毎月『シナリオ』を買っているので、映画作品のシナリオを読む機会はあります。
このところ、一つ引っ掛かる点があるんですよ。
この号では新人シナリオコンクールにおける審査員の方々の寸評があり、その中の一人も言っていた事なんですがね。
どうして、こうもセックス描写が多いんだと。
これは劇場公開される作品、つまりプロの人達もやってる事なんですが、いわゆる濡れ場なしにお話を描き切れないのかと疑問でしょうがない。ついでに言えば、ト書きも必要以上に多いし。
むしろお話の邪魔にすら感じるんですよ、下ネタ大好き芸人が大嫌いな身としても(笑)。
チト例えは古いけど(2000年代だったかな?)、『トゥームレイダー』や『アンダーワールド』等、アクションヒロイン映画が流行った時期がありました。
あの手の作品は、男と対等どころか、男が顔負けしちゃうくらいにクールでカッコ良い女性を描く事で、強さに男女の差はない事をアピールするのが趣旨だったと思うんです。
なのに続編では濡れ場が用意され、ヒロインはクールさを捨て、“女”を出してしまう点にガッカリしたものです。そんなのが見たいんじゃねぇんだよと。
――話はズレましたが。
あの女優が脱いだとかなんとか、まぁ映画だってビジネスですから話題を作ってお客を呼ばなきゃ始まらないのも分かるんですが、なくてもいいものだったら要らないんですよ。
映画におけるセックスとは、男女が深い仲になった事を表す記号的な表現です。
さらに、これだけ氾濫すれば、“記号”程度の役割に堕ちたと言っても過言ではない、つまりワンパターンだという事です。
であれば、セックスの前後をサラッと描けば十分な話で、最中を描くシーンは無駄というかナンセンスです。
…と、ここまで言ってきましたが、いわゆるピンク映画は例外です。
で、そんな事を描くのなら、もっと重要なものも描くべきだと思う事。
それは、トイレの問題。
この(劇中の)人達は性欲は満たそうとするのに、生理現象には頓着がないという点において、リアルな人間が描かれないなぁと思ってしまうようになりました。
映画と、その不文律に飽きてしまった証左なのかもしれないんですが…。
例えば、限られた空間に追いやられ、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされるというシチュエーションが、映画にはよくあります。
その際、飢えや喉の渇きに関する描写はありますが、その対として考えてしまうのが、トイレの問題。
先日、『白鯨との闘い』を観たんですが、小さなボートで何十日も漂流するシチュエーションがありましたが、小はともかく大はどうしているんだろう?とか思っちゃうんですよ。
ウンコ&ションベン大好き小学生のような発想ですが(笑)、実はこれは人間が生きて行く上では、かなり大きな問題です。
まぁ、『白鯨との闘い』の場合は、乗組員も泳げる事だし、少し海を汚して解決しているんだろうなと脳内補完してみました(笑)。
そんなトイレ問題に切り込んで見せたのが、意外にもアニメ作品、『Gのレコンギスタ』。
モビルスーツのコクピットのシートが便座になっているんだから新鮮、かつ実用的です。
発進→戦場までの移動→戦闘→帰還までの時間も短くはないはずだし、その間にも便意や尿に関するストレスは生じるでしょうから、コクピット内にトイレを設けるのは現実にも通じるようにすら思えます。
…まぁ、予想通り、序盤だけの設定で終わりましたが(笑)。
トイレとは、たった自分一人になれる空間でもあるから、それを活用したドラマ作りもできると思うんです。
そんな作品が観たい!ってワケでもないんだけど、とにかくセックス描写はもう少し減らそうよ。
俺ッチぁ、飽き飽き&ウンザリなんや…。