昨日は、午後、予定していた第9回JLPP翻訳コンクール授賞式及び記念シンポジウムでの、
井戸川射子さんの対談を予定通り、無事に拝聴できました。
場所は、京都市街の果てにある国立京都国際会館で、雪降る極寒の地でした。
ところが、事件は京都国際会館へ出かける前に起きました。
午前は今日が今年度、最後になる小学校の解放教室のバドミントン教室でのボランティア・コーチを開始50分行う予定だったんです。
で、僕が小学校の三階の講堂兼体育室へ入ると、知ってる顔がありました。
某バドミントン部の関係者の方です。
僕より数十倍上手な方で、初心者を教えるのはともかく中級以上の指導技術は、僕より遥かに教えるのも上手い方、年齢は30代後半〜40代かな。
僕より圧倒的に若い。
聞くと、小学校1年生のお子さんがバドミントンをやりたいとかで、体験見学に来たとのこと。
「えっ? ご自分で教えればよろしいやん」と思わず言ってしまう僕。
ハハハって、笑う相手。
たぶん、普段は土日は高校生のコーチで忙しく、相手ができないのは、僕にも想像がつきました。
そのまま、彼はストレッチをしながら、僕は小学生へ指示を出しながら会話を続けます。
「今日はあいにく、もう少しで早退しますが」と話しながら、
僕は、自分がもうバドミントン・コーチの第一線からは退いたことと、詩人で小説も書く表現活動に重きを置いて生活していることを明かしました。
すると、「詩人」のキーワードに反応して、彼が意外なことを言いました。
「井戸川射子」さんとはお知り合いだ、というんです。
僕はビックリ。
「いや、今日の午後、その井戸川さんの講演・対談を聞きに京都まで行くんで、(ここを)早退なんですよ」と言ってしまいます。
いや、同じ兵庫県人なので、実は僕の知り合いで、井戸川さんの家族の知り合いとかは既にいるんです。
でも、直接の知り合いは初めてでした。
しかも、既知の10年近い知り合いのバドミントン関係者から出てくるとは、全くの想定外です。
この話が全く別の機会なら、わかります。
それでも、すごい偶然です。
だって、彼とは今まで何度も、この10年間にコートやバドミントン関係の会議でも、親しく会話する機会はあったんですから。
でも、よりによって、対談を聞きに行く、その数時間前の今日だなんて!
これ、シンクロニシティですよね?
どこか天上界の一室で、シンクロニシティを管理する女神か守護天使たちがいて、「受ける!」「ハハハ」と大笑いしてそうでした。
パシャッと写真1枚。
京都の国際会館の会場へつくと、急に晴れ間になりました。
さて、肝心の対談内容ですが、すごく良かったです。
井戸川さんの講演を聞くのは、たぶんこれで3回目だと思うんですが、今回が一番短いけれど、一番、僕の心に突き刺さりました。
曰く、
「国語の教師だったので、詩を教えようと。詩を書くために、詩をたくさん読むと、「これも詩」「あれも詩」って、わかる。
純文学は人ならざる者に向けて書いている。
エンタメはこれこれこう言う人に向けて書いている。
詩も純文学と同じで、人ならざるものに向けて書くから、近い。
詩は、第一詩集が一番いいと言われるんです。
さらに、わからないわからないと思って書く。
小説は「わかってしまった、わかってしまった」と思って書く。
詩と小説を交互に書くのが難しい。
片方は「わからない」、もう片方は「わかったわかった」なので混乱する」
この詩と小説のスイッチの入れ方が違う感覚はよくわかります。
でも、僕の場合、逆なんですが。
詩は「わからないことが、少しわかった部分がある」と思って書き、小説は「全然わからない」と思って、混乱しながら絞り出しているのが現状ですから。
ただ、小説は「わかったことを書く」という意味では、すごくすごく共感します。
だって、僕は「なのに、わからないから書けない」んですから。
また、次の言葉も何度かこれまでも聞いている言葉なのに、僕は少し衝撃を覚えました。
「子育てが大変な時期で、子どもと同じように「私も見守られたいよ」と思う、カウンセリングやセラピーが始めにある」
どうして、衝撃なのか。
これって、1番の書き始めの「きっかけ」動機を説明しているんですよね。
もちろん、表面上はそれだけなんです。
それ以上でも以下でもなく。
でもね、今、純文学的な書き始めに悩んでいる僕には、ハッとする天啓に聞こえました。
だって、これ、何か凄いことを「きっかけ」にしなくちゃいけないという強迫観念に、僕が囚われていることが分かりましたから。
それと、真逆の「きっかけ」でいいよ、と言われているのですから。
たぶん、今、これをお読みの方には、それがどうした、でしょうが。
これね、冒頭をどう書くかの意味でなく、「モヤモヤした言語化できないモチーフ」の捕まえ方なんですよ。
それを、小説の場合は僕が方法として、つかめなかったんです。
詩と違う形じゃないといけない、と信じ込んでしまっていたから。
例えば、明石市文芸祭に1席市長賞になった、僕の詩「白マスクの仮面ライダーたち」って、何も最初からあんな形になるなんて、一切、予想できないまま書いて、結果、あの形に落ち着きました。
最初は、なんとなく「マスク」と「戦う」イメージがあっただけなんです。
言語化できないまま、心の奥に「仮面=マスク」「仮面ライダー=バッタ」、ジェンダー、現代、コロナ禍、という単語が見え隠れしてたのが、
書き出すと、繋がり、言語化できただけなんですよ。
その意味で、最初は「わからない」ですね。
僕がわかっているのは、「わからない」を、詩に言語化できるプロセス。
もしかしたら、小説も同じような発見からスタートしていいのかも、と考え直すヒントをもらいました。
その「きっかけ」を、どう小説化するかは、依然、謎のままですが、それって、なんとかワークショップ化して手に入れられそうな気がします。
1番書き始めの「きっかけ」が一番、どうしたらいいか、詩の場合と、どう違えるべきなのかがずっと悩んでしたところだったんです。
本能的に、純文学と現代詩では同じ人がいるのだ、自分はそっちの両方書くタイプだ、とは感じていたので。
シンクロニシティが来ただけの、大きなエポックメーキングになることを祈りつつ、今日1日、挑戦してみます。

