
金曜日は金魚の日
あの夏が終わり、しばらくたってしまったけれど、
今でも金曜日になると
「あっ、金魚の日だ」と必ず思う。
江戸川区は金魚の名産地だと、
マイミクになってすぐ、あの人が教えてくれた。
そんなこと、35年間江戸川区で生きてきてちっとも知らなかった。
すごく近くで同じ時間の中で育ってきたのに
あの人は私の知らないことをたくさん知っている。
私はあの人の知らないことをいくつも経験している。
Subject: おはよー
To: 成田
お元気ですか?
今日もお天気悪い?いい気味だぁー
でもさっきちょっと地震?みたいのあって怖かった
金魚釣り行った?可愛い金魚見せてね
From: 成田
Subject: Re:おはよー
金魚選びは9時からです。
僕が金魚の金曜日に金魚選びをするのをみんな知ってるから、
今日は金魚を売るんだよ。
Subject: Re:おはよー
To: 成田
金魚見せてね
朝ごはんは今日もお粥。
昨日よりも少し水分がなくなった、これ五分粥っていうのかな?
それに野菜と肉団子の煮物。
病院食だからまずいとかじゃなくて、
単に普段食べ慣れていないものだから戸惑う。
でも「ご飯はちゃんと食べましたか?」と
あの人は毎日必ず聞いてくるから
全部残さず食べる。
点滴が抜けたから、ずいぶん身軽になったし
経口でも痛み止めはよく効いている。
昨日の夜はもう熱も出ず、ゆっくり歩いたり身動きをとったりする以外は
普段の生活とほとんど変わらなくなってきた。
エレベータで1階に下りて、病棟のロビーでパソコンを開いた。
携帯には成田さんから添付画像付きメール。
From: 成田
Subject: でめきん
横から見たところは、店の水槽に放ってから。
水の中を泳ぐ赤い出目金。
キレイだなぁ
しばらく見入る。
Subject: Re:ありがとー
To: 成田
うれしいー 金魚は赤いのが好き。かわいいよね
でも黒くてもいいかも。夏って感じがするよね。
さち、バカ?ってくらい夏が好きなの。
もうすぐ夏だよね~っていうか今梅雨?
ずっと成田さんと一緒にいる。
朝も昼も夜も。
目の前にいないことなんてどうでもいい。
朝起きて、毎日必ず見る空
美味しくない食事
中庭で感じる風の温度、匂い、肌ざわり
私はあの人に伝える。
濃密で柔らかな時間が流れていく。
Subject: さちさんの日記
To: 成田
6月1日
入院中のくせに、
ふとした時間が幸せすぎて涙が出ました。
おめでたいヤツです。
2人ミクシィw
2人ミクシィって言ってるんだから
コメントを付けなくちゃいけないのに
ノリの悪い成田さんはそれには触れず
金魚の写真を送信し続ける。
From: 成田
Subject: 金魚たくさん
2000匹です\(^▽^\)♪
水槽ぎっしりの金魚
酸欠しそう・・・
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
午後、友達の久子がお見舞いに来てくれた。
久子はずいぶん前に働いていた会社の同僚。
年が7つ位違うんだけど、妙に気が合い、
会社を辞めた後も付き合いが続いている。
4年前の厄年に、神谷君とごちゃごちゃやってた頃、
あの時いつも一緒にいたのは久子だった。
どうしてだか、私たちの中でやたらと合コンが流行っていて、
神谷君に知り合ったのも、そんな流れで開催された合コンのひとつ。
久子も去年の暮れに結婚して、
今はあの頃の華やかだけど崩れたような雰囲気は無く
すっかり落ち着いた奥さん兼キャリアウーマンという風貌になっていた。
私は久子が来てくれたことが嬉しくて、
久しぶりにパジャマから普通の服に着替え、
病院の近くにある喫茶店へ出かけていくことにした。
例の白いバンドは退院まで取れないから
上にヘアバンドを何重にも被せて隠す。
喫茶店、コーヒーの匂い、煙草。
ほんの数日離れていただけなのに、懐かしくさえある。
手術の様子と結果なんかをざっと話して、
そういえば私たちはしばらく会っていなかったなと気が付き
もっとさかのぼった近況を話し合う。
「あの人、まだ連絡とってるんですか?」
久子が遠慮がちに聞いてくる。
あの人っていうのは神谷君。
久子は、私達が付き合っていた当時から
神谷君に良い感情を持っていない。
あの頃の、あの、神谷君の傍若無人ぶり、
ハタから見ていたら私だって嫌いだ。
「うん。電話とか、してくる。でも別に大丈夫。
もうどうこうならないし、ただの友達だね。」
「だったらいいんですけど・・・
あの、例の気になる人がいるって話は?」
これもまた遠慮がち。
まだ、成田さんと会ったばっかりの、これって恋じゃん?とか
浮かれていた頃
そんな話をしたことを思い出す。
「あー、あれは、別にどうこうなってないよ。」
私は笑って答える。
本当にそう。
大人の基準で考えれば、どうこうなるイコール肉体関係というのが自然。
そういう意味ではどうこうなんて全くなっていない。
これだけ好きで、悩んで、たくさんの言葉を交わしても、
何もないのと同じ。
「さち姉さんのことだから、好きになっちゃったら
それっきりなんにも関係なくなっちゃうんだろうけど
私、最近よくさち姉さんが神谷さんと別れた時のこと
思い出すんです。」
うんうん、と私は頷く。
この子は本当に優しくて、
年下なのにいつも私のことを心配してくれている。
「もうあんなさち姉さん見たくないんですよね・・・」
言ってしまったことを後悔するように久子は目を伏せた。
久子にそんな顔をされたら、
今私が病院で毎日何をしているか、話せなくなった。
4年前は私がしていた不倫を咎めることまではなかったけれど
今は私も久子も結婚をして、状況も考え方も全く変わった。
もう冗談半分で話せるような話題ではない。
昔の同僚の話や、久子の旦那の話、
行きつけのレストランの話なんかをしていたら
時間はあっという間にたった。
「元気になったら、あの激辛カレーのお店に行きましょうね」
と久子は帰って行った。
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
「金魚見せてね」
私がそう言ったから
夜になるまであの人は、ひたすら金魚の写真を送ってきた。
「オランダシシガシラといいます。頭にコブが発達しています」
「水泡眼。バブルは発達した角膜。中はリンパ液です」
「コメットさん。英語の彗星。彗星みたいに長い尾なのだ」
「丹頂。レッドキャップ。こんなのもいるよ」
「チョウビ。漢字は蝶尾」
「ピンポン。まあるい」
「水泡眼を上から見る」
「和金。王道」
データフォルダにたまっていく金魚の写真。
金魚写真集が作れちゃうね。
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