キシダさんは本当は全部知ってるのかもしれない。

やっぱりいつもそう思った。

知っていて、それで私にたいしきっちり線を引いている。
私1人がバタバタと動揺して、そうだとしたらてんで可笑しい。

あの人と一緒じゃん。

「一線だけは越えられない」と、頑なに私を拒否したあの人。

あの頃、会社で仕事の合間を見つけては
出勤前の沢村君に電話をして、他愛のないお喋りをしていた。

キシダさんのこと。
私が結婚してるって知っているのか、何気なく聞いても、

「どうだろうな。そんな話は出ないけど。
 あのオヤジ、自分の身の程はよくわかってそうだから。」

「身の程って?」

「自分の人生に今更そんなラッキーが降って来るわけもないってこと。
 一緒にご飯行ったり遊びに行ったりしてくれて満足って
 思ってるんじゃね?潤達とは大違い。」

眠そうな沢村君は電話の向こうで笑ってたっけ。

「それより、最近俺ら2人でやってるビジネスの話の方が
 よっぽど熱いからね」

「ビジネスってなに?メンコ以外で?」

私が聞いても、沢村君は
「さちちゃんにもそのうち教えてあげるよ」

って、本当は言いたくてたまらないのを隠しているの
バレバレな口調で楽しそうに言った。

なんだかんだ仲がいい2人がおもしろくなくて、
私はいっそうモヤモヤする。

どうにもならないのをわかっていても、
形すら見えないのが腹ただしくて、
私は毎日しつこいくらいキシダさんにメールをする。

仕事のこと、友人関係のこと、
そんなことをなんでもかんでも話した。

最近キシダさんは、時間があれば会社が終わる頃、私を誘ってくれて
いつも興味深げに私の話を聞いていた。
それは、メンコだったり、デニーズだったり。

その間、色々なことが起きた。

潤君が急性胃炎になって、夜の救急病院へ運びこまれた。
たいしたことはなかったみたいだけれど、当分お酒は禁止。
で、メンコに顔を出すこともなくなった。

藤川君は突然転勤終了で大阪へ帰ることになってしまった。

それらをきっかけにして、
去年の夏から続く、私の馬鹿げたお祭りは終焉の方向へと向かう。

生簀はもういらない。

私がパタッと生簀遊びに興味をなくし、
毎日、「今日は誰と会っていた」とかそういう報告が消え、
マリコはすっかり不機嫌。
毎日ルーティンワークのようにくりかえしていた
メッセの応酬もじょじょに減って行った。


3月も終わり。
もうすぐ桜が咲く。
春が来る。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


私やマリコが卒業した中学校は、靖国神社のすぐ近くにあった。
いわゆる越境入学。
公立中学にもかかわらず、生徒の6割が電車通学をしていた。

少し歩けば千鳥が淵。
毎年1学期の始業式の日、全校生徒でお花見へ行く。
友達同士のお喋りや、好きだった男のことの動向を伺うのに忙しく、
桜の花を見た記憶なんてまるでありはしない。

あまりに近くにあったから、
それから先も千鳥が淵にお花見に行こうなんて思いつきもしなかった。

なのに今日、キシダさんと、
お花見に行こうか?ってメールをしていて、何故か頭に浮かんだ。

「千鳥が淵行きませんか?」

会社が終わって九段下で待ち合わせた。
あいにくの雨だった。

その上、駅を上がってくればものすごい人波。
こんなに人が沢山来るなんて、想像以上。
何人も動員されている警備員が、厳しく列を制御している。

お堀沿いの道には人の列。
皆傘をさしているから余計に混雑が威圧的。

少しづつしか前へ進まかったけれど、それは余り気にならなかった。
目の前に広がる一面の夜桜。
それは予想を超えて、信じられないくらい壮言な風景だった。

雨に煙るお堀と、幾重にも折り重なる、一面の桜の花。
人を拒絶するように咲き競っていた。
雨の日独特の、冷たく、尖ったような空気がよく似合う。

「こんなに綺麗なんだ。」
私は思わず口にする。
千鳥が淵の桜如きで感動なんて、お上りさんぽくて恥かしいし。
「綺麗だね。びっくりだよ。」
夜は初めて来たって言ってたキシダさんも、お堀の方から目を離さず言う。
「びっくりです。侮っていました。」

