2018年4月7日(土)、4年半ぶりに窯焚きを再開する。その経緯と総括はこちらへ。
<目次>
仕事が教えてくれる
仕事には段階、あるいは手順というものがある。一つのステップをクリアしないと、次に進めない。そのことをこの間、したたか感じさせられ、考えさせられた。数々の失敗を通して・・・。仕事から学んできた、と言ってもよい。
戦後における紅型(ビンガタ)復興の立役者で、今は亡き城間栄喜さんから聞いたのが「仕事は大通りでせよ」という話。道行く人たちが「教えてくれる」というのだ。わたしの場合で言えば、「大通り」はさしずめ「展示会」に当たる。グループの展示会が4月8日から6日間の日程で那覇市で行われる。「展示会」も「仕事の場」なのである。観てくれるお客さんが「教えてくれる」ことを期待したいし、そのような「作品」をつくりたい。
「教訓」をもうひとつ、これは壺屋のシーサー名人・島常賀さんの口癖で「シキノー・ティーウィー」。直訳すれば「世間が手は上」、意訳だと「世間に自分より上手はいくらでもいる」ということになる。壺屋焼のベテランで旧知のS氏に、電話でカラカラとアンビンの注ぎ口のつくり方を聞いてみた。わかったこと。カラカラの注ぎ口は、口を細くし、直立に近いぐらいに取り付けた方が切れはいい、という。
たしかに手元の「資料」をあらためてながめてみるとそうなっている。「好みのデザイン」ではいけないのである。こんなことに気づかなかったのかと思うぐらいだ。S氏によればアンビンの注ぎ口だと、取り付け角度は70°ぐらいがいい。ロクロは、袋から首に移る時点で回転を速くして一気に引き、その後回転を遅くしてまとめる。聞き損じたが、注ぎ口内部がなめらかに引けて水の流れに勢いがつき、切れもよくなるということだろうか。
当然ながら「独学」にも限度がある。「仕事が教えてくれる」のはいうまでもないが、吉田兼好がいうように「先達」はやはり必要なのである。「時間」がほしい。(2008.03.06 Thu 23:49) <目次>
仕事には段階、あるいは手順というものがある。一つのステップをクリアしないと、次に進めない。そのことをこの間、したたか感じさせられ、考えさせられた。数々の失敗を通して・・・。仕事から学んできた、と言ってもよい。
戦後における紅型(ビンガタ)復興の立役者で、今は亡き城間栄喜さんから聞いたのが「仕事は大通りでせよ」という話。道行く人たちが「教えてくれる」というのだ。わたしの場合で言えば、「大通り」はさしずめ「展示会」に当たる。グループの展示会が4月8日から6日間の日程で那覇市で行われる。「展示会」も「仕事の場」なのである。観てくれるお客さんが「教えてくれる」ことを期待したいし、そのような「作品」をつくりたい。
「教訓」をもうひとつ、これは壺屋のシーサー名人・島常賀さんの口癖で「シキノー・ティーウィー」。直訳すれば「世間が手は上」、意訳だと「世間に自分より上手はいくらでもいる」ということになる。壺屋焼のベテランで旧知のS氏に、電話でカラカラとアンビンの注ぎ口のつくり方を聞いてみた。わかったこと。カラカラの注ぎ口は、口を細くし、直立に近いぐらいに取り付けた方が切れはいい、という。
たしかに手元の「資料」をあらためてながめてみるとそうなっている。「好みのデザイン」ではいけないのである。こんなことに気づかなかったのかと思うぐらいだ。S氏によればアンビンの注ぎ口だと、取り付け角度は70°ぐらいがいい。ロクロは、袋から首に移る時点で回転を速くして一気に引き、その後回転を遅くしてまとめる。聞き損じたが、注ぎ口内部がなめらかに引けて水の流れに勢いがつき、切れもよくなるということだろうか。
当然ながら「独学」にも限度がある。「仕事が教えてくれる」のはいうまでもないが、吉田兼好がいうように「先達」はやはり必要なのである。「時間」がほしい。(2008.03.06 Thu 23:49) <目次>
きっかけ
1973年4月、沖縄県立博物館に工芸担当の学芸員として就職して以来30余年。いくつかの関係・職種や職務内容を遍歴。内容の強弱に違いはあれ、一貫して「工芸」=「モノづくり」に関わってきた。ただ、いずれにせよ、関わり方は調査・研究→物書き(言い換えれば「第三者」)としてのスタイルであり、その意味では終始隔靴掻痒の思いを抱いていた。
最後の公職となる那覇市立壺屋焼物博物館(準備室長および館長)を7年間勤めたところで公務員歴30年。57歳で「勧奨退職」し、窯造りに入る。念願の「モノづくり」スタート。
