ふと、「現代詩手帖」と「ユリイカ」の、現在の入選詩について、解析してみたくなった。
「現代詩手帖」の選者は、小笠原鳥類さんと森本孝徳さん。
そこに、現実に入選している作品は、僕には、次の三種に見える。
①大崎清夏さん、言うところの「言葉の乱反射」的な言葉遊びを無限に繰り返す、早口言葉的な作品。
②選者も講評で述べる私的で、ブログの文章を縦書きにしただけの日常感想の、擬似散文。
③数少ない行分け詩。しかし、ハッとするフレーズやイメージのあるものは少なく感じる。
やはり、言葉の乱反射的なフレーズの洪水が続く。もしくは、極私的な家族の物語りを一方的に早口に語るもの。
だからか、たまに、高梨 章さんと、三島祐太さんの短詩(共に9月号)が輝く。
「冷静」 高梨 章
滝といふ字と
魂といふ字は
似てゐないのに
眼球のなかの魚を
きれいに焼く
「像」 三島祐太
オーバーオールを着て
三輪車を漕ぐ
身体は幼児
顔は老いたボルヘス
突然現れし者は
要約性について語り
西方浄土へ去って行った
ロスマンズの残り香
二つとも、短歌や俳句に似た短詩の魅力が際立っている。
対して、「ユリイカ」はどうか。
上記の②に似て日常風景ではあるものの、ブログを縦にしたものじゃなく、何やら不思議な言葉や思いが述べられている。
そんな詩が多い。
清夏さんは「言葉を大切にしている」と言う。
僕には、そこにポエジーがあるのかどうか、よくわからない。
だが、いわゆる起承転結ではない気がする。