桜見物の人波から外れ、
キシダさんと私は、駅の近くのバーへ入った。

密度の高い空気につつまれ、
夢に浮かされたように歩き続け、
気がつけば体は雨で濡れ、すっかり冷えていた。

「寒いでしょ?大丈夫なの?」

外回りから直接来たらしいスーツ姿のキシダさんだけど、
私は早くも薄い春物の上にトレンチコートだけ。

「全然、寒くないです。」

寒さは本当に全く感じなかった。

というようりも上の空。
あの想像を絶する桜のきれいさに、既に酔っているような気分だった。

食事メインで・・・と言って入ったお店だったのに、
高ぶった気持ちのまま、ワインを何杯も飲んだ。
歩きながらした続き、お父さんの話をキシダさんにたくさんした。
お父さんが連れていってくれた国、場所、お店。
買ってくれた物、見せてくれた物。
私は何故かいつも、キシダさんにはお父さんの話ばっかりして、
キシダさんにしてみたら、なんてファザコン娘って呆れられそう。

なのに、キシダさんはいつも、全く嫌がったり
つまらなさそうにすることはなく、
楽しそうに興味深そうに私の話を聞いてくれる。

それが楽しくて私はまたお喋りを続ける。
お酒もたくさん飲む。

男の人とのコミュニケーションは
当たり障りの無い会話を弾幕に熾烈な駆け引き。
それが当たり前だと思っていた。それが楽しいって。
でも今は子供のように頭に浮かぶこと、
それをただ思うままに語るのが楽しくて仕方ない。

気が付いたら、12時までのバーはもう閉店間際だった。

お手洗いに行ってくる、と立ち上がったら、
思いのほか自分が酔っていることに気が付いた。
足元がふら付くし、突然気持ち悪さが襲ってきた。
いやだな。こんなに酔っ払っちゃって。恥かしいな。
回らない頭で焦りつつ、どうにかまっすぐ歩けることだけを確認。


お手洗いを出たら、会計を済ませたキシダさんが
私のコートとバッグを持って待っていてくれた。

「大丈夫?顔、真っ青だよ。」

「大丈夫。でも気持ち悪くてまだ電車に乗りたくない。」

もう数分で最終なのだけど。

「いいよ。ちょっと酔い覚ましに歩いて、適当なところでタクシー乗ろう」

キシダさんはそう言ってくれて、
私達は九段下から神保町方面に向かって歩き出した。
歩いている分には気分は悪くなかった。
ただ、飲み過ぎのせいか本当に気温が下がっているのか、
外は尋常じゃなく寒い。

「大丈夫?歩ける?」

キシダさんは、自然に躊躇もなく私の手を握ってくれた。

「帰りたくない」

私は、そう言った。
練りに練った末にこんなにキャッチーな台詞?
違うってば。本当につい気持ちが口をついた。
帰らなくちゃ、相当まずいことになるのはわかっていたけれど、
とりあえず今はこのままさようならしたくない。それだけ。

「一緒にいてください。」

私の右手を握っている、キシダさんの左手にギュッと力がはいった。
私はキシダさんの顔を覗きこむ。

「一緒にってどこに行くの?」

もう、このオヤジ。なんでそんな野暮ったいことを聞くわけ?
何故か残っている、頭の中の変に冷静な部分で私は突込みを入れる。

「どこでもいいですよ!」
少し怒り口調。

「もう飲めないでしょ?」

キシダさんは苦笑い。またギュって手に力が入る。

私の意見を無視し、キシダさんは勝手にタクシーを止める。
どこかへ連れていってくれるのかと、多少は期待していたのに、
運転手さんに告げる声は

「森下まで。そこで1人降りるんで、その後小松川の方まで」

私はがっかりしてキシダさんの肩に頭をもたれかける。

私がこんなにあからさまに誘っているのに、
それでもそんなに頑なに帰るなんて。
やっぱりキシダさんは何考えてるのか全然わからない。

「帰らなくちゃダメ?」

「今日は帰りなさい。もう酔ってるから。」

そう諭すように言った後、キシダさんは私の前髪をそっと撫でた。

あ、あの時と一緒だ。
キシダさんに初めて会った日、
こうやって私の前髪を恐る恐る触っていた。

私は目を閉じる。
心地よかった。
このままずっと一緒にいたいのに、どうしてだめなんだろう。

車はあっという間に森下の駅前に着いた。
最後の最後に考え直してくれるかも、
と思ったキシダさんはもちろん変わらず、
「じゃあね」
と私に5000円札を握らせ降りていった。

「お客さん、次小松川でいいですか?」

据膳女って思ってるんだろうな。この運転手も。
私はそんな被害妄想も著しいようなことを頭の中で考えつつ、
行先を説明した。

新大橋通りをまっすぐ行けば、家まではすぐ。
悲しんだり、失望したりする間もなく、いつもの川沿いの道へ付く。

知っているのかもしれない。やっぱり。
その一線は越えられません、と。
そういうことなのかもしれない。

あるいは、

きっとなんかいるんだろうね。
いないわけない。あの年で。

マリコと話したことを思い出す。
やっぱりそうなのかもしれない。

“一生一緒に生きていくと決めた人がいるんです”
不意に蘇るあの人の台詞。

心の中に墨汁のように広がる染み。

何を根拠にそんなこと、決められるんだろう?
何で自分の人生、自分で縛るようなことを?

タクシーを降りても、まだ足がフラフラしていたから、
道路沿いの自動販売機でコーヒーを買い、しゃがんで飲んだ。
人通りはない。当たり前だ。もう都営線の終電も行ってしまった。

大好きなのにな。
やっぱりそれだけじゃダメなんだな。
酔いで虚ろに成った頭、波にさらわれそうになりながら考える。

ふと、手に持っていた携帯が光る。少し遅れて振動。
表示はもちろんキシダさん。


From: キシダ
Subject: ついた?
今日は1人で帰してごめんなさい
でもこれ以上飲ませらないでしょ
さちちゃんが心配なんです
好きだよ。
さちちゃんが大好きです。


やる気なさげに開いた携帯、落しそうになる。
心臓が思いっきり、跳ねた。

何言ってるのさ、あのおじさん。
さんざんひっぱって、
今頃何言ってるのさ。


Subject: つきました
To: キシダ
そんなこと言って、また明日になったら、
おやじすっとぼけ?


もつれそうな指で必死にそう打つ。
送信ボタンを押してしまってから、
私が言いたいのはそんなことじゃなくて、と
また必死に新しいメールを打って送る。
完全に気が動転。
何から言っていいのか、頭がごちゃごちゃになり、結局たったの一言。


Subject:
To: キシダ
大好きです。


次へ

 
目次へ

にほんブログ村 小説ブログ 恋愛小説(純愛)へ
恋愛小説