あの日のことは、何もかも鮮明に覚えているようで、
全て虚ろで夢の中にいるような感じもする。
ただ、降りてくる空気の感触すら、今でも思い出せる。

あまり話をしないで、列に従ってずっとお堀沿いを歩いた。

奥の方まで行って、それからグルッとまわって戻る。
帰り道は、今まで圧倒されて黙っていた分、
発散するかのように喋りまくった。

立て替える前、実家の庭にあった立派な桜の木のこと。
家の門の周り、取り囲むように咲いたバラの花。
春になると一斉に開く、花壇の様々な花達。

私の周りを花で埋め尽くそうとしたお父さんのこと。
私は一生懸命キシダさんに話す。

最近はお父さんとのことをよく考える。

ついこの間、久しぶりに一緒にご飯を食べたせいかな?
それともキシダさんとあんなに懐かしい感じのお店に行ったせい?
キシダさんといると、よくお父さんと過ごした子供の頃のことを思い出す。
キシダさんとお父さんに似ているところは決してないのに、
なぜかキシダさんといる時間は、
私がお父さんと過ごした幸せな時間によく似ている。

「庭に、チューリップが咲いてたんです。たくさん。お花畑みたいに。」

花壇いっぱいに咲く、黄色や赤やピンクのチューリップ。

「私はまだ3歳か4歳かそのくらいの時、
 朝、まだ暗い内に父が起こしにきたんです。」

それは、私が認識する内で、おそらく一番古い記憶。

キシダさんは、私の横をゆっくり歩きながら、
“うん、うん”と聞いている。

「今日チューリップが咲くよ、って。
 お日様が出たらチューリップが開くから、起きて見ようって。」

私はキシダさんに笑いかけた。
キシダさんも笑う。

花冷え 雨冷え 吐く息も白い。
空気は冬よりも低いくらいだったけれど、
あまり寒さは気にならなかった。

「庭に出て、花壇の前にしゃがんで、ずっと待ってたんです。
 お日様が出て、しばらくたったらゆっくり花びらが開いたの。」

あれは、赤と黄色がまざった花びらだった。
日の光を吸って膨張していくように、ゆっくりと開いてた。

「そうしたらね、チューリップの花芯にちょこんって、小さいお人形!」

指の先で、1.5cm位を作り、キシダさんい見せる。
キシダさんは目を丸くして言った。

「親指姫?お父さん仕込んでたの?」

「そう。もうびっくりして、すぐお人形だってわかってたけど、
 今度は嬉しくて嬉しくて。」

裸だったお人形を花芯から取り上げ、
適当な布を洋服のように巻き、棚の上にそっと寝かせたっけ。

そんな私の反応にお父さんは満足そうだった。

夜明けよりもっと早くから、そっと花弁を開いてお人形を入れたんだろう。
それよりも、サイズがぴったりのお人形、探すのも大変だったろう。

でも、そんなアイデアを思いついた時の、
お父さんの嬉しそうな表情が目に浮かぶ。
私をびっくりさせて、喜ばせて、笑わせて、
それが何よりの幸せだった。

「すごいね。ロマンチスト。
 まさに花のように愛でられたんだね。」

キシダさんは、感服した、というように何度も唸った。

「そんなお父さんに育てられたお嬢さん、
 満足させなくちゃいけないのは難問だぁ」

その感想に、客観的視点は見えなくて、
私はちょっとだけドキっとする。

「そうですよ。手がかかりますよ。私。」

誤魔化すように、澄ました口調でそう言った。

「はい。頑張ります。」

キシダさんはきっぱりとそう言った。
ふざけているようには聞こえなかった。

私は嬉しくて、思わずまた彼の指を握ってしまおおうかと思った。
でも、あまりに触りたがりもどうかと思い治し、
手を伸ばして、スーツの肘のところをそっと掴んだ。
傘が邪魔で若干不自然な姿勢になっていたけれど。

幸せだった。

大好きな人の手だけを頼りに、
歩き続ける日々。

キシダさんとこうして歩いていると
私はあの頃と同じような気持ちになる。

雨の霞の中、静かに立つ満開の桜。
私の特別な時間。

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