【なぜ僕らは働くのか?④】 | スポーツ選手の潜在能力を引き出すなら「げんきだまぷらす」にお任せください!


20歳の春に福祉の専門学校に入学しました。


相変わらず勉強は苦手でしたが、友達もできて楽しい学校生活を過ごしていました。


アルバイトは交通警備の仕事を辞め、平日の夜は焼き鳥屋とパチンコ屋、土日は引っ越し屋で働きました。


その中でも

一番楽しかったのは焼き鳥屋でした。


人と話すことが好きだったので、常連のお客さんからもよく可愛がって貰いました。


夏休みに入ると造園業のアルバイトも始めました。


暴走族上がりの氣合の入った従業員ばかりでしたが、みんな仕事熱心で本当に尊敬できる人ばかりでした。


福祉の専門学校は2年制でした。

1年目は学校の勉強とアルバイトの両立。

2年生になると就職も意識してきます。


職員室の隣の掲示板には少しずつ求人票が張り出されていきます。


一言に福祉と言っても、老人、障害者、障害児など様々な種類があります。


私は祖母が障害者だったことがきっかけで福祉の道を志したので、障害者施設で働くことを希望していました。


しかし、私が働きたい重度身体障害者施設は県内にも数カ所しかなく


残念ながら求人は一つも出ていませんでした。


そこで、私は考えました!


施設では様々な行事があります。

夏祭りや文化祭、クリスマス会など


「そうだ、施設にボランティアに行ってみよう!」


ボランティア活動に参加することで、職員さんとも話をするようになりました。


焼き鳥屋で話をするのは得意になっていましたからね!


その施設にはソフト部がありました。

「芸は身を助ける」といいますが、自分からアピールしてソフトの試合にも参加させて頂きました。


運良く試合で活躍することができました。


施設長兼監督が

たまたま野球やソフトが好きな方でしたので、顔と名前を覚えて頂き飲み会にも誘って貰いました。


数ヶ月後



私は自ら希望していた


重度障害者施設で働いていました。


つづく