公務員(専門職)・物書きというスタイルは、身体レベルで見れば、運動不足=不健康極まりなし、それが「心」の問題にもはね返る。そこで「老後」を控えて「新しい生き方」を考えると、「身心」バランスのとれた仕事、それもこれまでの見聞を生かした仕事をしたい・・・。となると、「陶芸」しかなかった。それも、この間の研究と実感からして陶芸の「原点」からスタートしたい、という意味では、窯造りから始める他なかった。
経緯および今後
あくまでも、どこまでも「沖縄」にこだわるというのが基本的なスタンス。その意味ではまず、沖縄の焼物の「伝統」へのこだわり。次に沖縄の「素材」へのこだわり。壺屋他の「伝統」を踏まえながら、沖縄の①「焼き」=薪窯、②土(→陶土)や③釉薬(まずは、鉄系統および灰系統)の素材の追体験・開発・活用。この三つは沖縄の焼物のアイデンティティを探り、作り出したい、という私の「ひそかな」願い=決意に基づいている。
窯は土と焼きのみにこだわる「穴窯」形式と、釉薬物を主目的とする登窯の折衷方式を自作。
陶土は融点が高く、釉薬が熔ける温度に達しても形を維持できる(壺屋でいうジョーヤチ)土ということでヤンバルの各種原土、壺屋の伝統的なアラヤチの原料である本島南部産ジャーガル・島尻マージなどを入手し、それぞれ配合比を変えながら自前の陶土づくりの実験を繰り返してきた。
一方、釉薬の原点は「鉄」と「灰」。そこで、本島北部から産出する鉄分の豊富な石や本島南部の土=クチャを他の県産釉薬原料と配合比を変えながら、あるいはガジマル、チャーギ、アカギ、リュウキュウマツ、ヒルギ、イスノキ、ワラなどの灰をつくり、同じく県産釉薬原料と配合比を変えながら各種釉薬をつくり、「実験」を続けてきた。「緑釉」については壺屋伝統の真鍮クズをベースにした方法を参考にしながら、オリジナルな配合を追及。つくった各種釉薬を単独で、あるいはそれぞれで組み合わせての施釉→焼成実験も繰り返してきた。
先だって10回目の窯焚き終了。今回の「実験」テーマは、自前の窯の自前の「焼き方」の仕上げが第一。次に、これまでつくってきた陶土と各種釉薬の総合実験。結果から言えば、そのいずれも今回の窯焚きで方向性が確定。
陶芸の世界では、焼き上がりの結果を判定する基準=順位として「一焼き 二土 三細工」といわれる。その意味ではこの間、「焼き」と(釉薬を含む)「土」にこだわって「実験」を継続してきたが、ようやくこの二つに目途がついた。その意味ではようやく「細工=つくり」に専念できる態勢に移れるということである。
オリジナルな形=渡名喜明の形=型を求めるのが最終になるとはいえ、その前に絵画でいう「デッサン」を徹底的に、というのが今の段階。そこで、形づくりのアルファでありオメガでもあると私が考えている「碗」づくりをベースとしながら、この間「沖縄の形」であるカラカラ、ウニヌティー、嘉瓶(ユシビン)、渡名喜瓶、アンビンなどを壺屋・壺屋系の先輩たちの作品に学びながら試作を続けてきた。「焼き」、「土」、「釉薬」にようやく見通しがついた今、今後は「つくり」に専念できる、という意味では今ようやく第二のスタートラインに着いたということになる。
今回の焼成「作品」および10月下旬に予定している11回目の窯焚きの「結果」を合わせて、11月下旬27日(土)、28日(日)に工房向かいのギャラリー「杜ぐすく」で、「第1回個展:陶芸の原点を求めて」を開催予定。翌29日には65歳、法令上は「高齢者」の仲間入り、「老いてはいられない」という決意表明の展示会にしたいと張り切っている。
現況
魯山人に倣うなどという思いは毛頭ないが、「使える器、仕える器」を標榜している今のモノづくりからして、自らの手で料理を、というのはある意味で「必然」。これが予想以上の「成果」をあげている。極端な言い方かも知れないが、この2年間の「もうひとつの実験」で「人生観」が変わったといえるほど。この経験は間違いなく私の「陶芸」にプラスになると思っている。他には読書、音楽、IT放浪、ブログ書き、ウォーキング、野菜づくり、小鳥や虫・風との対話が日々の日課。時に訪ねてくれる友人・知人たちとのとりとめもない、時に真剣な陶芸談義、時たま工房で開く気心の知れた人たちとの手作り料理「品評会」が楽しみ。最近、「三線」を始めたいという思いしきり!
