こうもりには、死ぬことへの恐怖がある。それを分析すると、肉体的な苦痛に対する恐怖ではなく、人生を無駄にし、何も生み出すことができなかったことに対する恐怖である。

 より詳しく言うと、自分が受けてきたものを誰にも引き継ぐことができずに自分が土に還っていくこと、自分が授かったものも土に還してしまう恐怖である。

 このことからこうもりは、自分がいなくなった後のこの世にも、自分が受けたものを引き継いでくれるだろうという期待を残して死にたいと考えていることがわかった。

 

 一昨日「アルキメデスの大戦」を母に勧めて、母も気に入ったところで、映画の中身について話ができたのは満足した。

 そしてそれがきっかけで、祖父の思い出に話が及んだ。

 感想を語りたくなる映画を見出すのは幸せだと思うし、それで人と認識を共有して、相手とのつながりを確認できるもの別の幸せだ。

 それに、死後に人に思い出されるだけでなく、いろいろ考えさせることができる祖父は、もしあの世があるのであれば幸せに感じているだろう。

 

 これからは、一年単位で自分の人生を刻んでいこうと考えた。一年後自分は安らかな気持ちで後悔なく死ねるつもりで、生きようと思う。

 そして、自分なりに満足のいく1日を積み重ねることで、一年の死ぬ日を迎えようと思う。

 これが『葉隠れ2.0:武士道とは死ぬことと見つけたり』である。

 こうもりは武人ではないけれど。

 

 

 

無料コンテンツは清末期のアヘンと同じだという言葉が今ではよく実感できる。

寝ながらエロ動画に耽り、起きているほとんどの時間はYouTubeとAmazon Primeでひたすらお勧め動画を漁りながら、だれかの広告を刷り込まれる。

アヘンで中国人が身を持ち崩したように、これからの自分は無料コンテンツで身を持ち崩そうとしている。

 

気が付くと自分が何も生み出さない廃人になりかけていることに愕然としている。

莫大な時間を費やして、もう、エロ動画にもYouTubeにもAmazon Primeにも満足できない。

自分のことなのに、自分が何を求めているのかすらわからない。

何もできないだけでなく、何も思いつかないのだ。

来る日も来る日も、自分が求めているものを探して、ゾンビのようにひたすらお勧めと高評価を辿っている。

時間を極限まで浪費した挙句、広告めいたコンテンツにパクっと食いつく。

 

金を絞り取られる前に、時間を搾り取られる。

世界史の教科書に載っていた、横たわってアヘンに耽るあの中国人が自分の姿だ。

これは治療すべき事態だ。

まずは、時間から取り戻すところから始められるだろうか?

1. 死ぬことと生きること、今の自分


死ぬことと生きることを考えた結果、

見事に死ぬために生きたいと考えるようになった。

 

自分が死ぬことを考えると怖い。

その怖さを分析すると、以下になる。

・人生を無駄遣いしたという後悔に直面することが怖い

・なんの資産(金、家族)を作れなかった敗北感に直面することが怖い

・自分が何のために生まれてきたのかわからないまま死んでいくのが怖い

・親を幸せにできなかった無力感が怖い

自分が親や祖父からもらったものを誰にも引き継ぐことができない無念が怖い

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A:後悔、敗北感、わからないことを放置、無力感、無念、という要素が怖い。

BAが揃う状態は、自分のことが好きになれないという状態である。

C:自分を好きになろうとしても、すでに自分が何が好きなのか分からなくなっており、それが難しくなっている。社会に出てこれまで、自分の好きなことを優先せず、嫌いなことで蓋をしてきた結果、好きなことよりも楽な事を志向してきたからであろう。

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死に対処するにはC→B→Aの順になるだろう。

いざという死に際に、恐怖を持たないで死にたい。