私も似たような話を耳にした事がありますが、今までその意味を深く考えた事がありませんでした。
人とは不思議なもので、自分にとって不都合な事は理解しないというか、「自分に都合のいい解釈ばかりする」と思いませんか?
例えば、そのコラムの体験談には、「死んだはずのおじいさんが婿養子のSさんを覗き込んでいた」とありました。
これを、果たしてどのような解釈をするのか?ということです。
この不思議な現象の真相は、星椎先生がおっしゃっておられるように、「おじいさんは自分が死んだという意識も少なく、生前と同じように、ご飯を食べたりしており、婿がどのような人間か見ていた」ということです。
要は、「死んでも成仏していない」わけで、ある意味自縛霊なわけです!
無神論者は特に、死んでも自分が死んだこともわからず、ずっと彷徨ったりするようです。
人間は死んだからといって、自分が死んだ事が理解できるわけではないのです。当然成仏など出来るわけもなく、家の中に佇んでいたりするそうです。(見えないから、みんな平気なんですけど、もし見えていたとしたら、どうするんでしょうね?)
星椎水精先生の本やコラムをしっかりと読み、先祖供養もしている方たちは真実を理解出来ますが、その他大勢の人はどうでしょう?
この体験談と似たような事があったとしたら、なんて言うと思いますか?
きっと、「おじいちゃんが見守っていてくれている」とか、「家を護っていてくれている」な~んていう、自分たちに都合のよい解釈しかしないでしょうね!
成仏していればそのような事も可能ですが、ほとんどは成仏していないのだから、まずあり得ないですよ!
現実(真実)と理想のギャップがあまりにも大きすぎるため、やはりほとんどの人達は理解できないのかもしれません。成仏していないということを。
これでは、永久に問題の解決など、到底望めないでしょうね。
いい加減、自分たちの都合のよい解釈や考え方を改め、真実に気付かない限り、同じ事の繰り返しになります。
わからない人間は、結局死んでもこのおじいさんの霊と同じように死んだこともわからず、消滅するまで永久に彷徨うのかもしれません。
それも、自業自得です。
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