お久しぶりです。


前回のオラソワの投稿から随分間が空きました。

転職やら子の受験やら気忙しくやっておりました。


色々ひと段落ついて、骨の髄まで疲れ果てめっきり老け込んだ自分への慰めに何するかと思い立った矢先、な、な、なんと京極堂シリーズ(百鬼夜行シリーズ)の最新刊「鵺の碑」が17年ぶりに出ていたことをキャッチ。


久しぶりのサイコロ本の厚みに嬉し泣きしながら夜を徹して読み、「エノさん外国人とテニスしてるだけじゃねーか」とは思いつつも懐かしさに涙し、これを機に京極堂シリーズ全部読み返そうと決意。

ええ、買いましたよ、紙で全冊。


で、実は「今昔続百鬼―雲(多々良先生行状記)」は未読だったことに今更気づいたわけです。

https://amzn.asia/d/93VWyf9


ねぇ、だってねぇ。

レギュラーメンバーあんまり出て来ないしさ。

多々良先生イケメン枠じゃないしさ。

読み飛ばしてたんです、ごめんなさい。


しかしこの度はシリーズ全て読もうと決めていたので、読みました。読みましたよ。


結論 最ッ高!!!


ストーリーが面白いのはそりゃ勿論として、私が最高に悶えたのは、多々良×沼上のカップリングですね。沼上×多々良でもよい。左右はこだわらん。

ええ、あえていいます「カップリング」です。


未読の方もいらっしゃると思うので一応ご紹介します(Wikipediaより)。

以下盛大にネタバレしておりますので、踏みたくない方はお戻りください。


多々良 勝五郎(たたら かつごろう)

「本作の主人公。在野の民俗学者。妖怪伝承を収集・研究している妖怪研究家。外見は「寸詰まりの菊池寛」に例えられ、寝癖のついた髪をしていて小柄で太っており、小さな眼鏡をかけている。」


沼上 蓮次(ぬまがみ れんじ)

「襯衣の上から刺し子の半纏を着て、兵隊服のズボンに兵隊靴か雪駄履きという、北国の漁師のような珍妙な格好をしている。復員後も軍隊生活で快適だと気付いた坊主頭のまま」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/今昔続百鬼――雲


・・・待って待って待って!

ビジュアルじゃないんだってこの二人は!

そりゃあファビュラスな最強グッドルッキングガイではないけどさ、五夏(五条悟×夏油傑)の方がビジュアル的にはソソるけどさ、それとは種類の違う良さが、彼らには、有るッ!



沼上君は、青春時代は仲間内で妖怪の同人誌作ってたようなナイスガイなんだけど、戦争で出征し当然それも中止に。

戦後、闇市で食い扶持稼ぐために働いているところ、ゴロツキに絡まれている(絡んでいる?)多々良先生に再会。

「無意識のうちに」その日1日分の稼ぎをゴロツキに渡し、多々良先生の代わりに謝り、多々良先生の手を取って走って逃げます。


スロモーションで再生されるドラマチックなこのシーン(小太りのおっさんと坊主だけど)。

大袈裟でなくこの瞬間に、沼上君は生まれ変わって、戦争と日々の生活で失っていた自分の人生を取り戻したのです(と思う)。


沼上君は、多々良先生のことを「迷惑の国から迷惑を広めに来た迷惑の王」と呼んでて、実際めちゃくちゃ迷惑かけられてて、時々殺意を抱くくらい頭に来てるのに、なんだかんだ二人でのフィールドワーク(という名の旅行)を生きがいにしていて、二人であーだこーだ旅程を立てつつ、必死に働いて旅行費用貯めてるの。

あゝなんて尊い。


旅行が始まった直後は楽しいんだけど、疲れてだんだん険悪になって、お互い意地張り合って心底多々良先生にイラつくのもまた古女房感出てて、良い。

いいんだよ、そんなもんだよ夫婦っていうのは(夫婦ではない)。


遭難しかけてやっと見つけた宿泊先で、疲れてて寝たいのに、妖怪談義ふっかけられて結局朝まで話し込んじゃうのも愛としか呼べないでしょ(cv堀内賢雄)。


事件に巻き込まれ、全部荷物取られちゃって、唯一残った宝物の「今昔百鬼拾遺・上之卷」を涙目で読み返す多々良先生に投げかける慈愛の籠った眼差し(たぶん)。


多々良先生のピンチには、「何故か」命を賭して助けに行っちゃうし。多々良先生が1人逃げ出してものすごくムカついてたのに、「そんな思いとは裏腹に」って!


ねぇ!こんなん!!


これが愛じゃないなら何を愛と呼ぶの!!!



多々良先生も多々良先生で、まあ迷惑なおっさんであることは間違いないんだけど、人の名前思い出せなかったり、会話に困ると、「ぬ、ぬ」って連呼するのね。

モチのロンで「沼上」の「ぬ」なわけよ。

何、何なの?!

多々良先生にとっても沼上君はナンバーワンでオンリーワンってことだよね?!


「そりゃいいですよ。ねえ沼上さん!」

「世の中は不思議だねえ、沼上さん」

って嬉しそうに沼上君に話しかけるのもかわいすぎるしさ(寸詰まりの菊池寛だけど)。


一冊通して何よりも好きなのは、


 ただ好きなのだ、 

 物凄く。 

 人も通わぬ山中に奇妙な祠を見つけると脈拍が上がる。土蔵の奥に煤けた神像を発見すれば動悸が高まる。村里に聞き慣れぬ太鼓の音が響けば血湧き肉躍る。古老の口から咄が流れ出れば心が弾む。それでどうしたとかどうするとか云うことはない。 

 ただ無性に嬉しくなる訳だ。 

 土の香りだとか鄙びた景色だとか、田舎神楽の音色だとか、朽ちたお堂だとか路傍の石仏だとか奇岩怪石だとか、そうしたものに直面した時に俺が覚えるのは、理性的な感慨や発見などと云う高尚なものではなくて、もっと感覚的な、悦楽や興奮の類なのである。


っていう沼上君のセリフ。


労働と生活で日々追いまくられ、やりたくてやってることなんかひとっつもなくて、「私の人生」を失いかけていた中年女は、これ読んで泣きましたよ、ええ。


祠やら岩やら、他人からしたら不要で無駄でしかないけど、沼上君にとっては理屈抜きで「好き」なこと。


そういう「好き」を追い求め、心踊る不要・無駄に情熱を注ぐ。

おっさんが2人して岩見に行ったって、何の役にも立たなけりゃ、生産性もへったくれもありゃしない。

でも、これこそが「生きる」ってことなんだと、思う。


世間にとっては不要・無駄な「好き」を、多々良先生と分かち合って、笑って喧嘩して仲直りして旅をしながら生きていく。

これもう2人添い遂げてるよね??



しかし大変残念なことに、


京極: 多々良先生は「今昔続百鬼」という短編シリーズの主人公です。これ、続編も用意していたんですが、なぜかどこも書かせてくれない(笑)。

https://kadobun.jp/feature/interview/174.html


どうして?!なんで?!

先生、私待ってます、心の底から待ってます。

続編ぜひお願いします。



なお、私は頭のイカれた二次創作大好き女なので、当然、多沼(多々良×沼上)、沼多(沼上×多々良)を血眼になって探したのですが、二人が旅するイラストを一つ見つけられた以外は発見できていません。

いやーそのイラストの尊かったこと尊かったこと。


どなたかぜひ多々良沼上書いて描いてください。切に切にお願いします。