その他
1945年11月29日。東京生まれの沖縄育ち。最終学歴:大学卒。肩書き:昔はいくつもあったが、今は「明王窯主宰」のみ。受賞歴:陶芸に限定すれば無し。公募展に出品する「意思=意欲」もない。私の「作品」の「審査員」は、料理好きの主婦と「肩書き」のない陶芸ファンで十分と思っている。
( 作成日時 : 2010/06/24 19:13)
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版画家棟方志功の「益子近々況」(『古美術読本(一)陶磁』2006、光文社)に、濱田庄司が益子に通っていたころの仕事ぶりが書かれている。地元の陶芸家佐久間藤太郎の母堂の談である。
いつも、ゴロンと仰向になつて、頭を両手に組んで置いて、足を一本組んで、天井を見てゐましたよ。何を考へてゐるのか、何を思ふてゐるのか、わたくし達には分かりませんでしたが、時々ウナッたりしてゐました。ーそうしたかと思ふと窯場に行って、火もない寒いところに立尽くしたりしてゐました。わたくし達は、オカシナ御方が参つたもんだと思ふてゐましたら、サア、こんどは、朝から夜まで、夜から朝まで土とケンカしてゐた様でした。・・・ナリもフリも、何もなく、このキタナイ、わたくしの家で、みんなと同じ生活をしてくださつた事が、思い出されます。
棟方さんも少し、濱田先生の若い頃に似たところもあつて、見込がありますから精々、べんきょうといふものをしる事です。
焼物であれ、文章であれ、何事かを「創る」という作業(「べんきよう」)は、はたから見ると変わらない(オカシイ)んだなあ、と思っておかしくなった。棟方が苦笑いしている様子が、目に浮かぶ。私には、こんなことを言ってくれる<母親>(に当たる人)はいない。自分に「見込」があると決めてかかって「せいぜい」、「勉強」するしかない。(2008.02.02 Sat 05:27)
陶芸家富本憲吉に「野菊の茶碗」という小編がある。光文社刊『古美術読本(一)陶磁』に収録されている。その文章に、ロクロ引きについて述べた陶芸家ならではの吐露がある。「古い陶器を買わない」という「私だけの規定を破って」、「田舎町の汚ない古道具屋で、埃にまみれ」ていたのを「買い取って」、手元に置いてあるという5個の茶碗について書いた文章である。その一部を再録するが、旧仮名遣いなどは私の独断で読みやすいように改めさせてもらう。
古い時代のものでたとえば古瀬戸のものは、それがたとい小さい茶壺であっても、ロクロを扱う使い方も作者の心持ちもすべてほとんどそのままおもしろく、面にも線にもあるいは膨らみにも凹みにも、生きて動いているごとく私には感じる。これを私は自分だけでロクロが生きていると呼んでいる。私の今の感想からいえば、<土が求めるままに>、<過不足なく>引く、というのが「第一条件」だと思われる。「ただし」、「それだけでは」「美しい形も文字もできない」。その<次>の条件について、富本は土味や「文字」=模様の筆致、釉がけや焼きの味などに言及するが、ここでは省略する。(2008.01.30 Wed 21:44)
まわるロクロの上で内側から外側に力が働いて膨らみができ、その反対に力が働いてへこみができる。その力が働いたまま少しも手を加えられずにおかれたものは、たいていの場合強い。たとえば小児のかく文字は形は備わらないが、いつも力は強い。ちょうどそれは、引き上がったなりのロクロに等しい。それだけではただ強いだけで美しい形の壺も文字もできない。しかし、加筆しない、または一気に引き上がった壺の形に手を加えないことが美しいものをつくりあげる第一の条件でなくてはならぬ。
その第一条件から本当の美しい事が生まれる。凹凸の割合、面の変化、それより進めば互いの勉強とその人の特質によって強い文字もうららかな文字もできあがる。・・・必要以外に手を加えず、豊満な膨らみを小さい高台に安定させている美しさ、私はロクロだけについてもこの作者に頭が上がらない。そしてその美に酔う。
標語ー道は無窮なり (2010/10/16) ホーム
学道の用心、本執(もとから持っている執着)を放下(なげすてる)すべし。身の威儀(行・住・座・臥)を改むれば、心も随って転ずるなり。
学道の人、若(も)し悟りを得ても、今は至極と思うて行道を罷(やむ)るなかれ。道は無窮なり。さとりてもなほ行道すべし。
水野弥穂子訳『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫)より
シーサーづくり (2010/11/06)
シーサーづくりに入る。これも器づくりと同じで、まずは「古典」作品や名人のそれを参照しての「デッサン」=模作から開始。
