大阪府の吉村知事が、「0歳児に選挙権を与えるべきだと思っている」と述べた。

 

 

 

 


大阪府の吉村洋文知事は25日、記者団に対し、個人の持論としたうえで、「0歳児に選挙権を与えるべきだと思っている」と述べました。また、日本維新の会の共同代表として、マニフェストとしての提案にも言及しました。

■「もっと次の世代のことを考えた政治をやるべきだ」

吉村知事は25日、記者団から民間団体「人口戦略会議」が消滅可能性都市として発表した744の自治体の中に大阪府下の自治体も含まれていることを問われた際、「もっと次の世代のことを考えた政治をやるべきだ。今の自公政権はそれをやっていない」と述べました。その上で、個人の考えとして「0歳児から選挙権を持つべきだ。そうすると、若い世代に政治家が向くことになる」と持論を展開しました。

■「保護者が代理行使」を想定

吉村知事によると、0歳児から選挙権を付与した上で、保護者などが代理で行使することを想定しているということです。

■「党のマニフェストとして提案したい」

また、吉村知事は日本維新の会の共同代表の立場で、党内で議論は行われていないとした上で、個人の意見として「党のマニフェストとして提案したいと思っている」と述べました。



かつて、G.K.チェスタトンは『正統とは何か』で、「死者の民主主義」ということを述べた。

伝統とは、「われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。」「単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。」

伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈服することを許さない。あらゆる民主主義者は、いかなる人間といえども単に出生の偶然により権利を奪われてはならぬと主張する。伝統は、いかなる人間といえども死の偶然によって権利を奪われてはならぬと主張する。正しい人間の意見であれば、たとえその人間が自分の下僕であっても尊重する──それが民主主義というものだ。正しい人間の意見であれば、たとえその人間が自分の父であっても尊重する──それが伝統だ。民主主義と伝統──この二つの観念は、少なくとも私には切っても切れぬものに見える。二つが同じ一つの観念であることは、私には自明のことと思えるのだ。われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシア人は石で投票したというが、死者には墓石で投票して貰わなければならない。



吉村知事の掲げるは「0歳児の民主主義」では、「傲慢な寡頭政治」どころか独裁政治になるだけだ。

 

ジョークなのか頓珍漢なのか?
あまりにバカバカし過ぎて……。

不正選挙できなくなったので、焦っているのですか?
大阪府民は、この発言を聞いて怒らないのですか?