦乱の結果、小国に分立していた倭国(関東以東を除く)は、『魏志倭人伝』を参考にすると、「一〇〇余国」が「三〇余国」へ集約され、それらの国々が文化圏を同じくする地域ごとに連携して、地域政権を成立させたと読み取れます。

 

 ヤマト(大和=近畿地方)、キビ(吉備=瀬戸内海沿岸地方)、ツクシ(筑紫=九州地方)、イヅモ(出雲=山陰地方)などです。

 

 やがて、奈良盆地に勢力を張ったヤマト政権が他の地域政権を従える形となって、『魏志倭人伝』の内容に従うと、ヤマトの豪族らがともに一人の「王」を推戴するようになったと考えられます。

 

 それがのちに天皇と呼ばれる「大王(おおきみ)」です。

(つづく)

※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。