私はこれまでに、三人の女性にナイキの靴を贈った。
三人とも、フィリピン人だった。
三つの別々の店で出会い、三足の別々のナイキを渡した。
狙ったわけではない。気づいたら、そうなっていた。
一足目は激情に。
二足目は同情に。
三足目は――これはまだ、話せる段階にない。
なにしろ現在進行形なのだ。
これは、フィリピンパブという小さな宇宙で恋を三回した男の記録である。
笑ってもらって構わない。私も書きながら笑っている。
ただ、時々笑えなくなる瞬間があることだけ、先に断っておく。
第一話【会って5分のプロポーズ】
2023年。私は地元のフィリピンパブに、たまに行く程度の客だった。
フィリピンパブを知らない人のために少しだけ説明する。
フィリピン人のタレント(お店ではそう呼ぶ)が隣に座り、酒を作り、歌い、他愛のない話をする店だ。
キャバクラより料金は安く、距離は近く、そして情が深い。
深すぎるのが問題なのだが、それはこの連載をまるごと使って説明する。
当時、指名していた子はいた。
ただ、病み気味の言動に正直疲れ始めていた。
LINEの返信が3分遅れると不機嫌になる女性と、店の外で会ってもいないのに痴話喧嘩のようなものをする。
何をやっているんだろうな、と思っていた。
ある夜、友達と「違う店に行ってみるか」という話になった。
スマホで調べると、車で高速90分の街に、タレントが地元の店の倍以上いるという景気のいい店が出てきた。
遠い。
でも、その晩の私たちは軽かった。
飽きた男二人に、90分はドライブの距離だった。
初めて入ったその店は、狭い店内にぎっしり客が入っていた。
壁を伝う煙草の匂い、カラオケの音割れ、あちこちで上がる笑い声とタガログ語。
地元の店はBOX席が主体だが、そこは長いL字のソファが2本、奥にBOX席という造りだった。
L字席というのは、つまり客とタレントが肩の触れる距離で横並びになる席である。
この構造が、のちのち様々な事件を生む。
満席に近く、私たちは2列シートの上側に座らされた。
そこで最初についた子が、Zだった。
目がとても大きかった。まずそれに気づいた。
日本語は片言より少し上。笑うと目がなくなる。
年は聞かなかった。この世界では、年齢と本名は最後まで出てこないことも珍しくない。
着席から5分後、言ったのは私の方だった。
「結婚しよう」
フィリピンパブではよくある軽口である。
言葉に値段のつかない世界。
彼女たちは笑って「いいよ」と返し、客は笑って次の一杯を頼む。
私もその夜は、そのつもりだった。
隣で友達が笑っていた。Zも笑っていた。
大きな目が、なくなるくらい。
――会って5分で結婚しようと言った男が、この店に2年通うことになる。
冗談は、時々本人に牙をむく。
(第2話「高速90分、通い妻ならぬ通い客」に続く)
この物語は全4部の実録エッセイです。
第1部(全8話)は無料、クライマックスの第2部以降はnoteで公開しています。
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