彼らが本当に求めていたものは、少しの会話、教師は自分の存在を知り、気にかけてくれている、という感じであった。中学校の教師のほとんどは、とても意味のある方法で教えることができたし、生徒が求めている人的関わりを進んで持とうとしていた。しかし、教師もまた生徒と同じように個人的な注目を必要としていた。教師が受ける唯一の注目は、教師の仕事がどんなに大変であるかを知らない人々からの批判である。人々は、自分は教師の仕事ができないのに、教師を批判する。教師は、そのようなシステムの中で働いている。中学校に出向いたその日から、教師の努力に対して感謝の言葉を述べた。私たちは彼らと時聞をともにし、食事をともにし、私たちの知っていることをすべて教え、彼らの言葉に耳を傾けた。すぐに次のことが明らかになった。彼らは、なすべきことを知っていたが、その自由がないと感じていた。まるで、彼らの効果的に教える技術を使うことが禁じられているかのようだ。自分の部屋で、個人的に、またグループで教師たちと会って話をした。
人生の基盤



頭脳は特別な状況で機能しなくなることはない。教師、もしくは教科が、子供の上質世界に入っていないのが問題である。学校で注意深く勉強をする子供が友人であり、子供がその子との関わりを楽しんでいるようなら、学習障害を疑わない。子供に良い友人がいないなら、子供が孤独なあまり、友人をつくることにあまりにも気を使って、学校で集中できなくなっている可能性があるかもしれないと疑ってみる。子供が学習障害児と診断され、レッテルを貼られ、薬物投与を受ける前に、子供が社会的技術を身につけて、友人がつくれるように、真剣に援助する努力がなされるべきである。学校でうまくやっていけない子供は、家でも誰かとうまくいかず、その人間関係にあまりにも気を使っているために、学校で集中できないでいる可能性もある。子供にレッテルが貼られる前に、親は選択理論による子育てにしっかりと目を向けるべきである。幼い子供にあまりにも多くを期待し、罰や恒否をちらつかせて強制すると、学校で勉強しないとか邪魔をすることを選択することで、反抗する可能性もある。