20歳の春に福祉の専門学校に入学しました。
相変わらず勉強は苦手でしたが、友達もできて楽しい学校生活を過ごしていました。
アルバイトは交通警備の仕事を辞め、平日の夜は焼き鳥屋とパチンコ屋、土日は引っ越し屋で働きました。
その中でも
一番楽しかったのは焼き鳥屋でした。
人と話すことが好きだったので、常連のお客さんからもよく可愛がって貰いました。
夏休みに入ると造園業のアルバイトも始めました。
暴走族上がりの氣合の入った従業員ばかりでしたが、みんな仕事熱心で本当に尊敬できる人ばかりでした。
福祉の専門学校は2年制でした。
1年目は学校の勉強とアルバイトの両立。
2年生になると就職も意識してきます。
職員室の隣の掲示板には少しずつ求人票が張り出されていきます。
一言に福祉と言っても、老人、障害者、障害児など様々な種類があります。
私は祖母が障害者だったことがきっかけで福祉の道を志したので、障害者施設で働くことを希望していました。
しかし、私が働きたい重度身体障害者施設は県内にも数カ所しかなく
残念ながら求人は一つも出ていませんでした。
そこで、私は考えました!
施設では様々な行事があります。
夏祭りや文化祭、クリスマス会など
「そうだ、施設にボランティアに行ってみよう!」
ボランティア活動に参加することで、職員さんとも話をするようになりました。
焼き鳥屋で話をするのは得意になっていましたからね!
その施設にはソフト部がありました。
「芸は身を助ける」といいますが、自分からアピールしてソフトの試合にも参加させて頂きました。
運良く試合で活躍することができました。
施設長兼監督が
たまたま野球やソフトが好きな方でしたので、顔と名前を覚えて頂き飲み会にも誘って貰いました。
数ヶ月後
…
私は自ら希望していた
重度障害者施設で働いていました。
つづく