人が死ぬと、たくさん人が来て
いつもは『忙しい』とか言い訳している人たちも、時間を作ってきてくれる。
本当は、時間が取れるなら、死ぬ前に会いに来るべきじゃないのかな。
それとも、死んだ人に会うための時間は作れても、生きている人に会う時間は作れないのかな。
たとえ、毎日悔いの無いように、相手に接しても、誰かが死ぬと言うことに対して
『食いが残らなかった』
っていうのも何だか、自分中心的な意見で、好きじゃない。
相手にどんなに尽くしても、毎日会っても、死んでいくのは自分ではなくて他人だからそんなことが言えるのかな。
私は死んだことが無いけれど、死ぬと言うことは必ず悔いが残るものだと思う。
だって、些細なことでも『こうした方がよかったかも」と思うこと多くないかな。
カレンダーを壁に貼るだけの作業でも
『もう少し右に・・いや、違う壁に貼った方が綺麗かも。それよりも、このカレンダーじゃなくて、やっぱり他のカレンダーを買えばよかったかな』と思いませんか?
『アレじゃなくコレが良かった』『こうしたかったのに出来なかった』
日々の生活の中で、今日は完璧、と思う日は無いと思います。
だから、誰か・・人でも動物でも、全てのものに対して、自分の気持ちも大切だけど
相手の気持ちを考えて、死を受け止めて欲しいです。
自殺するひとは、その人自身が決めた死なので、どんな理由にせよ、私は『殺人』と同じ罪を『自殺者』は背負っていると思います。
自分であっても、他人であっても、殺してよい人なんていないよね。