※余計な・・・、ことながら。ゴーヤーを「ゴーヤ」と「勝手に」呼んだり、記述する人たちがいるが、地元からすれば明らかなミス。もちろん「シーサー」はどこまでも「シーサー」であり、「シーサ」ではない。「シーサ」は「すっぱい」の名詞形で、まるで意味が違う。さいわい!シーサーを「シーサ」と呼んだり、表記した事例はまだ知らない。
手始めは、壺屋におけるシーサーづくりの名人で、今日のシーサーブームの基礎を築いた島常賀さんの作品の「デッサン」から。シーサーは大別して蹲踞型のホーヤーシーサーと、頭部のみのチブルシーサー、面づくりの面シーサーに分かれるが、まずはチブルシーサーで試作を始める。
つくりかたは、大きな壺や甕をつくるのと同じく土紐を足しながら輪郭をつくる方式。かたわらに、同じくシーサーづくりの名人として知られたこちらも壺屋の石川喜進さんのチブルシーサーを置いて、見比べながらの試行錯誤。おふたりともすでに故人となられたが、お元気のころに親しくお付き合いさせていただき、ご両人からは、作品も何点かいただいている。モデルや参考にした作品もそのなかから。ご両人のお話や表情を思い浮かべながらの制作となり、ついつい、ご存命だと何とおっしゃるだろう、そうなら助言も仰げたのに、などと考えてしまうが、それがシーサーづくりを介したお二方との対話の再現に連なり、楽しいひと時ともなる。
1週間ほどでチブルシーサーをとりあえず仕上げて、ホーヤーシーサーにとりかかる。チブルシーサーづくりにおける要点は頭部の骨格をどうつくるかにあり、巻き毛でどうまとめるかで決まるが、ホーヤーシーサーだと、留意点が増える。
まず、「全身」の骨格をどう把捉するか、次に動きのある筋肉のつくり、言い換えれば躍動感をどう表すか。
そして、どの形であれ共通するのは、憤怒の面貌。これはシーサーが「魔除け」の機能を付されているためである。歴史的に見れば、当初与えられていた役割は「王権」の護持。中国の民俗の導入で、時期的には明らかなところで1400年代末期。具体的には王城や王稜、国王の菩提寺の守護を任務とした。この思想が民間に伝わって「火災除け」の役割を担うようになり、近年は「邪霊」一般の忌避、そして「守護獣」へと変化している。最近は「オカシーサー」、「タノシーサー」などのマスコット的シーサーまで現れ、観光みやげとして県外にも「進出」している。
阿吽の2像で構成されるが、受容当初の形は雌雄に分かれ、オスはひも付きの毬と戯れ、雌は子獅子をあやす姿。このあたりは後日追記することにしよう。つくったのは、チブルシーサーが口を開いた阿像、ホーヤーシーサーは吽像。蛇足ながら五十音が「あ」で始まり、「ん」で終わるのも、この思想に基づく。はじめと終わりを連ねることで「全」を表す。
、
本題にもどろう。ホーヤーシーサーは5日ほどで仕上がる。出来上がりの所感で言えば、わたしがつくったチブルシーサーやホーヤーシーサーは「張子のシーサー」。表情は「おとなしく」、「動き」がない。これにくらべてご両人の作品に見られるのは、形から動きまで「大胆かつ細心」なつくり。違いは当然ながら一目瞭然である。
とはいえ、同じ形、同じ大きさの器づくりを旨とするロクロ引きに「飽きて」きた昨今だったし、冬場は水を使うロクロ仕事がきついので、仕事の機軸をこちらに移すことにする。
そして、念願!の仏像づくりも併行して始める。手法はシーサーづくりと同じ。目下、室生寺の釈迦如来像の写真を何枚か並べて頭部像を制作中。こちらについては、日を改めてご報告することに。
仏像づくり (2010/11/14)
器づくりに一通りの見通しがついたら、次はシーサーづくりへ。そして、こちらもとりあえずの形を作れるようになったら次は仏像づくりへ。
というのが当初からの方針。ところが考えてみると、両者には共通点が多い。まじは「骨格」を想定したおおまかなつくり。これはデッサンで言えば、対象を球や円柱などで構成してみるのに似ている。次に「肉付け」。そして部分・細部の細工。
木造仏だとひたすら削る一方で、削りすぎたら元に戻せない。ところが土による造形だと、基本は足していく作り方。ありがたいことに削ることもできる。足したり、引いたりの造形というのは、「彫刻」の素養や経験がなくてもとりかかれるという意味でありがたい。
シーサーだと壺屋の名人のそれの収集品が若干あるし、実物も随分見てきたから、とっつきにくい、という思いはない。ところが仏像だと、沖縄では「本土」ほど仏教になじみがないし、古いお寺もない。お寺は葬式に行くところで、参詣して仏像を拝むという習慣もない。博物館・美術館で仏像にお眼にかかることもほとんどない。道に地蔵さんが立っているわけでもない、・・・。したがって私の窯の名「明王窯」を「みょうおう」と読める人は少ない。「お不動さん」など見たことも聞いたこともない人がほとんどである。
そんなわけで、参考にするのは集めておいた写真集や仏像の見方・作り方についてのマニュアル本だけ。他に見たい仏像はグーグル・画像で検索し、写真印刷。
