以上を踏まえると、次のようなことが考えられます。
①『日本書紀』における継体没後の「3年間の空白」
②安閑・宣化を飛ばして欽明が即位したとする『上宮聖徳法王帝説』の記述
これらの矛盾点や謎を解決する方法として、
《継体天皇が辛亥の年に発生した事変(内容は不明)で没し、欽明天皇が即位。しかし、その即位に反対する勢力があり、「3年間の空白」を経て安閑天皇が即位するものの、依然として「欽明朝」は存続し、「安閑・宣化朝」と並立した》
という仮説が成り立つわけです。
「辛亥の変」が“仮説の内乱”といわれるゆえんです。
『日本書紀』では継体天皇のあと、安閑天皇・第28代宣化天皇と兄弟順に即位したようになっていますが、実際には欽明と安閑・宣化の兄弟たちが対立し、それぞれ別々に王朝を打ち立て、最終的に欽明天皇によって統一(合一)されたとみられるわけです。
この“仮説の内乱”があったのだとしたら、その戦乱終結によって政権内での求心力を高めた欽明の政権、言い換えれば天皇家の政権がようやく安定したといえます。
こうして欽明天皇の時代になってようやく皇統は同じ血縁集団によって承継されてゆくと考えられます。
(おわり)
※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。