新興宗教のいう「供養が足りない」とは、私には、「自分の宗教に対する信心が足りない」、もしくは「お布施がまだまだ足りない」という言葉にしか聞こえません。
だからなのか「供養が足りない」と言われても、一体何が足りないのかはっきりとわからないではないですか!
そして、いつまでたっても終わりがない供養を強いられてしまい、延々とお金を搾取されてしまう結果になってしまいます。
これがいわゆる「宗教ビジネス」の先祖供養ですよね。
しかしながら星椎水精先生の行われている先祖供養(先祖の浄霊)は、そのようなお金目当てのものとは全く違うものです。
最近亡くなった霊から順番に、一体一体心を込めて浄霊していくものです。
そして一番の違いは、「終わりがある」ということです。
一人につき一回の浄霊で完全に供養が終わるため、当然といえば当然です。
だからこそ、「供養が足りない」とは、文字通り「浄霊した先祖の数がまだまだ少ない」ことを意味し、足りないものが何なのかがはっきりとわかりますよね。
要は、曖昧なのか、はっきりしているのか?
これも、真偽を見極める重要な要素であると思います。
先祖さんは当然ながら、一人や二人ではありません。
自分の父、母の父方、母方だけでも4家系あり、家系図を依頼し作成してもらっても、名前のわかる人だけでも軽く100~200人を超えます。
それだけを考えてみても、浄霊をした人数が少なければ、まだまだ浮かばれていない(成仏していない)先祖さんが次たくさんいるため、次々に「私も、私も」と頼ってきてしまうのはあ当然ですよね。
(もし自分が苦しんでいる先祖さんの立場であれば、その気持ちは十分に理解できるのではないでしょうか・・!)
そのため、一時的でも霊障によって苦しい状態になってしまうかもしれません。
その苦しい状態であっても、浄霊というものを理解し本心から先祖さんを救う気持ちがあり、少しずつでも浄霊を前に進めていけば、先祖さんもきっと末裔の気持ちを汲んで、じっと待っていてくれると思うのです。
そうなれば、「供養が足りない」ということにはならないと思うのです。
これは、私自身の生きた感想です。
その方たちを浄霊していくことを考えると、それは本当にマラソンのようであり、星椎水精先生の言われる所の正に「山登り」です。
この浄霊と言う行為は、私自身、今世をかけて成し遂げて行くほどのものだと思っています。
結局、「供養が足りない」とは、先祖さんや浄霊を一番に考えていないことなのかもしれませんね。
くれぐれも、まやかしの先祖供養に騙されませぬように!
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