作り方はシーサーと同じくひもづくり。最初に手がけたのは、前回予告したように国宝に指定されている室生寺の釈迦如来像の頭部。男前の仏さまで、とくに横顔がいい。頭部の螺髪(らほつ)は脱落しているが、他の如来像を参考にしながら「復元」することに。
シーサーのように輪郭に凹凸が激しくないので、当初はさして時間がかからないと見積もっていたが、なかなかどうして。だからこそ表情をつけるのがむずかしい。写真を見たり、図面を見たり、自分の頭をさわってみたり、顔をなでてみたり、鏡をみたり・・・、しながらの試行錯誤が続く。
今日でようやく唇と眼の輪郭ができあがる。制作過程はまさに発見の連続。この後のつくりとしては、不動明王坐像、次いで地蔵立像、さらに仁王像、そして第1回の「まとめ」として観音立像を予定している。当面、ともかく「つくってみる」ことに専念。それでも相応の時間を必要とするだろうし、シーサーづくりと並行するので、なおさら。並行してつくることで、「意気込み」や「構え」のバランスがとれるので、どちらかに集中するつもりはない。
次回から、この間の所感をおいおい記すことにする。
仏像づくりと私 (2010/11/16)
「お釈迦さま」の眼をつくり!、口をつくる! 陶芸の小道具で削りだしていく。時に足しもする。そのつど微妙に表情が変わっていく。一削りは、その場で止まらない。必ず隣の削りを呼ぶ。そしてさらに次の削りへ、あるいは次の足しへ、・・・。
目から鼻へ、鼻から口へ。あるいは目から眉へ、眉から眉間へ、さらに眉間から額へ、・・・。目から頬へ、頬から耳へ、・・・。当たり前のことではあるが、要するに顔のどの部分も隣り合わせの部位と、あるいは顔全体と<連動>して<顔つき>と<表情>を構成しているのである。
仏の顔つきー一般に<体つき>ーと、顔ー一般に身体ーの<表情>は、何を示しているのか。
阿弥陀如来像や薬師如来像のように「特定」の思想を併せ持つ「如来」はひとまず置くとして、釈迦如来像の場合は、彼が説いた<思想>一般を、文字通り<体>で<現して>いる、と解することができる。したがって、私にとって<釈迦如来像をつくる>とは、私が釈迦の思想をどう理解し、それを<言葉>ではなく、私の<体>を「用いて」いかに表現するか、ということと同義である。なまやさしいことではない。
今の私に「生」がある限り、その意味でまちがいなくいつか「死」を迎えることを定められている限り、「生死を越える」ことを説く仏教思想と離れることはできない。そのことを「言葉」と「ともに」「つくり」で問い続けていきたい、というのが現況であり、心境である。
それでは、釈迦の思想とは何か。「智恵と慈愛」の2語にに要約されると思っている。「智恵」とは釈迦が到達した「真理」であり、「慈悲」とはその真理をもとに、「生きとし生けるもの」をことごとく救わんとする「無限の愛」である。
釈迦が説いた「真理」とは何か。
あえてギリシャ哲学風に言えば、「万物は流転する」ということである。人間を含めた森羅万象は、ひとつとして同じままで在ることはないし、在ることもできない。そしてこの「私」という1個は、私という「1個」に止まらない。森羅万象=宇宙の「道理」をこの一身に体現していて、その一員である人類と人間の「生=可能性」と「死=不可避性」を一点に集約して生きている。
「私(たち)」の次元で言えば、私(たち)は変わるし、変わる他ない。そして同時に「変わることができる」、・・・。言葉を変えて言えば、私(たち)は「変われるから生きられる」のである。「可変性」は「可能性」の別名である。
日々表情を変えていく「仏」と向き合い、対話を重ねている今の私には、私自身が「日々変わっている」という実感がある。この実感が、だからこそ今日も明日も「生きられる」という確信を支えてくれている。
釈迦が説く「真理」の対極に置かれるのが、私(たち)「衆生」の体内に潜む「三毒」である。貪欲(むさぼり)・瞋恚(しんい=怒り)・愚癡(ぐち=仏の真理を知らないこと、無知)の三つで、略して「貪瞋癡(とんじんち)」という。「衆生の善心を害する、もっとも根本的な3種の煩悩を毒にたとえたもの」(岩波書店『仏教辞典』)のことである。
「仏と向き合う日々」はまた、おのれの「三毒」と向き合う日々でもある。
仏の顔 (2010/12/01)
釈迦如来頭像。

「とりあえず」出来上がったつもりで、写真を撮ってみる。そうすると何と、というべきか、やはり、というべきか、特定はできないものの「誰か」に「似ている」のである。
特定の誰かに似ては困るのである。それでは「彫刻」でしかない。まだしも、見る人誰もが「自分に似ている」と思ってくれるのがいい。
仏の「智恵と慈悲」が、人間の「形」をとって表わされたのが釈迦如来像だとすれば、歴史上の釈迦(釈迦という仏)と時代を越えた釈迦(仏としての釈迦)の両面が、その表情に現れていなければならない。
