後円融天皇は、元関白の二条良基が後見人となることを嫌い、彼が即位礼の際の印明伝授(儀式の一つ)を行うことを拒んでいます。
良基に朝廷の政治を仕切られるのを嫌がるところまではまだよかったのですが、その後、朝廷の儀式が次々と中止に追い込まれてしまいます。
そのことから、「やるべきことをちゃんとやらない人」だったようです。
その間、良基の協力のもと、停滞しがちだった朝廷の政治を動かしていったのは、公家としても昇進を重ねていた将軍足利義満でした。
後円融がその義満と対立する伏線となったのは康暦2年(1380)8月7日のことでした。
天皇側近の公卿の日記によりますと、その日、義満が参内すると後円融は酒宴の最中。
そこで義満はいったん辞去するのですが、それを知った後円融によって、わざわざ内裏へ連れ戻されます。
(つづく)
※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。