経済的自由を手に入れる。これは憧れるよねぇ。働かなくても食べて行けるって言葉だけで見れば誰もが良さそうに見えるが、食べるために働いてきた人たちは本当に何もしなくなって食べていけるようになって仕事をしているときのような忙しさから開放されて謳歌できるのだろうか?

 

「仕事がない=食べていけない」というストレスから開放される事自体はいいことかもしれない。だが、大半の人は仕事(労働)をして生活資金得て生活をする人ばかり。この人たちとの共通の話題は多くは労働から派生した出来事だったり人とのつながりなどの話題が多いんだと思う。

 

この労働においての人とのつながりや経験、出来事を通して人間的に成長して年を重ねて更に人間性が豊かになったりするものだと思っているわけだが、これを若くしてFIREを目指し、早い段階でこの経済的自由を手に入れて経験を積めなくなってしまうのは損失ではないのだろうか?

 

仮に友人や会社のつながりの人とあったとしても労働せずにFIREして生活をしているとわかったところで羨ましがられるだけで共通の話題もなくなるような気がする。

 

経済的自由を手に入れて好きな仕事だけを選んでストレスのない労働をするのもいいと思うが、ストレスが全く無い仕事はある意味責任もないような仕事にはならないだろうか。緊張感がありストレスもある中で仕事をした後の充実感が味わえなくなるのはそれも損失だと思ったりもする。

 

よく言われる1億円をためて4%の運用益で年間400万円の不労所得を得られれば生活ができると言われているが、何もせずに趣味があれば趣味に没頭し、世間一般での労働を通しての社会との交流がなくなった時、孤独を感じないだろうか。労働者としての同じ立ち位置であるからこそ共感したりすることも多いはず。

 

例えばワイは零細企業の経営者ではあるが労働者でもある。取引先の人からは対外的には社長と思われているところもあるが現場に常に出ているので労働者としてももちろん見られている。同じ経営者としての諸先輩方の貴重な経営に関する話も聞けたり、商品についての相談を受けたりすることもあり、常に「頼ったり頼られたり」のこのやり取りがあるからこそ充実するのではないのだろうか。

 

DIE WITH ZEROでは資産は全て死ぬまでに使い切れ。若い時にはお金を使って経験を沢山積めと言っている。結局あの世にお金は持っていけないし、死ぬ前に残るのは思い出や経験だけ。年を取ってから思い出や経験を積むには体力の問題もありできなくなっている。その通りだと思う。

 

健康なうちに経験を積み、労働を続けながら社会とのつながりを持ちつつ、社会一般コミュニティに属することが最も幸せなことなのかもしれないと思ったりしてます。

 

今日の体重 64.4kg 血圧 124/87/64

 

今日は納品の立ち会い。その後は接待~

 

今日も頑張ります。