そんな「形」を一個人(一人の人間)が表しきれるだろうか? 答えは不明だが、問い続けることはできる。時間はかかりそうだが、時間をかける値打ちはあると思っている。
近々、菩薩像も手がける。菩薩とはわれわれ衆生と仏の「媒介者」である。人間の個性と普遍性を体現する両義的存在である。仏とは何かを問うことは、同時に衆生とは何かを問うことである。菩薩の「形」に迫ることは、この両義性=二重性を問うことと同義である。
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今日の標語 (2010/07/02) ホーム
この世界では
継続と前進は同義語である。
歩きながら考える、考えながら歩くことを前進という。前進の先に発見があり、成果がある。
今日の標語あるいはアフォリズム (2010/08/13)
問題の発生を、問題とするべきではない。
なぜなら、「発生」はすでに「解決」を内包=志向しており、解決=発見の楽しみをいただいた、と思うべきである。
問題はむしろ、問題がないとすることだ。
ブッダの言葉から (2010/09/17)
<世界(=真理)>を獲得するためには、<道>が必要である。道程自体が、しばしば<世界>である。
今の私に、その手引きとなるのは「ブッダの言葉」である。そこで、中村元著『原始仏典を読む』(岩波書店)を手がかりとして、同訳『ブッダのことば』『真理のことば・感興のことば』『ブッダ最後の旅』(いずれも岩波文庫)をめくりながら、私なりの「感興の言葉」を抜き出してみたい。
まず「修行」ということ。修行者を「真の道の人」(バラモン)と呼ぶ。
・無想のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢を捨てよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。(『ブッダの言葉』342)
・能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。(『同』143)
ブッダは何も目新しいことを言っているのではない。むしろ「あたりまえ」のことを言っているのである。そして「あたりまえ」に生きることが、いかにむずかしいか。
・妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。(『同』849)
・河底の浅い小川の水は音を立ててながれるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。(『同』720)
ブッダの言葉から2ーこよなき幸せ (2010/09/19)
・尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。(『ブッダのことば』265)
「教え」とは、<真理>のこと。教えを聞くということは、「学ぶ」ことである。
・耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の<道の人>に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。(『同』266)
「学ぶ」とは「結論」=真理に至る<行>である。結論を得られるまでの「時間」を「耐え忍ぶ」こと。得るために「教え」を説く「道の人」を求めること、その「出会いの時」=「適当な時」に至るまでの時間を耐え忍ぶこと。学ぶとは、耐え忍ぶことと同義の「行」である。
もちろん、「人」には過去の人=先人が含まれるし、「人」をモノ、古今の優れた「作品」と置き換えることもできる。
「学んだ」状態とは何か。
・深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、ーこれがこよなき幸せである。(『同』261)
近況ー身体づくり3 そして、なぜブログ? (2010/09/29)
血圧・体重・体組成測定から
ちょうど去年の今頃、「特定検診」の結果を受けて、血圧を下げ、体重(体脂肪)を減らし、筋力をアップするという方針を立て、個人用血圧計と体重体組成計を購入し、測定結果を毎日記録に残すことを「決意」し、実行に移す。「料理(食事)づくり」も、この線に沿った方向に軌道修正。同時に、恒常的なウォーキングと合間の柔軟体操も開始。測定結果の記録を開始したのは、9月30日。
・すでに報告したところだが、昨年の病院での血圧測定が144-84。医者の判定はD。購入した血圧計の測定でもほぼこの値。すでに「標準値」を超えて「高血圧」の仲間入りをしたこと示している。
・今日の大腸の内視鏡検査における事前の血圧測定で120-80。2週間前の検診では118-70。個人の測定でも昨今はその前後。この値は「至適血圧」と「正常血圧」の境界にあり、結果として私の1年間の「血圧降下作戦」は成功したことになる。
