内田百閒文学賞向け原稿が完成。
プラス4枚で、48枚になりました。
もう潮時でしょう。
昨日も書きましたが、今回、いつも苦しんだ、例の【ストーリー展開の呪縛】から脱する書き方をしようと努めました。
16年間、その展開呪縛と闘い続けてきたのですが、今回、やっと非ストーリーな書き方が確立できたと思います。
もちろん、誤解がないように言いますが、ストーリーはあります。
ちゃんと展開しています。
でも、最初から、こんなあらすじで、という予想に従った書き方ではありません。
書き出したら、ある意味、微妙にズレた、違うストーリー展開になりました。
ある意味、作品の狙い自体は予想もつかなかった、ある〈企み〉を押し込んだものになりました。
さまざまな現代の世相や風俗・文化キーワードが散りばめられた、世界観が示されています。
その意味では、純文学的で、近代文学的。
でも、大きな仕掛けによる驚きもあって、その点では〈どうなるどうなるエンジン〉を噴射させてますから、エンタメ的な展開も楽しめます。
まさかと思うような、一挙両得作品でありつつ、内田百閒へのオマージュ作品になりました。
ミラクル、と呼びたい出来栄えです。
これで、最終候補に残らないなら、僕の今までの考え方が間違っていたことになりますが、
その場合は、100枚に書き直して、他の純文学賞へ応募しようと決めています。
昨日も書いたように、詩で公募コンクールに出すときに、「ユリイカ」「現代詩手帖」「西脇順三郎賞新人賞」を除いて、だいたい、最終候補レベルだなあ、は何となくわかるようになっております。
その基準だ、と、今回のこの応募作は傑作になっているんですね。
母親の死を理由、言い訳にして完成を断念したら、後悔するので、それを回避できて、ほんとよかったです。
天国の母への餞になりました。
また、直接的なモチーフとしての、彼女のレクイエム作品は詩でいずれ、内面から出てくると思います。
5/28(火)のアクセス数が342、29(水)が300でした。
みなさま、いつもありがとうございます。