・体重は、1年前の体重体組成計の測定だと70㎏前後、昨日今日の測定では64㎏前後で、1年間で6㎏の減量を果たしたことになる。体脂肪率は、病院の測定値で昨年の24.7から19.3に下降し、標準値に戻る。これも前回報告したことではあるが、医者・看護士からこれ以上の減量は控え、この体重をキープするように、との助言。
・体重に占める骨格筋(運動などで増やすことができる)の比率、すなわち骨格筋率は、31.5前後から34前後にUPして、「低い」から「標準」に移行。
胃・肺・大腸・腎臓他の検査から
・昨年のバリウム検査で胃は判定C、「要観察」。
・肺は昨年、今年とも異常なし。
・今年のバリウム検査結果では「胃食道逆流症の疑い」ありとして「要精査」。20年ぶり?に胃カメラの検査を受ける。鼻からの器機導入で胃からミニポリープを2個摘出。「胃食道逆流症」はなし。
・大腸は昨年が「要再検」となったため、内視鏡検査。5個のミニポリープが見つかり、そのうち4個を摘出。1個は除去しにくい箇所にあるとして「要観察」。今年の便潜血反応もそのせい?か。そこで、今日の大腸の内視鏡検査。結果は昨年の分に新発見のそれも含めて3個のミニポリープを摘出。
・医者の話ではポリープができやすい体質かも、と。毎年内視鏡検査を受けることを勧められる。
・胃カメラが喉から十二指腸まで、大腸カメラが盲腸まで検査できることを知ったので、次回から毎回内視鏡検査を受けることにした。腎臓についてはCRT検査の結果嚢胞があるものの、特に問題なし。前立腺肥大なし。
・摘出したポリープの組織検査の結果を待たねば結論はでないが、とりあえずは一安心。
「身体づくり」とは、血圧と体重、「体組成」を「標準=正常」な値に戻すことと併せて、正常な内臓を維持すること。そのことをあらためて認識したこの2週間であった。
ところで、今さらながら、「なぜ人は日記を晒すのか」(岡部敬史『ブログ進化論』、講談社)。
私にとって、日々の暮らしと思考の「中間総括」をその都度ブログにまとめ、第三者に公開している理由は、今のところ以下の通り。
まずは、公開を前提とする、あるいは読者を想定するからには、常に「正確」かつ「適格」な記述を意識し、続けなければねばならないこと。結果として、それが思考力=筆力の維持と練磨につながるとともに、「客観的」な記述が日々を生きるための「記録」として、何よりも自分自身のためになるということ。以上の三つである。そもそも、一人用の「日誌」では、これほど文章に推敲を加えることは、私の性分や経験からしてまずない、・・・のである。
そんなことを再確認した2週間でもあったが、それが検診・精査の「もうひとつの成果」となっていることもここで確認しておきたい。
この世界では
継続と前進は同義語である。
歩きながら考える、考えながら歩くことを前進という。前進の先に発見があり、成果がある。
今日の標語あるいはアフォリズム (2010/08/13)
問題の発生を、問題とするべきではない。
なぜなら、「発生」はすでに「解決」を内包=志向しており、解決=発見の楽しみをいただいた、と思うべきである。
問題はむしろ、問題がないとすることだ。
ブッダの言葉から (2010/09/17)
<世界(=真理)>を獲得するためには、<道>が必要である。道程自体が、しばしば<世界>である。
今の私に、その手引きとなるのは「ブッダの言葉」である。そこで、中村元著『原始仏典を読む』(岩波書店)を手がかりとして、同訳『ブッダのことば』『真理のことば・感興のことば』『ブッダ最後の旅』(いずれも岩波文庫)をめくりながら、私なりの「感興の言葉」を抜き出してみたい。
まず「修行」ということ。修行者を「真の道の人」(バラモン)と呼ぶ。
・無想のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢を捨てよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。(『ブッダの言葉』342)
・能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。(『同』143)
ブッダは何も目新しいことを言っているのではない。むしろ「あたりまえ」のことを言っているのである。そして「あたりまえ」に生きることが、いかにむずかしいか。
・妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。(『同』849)
・河底の浅い小川の水は音を立ててながれるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。(『同』720)
ブッダの言葉から2ーこよなき幸せ (2010/09/19)
・尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。(『ブッダのことば』265)
「教え」とは、<真理>のこと。教えを聞くということは、「学ぶ」ことである。
・耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の<道の人>に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。(『同』266)
「学ぶ」とは「結論」=真理に至る<行>である。結論を得られるまでの「時間」を「耐え忍ぶ」こと。得るために「教え」を説く「道の人」を求めること、その「出会いの時」=「適当な時」に至るまでの時間を耐え忍ぶこと。学ぶとは、耐え忍ぶことと同義の「行」である。
もちろん、「人」には過去の人=先人が含まれるし、「人」をモノ、古今の優れた「作品」と置き換えることもできる。
「学んだ」状態とは何か。
・深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、ーこれがこよなき幸せである。(『同』261)
近況ー身体づくり3 そして、なぜブログ? (2010/09/29)
血圧・体重・体組成測定から
ちょうど去年の今頃、「特定検診」の結果を受けて、血圧を下げ、体重(体脂肪)を減らし、筋力をアップするという方針を立て、個人用血圧計と体重体組成計を購入し、測定結果を毎日記録に残すことを「決意」し、実行に移す。「料理(食事)づくり」も、この線に沿った方向に軌道修正。同時に、恒常的なウォーキングと合間の柔軟体操も開始。測定結果の記録を開始したのは、9月30日。
・すでに報告したところだが、昨年の病院での血圧測定が144-84。医者の判定はD。購入した血圧計の測定でもほぼこの値。すでに「標準値」を超えて「高血圧」の仲間入りをしたこと示している。
・今日の大腸の内視鏡検査における事前の血圧測定で120-80。2週間前の検診では118-70。個人の測定でも昨今はその前後。この値は「至適血圧」と「正常血圧」の境界にあり、結果として私の1年間の「血圧降下作戦」は成功したことになる。
・体重は、1年前の体重体組成計の測定だと70㎏前後、昨日今日の測定では64㎏前後で、1年間で6㎏の減量を果たしたことになる。体脂肪率は、病院の測定値で昨年の24.7から19.3に下降し、標準値に戻る。これも前回報告したことではあるが、医者・看護士からこれ以上の減量は控え、この体重をキープするように、との助言。
・体重に占める骨格筋(運動などで増やすことができる)の比率、すなわち骨格筋率は、31.5前後から34前後にUPして、「低い」から「標準」に移行。
胃・肺・大腸・腎臓他の検査から
・昨年のバリウム検査で胃は判定C、「要観察」。
・肺は昨年、今年とも異常なし。
・今年のバリウム検査結果では「胃食道逆流症の疑い」ありとして「要精査」。20年ぶり?に胃カメラの検査を受ける。鼻からの器機導入で胃からミニポリープを2個摘出。「胃食道逆流症」はなし。
・大腸は昨年が「要再検」となったため、内視鏡検査。5個のミニポリープが見つかり、そのうち4個を摘出。1個は除去しにくい箇所にあるとして「要観察」。今年の便潜血反応もそのせい?か。そこで、今日の大腸の内視鏡検査。結果は昨年の分に新発見のそれも含めて3個のミニポリープを摘出。
・医者の話ではポリープができやすい体質かも、と。毎年内視鏡検査を受けることを勧められる。
・胃カメラが喉から十二指腸まで、大腸カメラが盲腸まで検査できることを知ったので、次回から毎回内視鏡検査を受けることにした。腎臓についてはCRT検査の結果嚢胞があるものの、特に問題なし。前立腺肥大なし。
・摘出したポリープの組織検査の結果を待たねば結論はでないが、とりあえずは一安心。
「身体づくり」とは、血圧と体重、「体組成」を「標準=正常」な値に戻すことと併せて、正常な内臓を維持すること。そのことをあらためて認識したこの2週間であった。
ところで、今さらながら、「なぜ人は日記を晒すのか」(岡部敬史『ブログ進化論』、講談社)。
私にとって、日々の暮らしと思考の「中間総括」をその都度ブログにまとめ、第三者に公開している理由は、今のところ以下の通り。
まずは、公開を前提とする、あるいは読者を想定するからには、常に「正確」かつ「適格」な記述を意識し、続けなければねばならないこと。結果として、それが思考力=筆力の維持と練磨につながるとともに、「客観的」な記述が日々を生きるための「記録」として、何よりも自分自身のためになるということ。以上の三つである。そもそも、一人用の「日誌」では、これほど文章に推敲を加えることは、私の性分や経験からしてまずない、・・・のである。
そんなことを再確認した2週間でもあったが、それが検診・精査の「もうひとつの成果」となっていることもここで確認しておきたい。
