次の日、酔いが醒めてもキシダさんは、
「大好きだよ」
って言ってくれた。
私の4月が始まる。
始まった時にはいつも終わりを考える。
それはいつもそう。今もそう。
いつまで続くのか、どうやって終わるのか、
私に何を残すのか、私の何を奪うのか。
キシダさんは今まで以上にたくさんメールをくれて、
時間があれば私を色んなところへ誘ってくれた。
もう終わりかけではあったけれど、桜も随分見に行った。
勝どき橋にも一緒に行った。
「ほら、見て。もうすぐ灯りが消えるよ」
キシダさんは時計を見ながら橋を指差した。
22時を数秒回った頃、突然橋の灯りは消えた。
なんの余韻も残さず一気に消えた。
私は何も言わずキシダさんの手を取った。
もう違う。
あの刹那はとっくに終わり、今ここにあるのは別の刹那。
墨田川沿いの公園で、散りかけてる桜の花をとってくれた。
誰も見ていないか確認しつつ。
「押してあげるよ」
一旦私の手の平に載せてくれながら、キシダさんは言った。
「押花?やったことあるんですか?」
私がびっくりして聞くと、
「いや。見よう見まね。できるでしょ?多分。」
別の日は、浜離宮へしだれ桜を見に行った。
毎日毎日、目が眩むくらいに幸せだった。
でも、いつも誘ってくれるのに、キシダさんは手をつなぐだけ、
2人きりでいたって、暗いところにいたって、キスなんて絶対してくれない。
何回目かのデートで、焦れた私がせがんだらやっとしてくれた。
キシダさんは、私のことを、壊れ物のように丁寧に扱ってくれる。
それはすごく幸せだ。
今日で終わりかもしれない。
明日が来る保証はない。
確かな物は昨日の甘い回想だけ。
そんな儚い想い、また私は繰り返す。
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
キシダさんは毎日どんなに楽しくても、どんなに別れ難くても、
何も聞かず私を終電では帰した。
「まだ帰りたくないな」
一応そう言ってみる私の言葉は全く意に介さず、
「はい、はい。また今度ね。」
と子供をあしらうように電車に乗せた。
家が近づくたびに私は憂鬱になる。
家に帰りたくない。
タカキに会いたくない。
今まで散々馬鹿げたことを続け、
それでもどうにか諦め、変わろうと(自分なりには)葛藤し続けた日々、
その甲斐も空しく、私はまた同じところに戻ってくる。
タカキに会いたくない。
その感情の正体は罪悪感?
そんな愁傷な物ではない。
多分羞恥心。
何も学習せず、いつまでも恋だけを追いかけるくだらない私。
タカキは笑うだろう。呆れて笑うだろう。
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
また、過去へ。
青春は終わってしまったけれど、
タカキはいつも私を愛してくれた。
バンドはそこそこうまくはいっていた。
固定のファンもいくらかは付き、
手売りのチケットは毎回捌き切れる程度には。
それでも、それ以上の段階へ進めるのはとても無理だと、
タカキも私も、口にしなくてもはっきりわかっていた。
だから、タカキはバンドを替え、メンバーを替え、
色々試行錯誤をし続けたけれど、結局たどり着くのはいつも同じ位置。
タカキは私を大好きで、
私もタカキが大好きだった。
でも、それ以上どこへも進めない。
タカキの夢、私の夢、
あの頃私達の頭の中には
確かにそんな名前の物があった。
なのに、一心不乱にその夢だけを追えないもどかしさ、
そして自分の弱さ。
「夢がある」
その言葉に甘え、縋り、安心していた。
前世紀末、あちこちに存在していた
夢追い人という名前のフリーター達。
妄想に耽って生きていくだけの余裕が、
あの時代にはまだ確かにあった。
バンドをやめてほしい、就職をして欲しい。
そう思ったことも何度もあった。
半面、夢のなくなったつまらない大人、
そんなものに自分達が完全に成ってしまうのは恐れた。
「家庭を作る」という選択は
あの頃の私達にとって「諦め」と同義語だった。
だから、行き場はどこにもない。
行き場のない強い感情を持て余しては、
暴走気味に思いつきの行動を繰り返し
それをお互い責めて、怒鳴りあい、挑発、暴力。
最後はタカキが泣きながら謝る。その繰り返し。
諦めだと哂う半面、私にもタカキにも家庭への憧れは人並みにあった。
だから子供ができたら、世間一般的な若い夫婦と同じように
「諦め」ではなく「成長」とすり替え、
新しい人生へそれなりに意気揚々と向かって行ったのかも。
でも、出会ってすぐに子供を亡くすという痛みを味わってしまった私達は
“できたらできたで”というような
安易な避妊を許すことはもうできなかった。
諦めがつかない。
家庭を作ることは諦め。
本当にそうなの?
何故いつも、20年近くも、私はこの1つが諦められない?
そして、生きていくだけで精一杯の毎日だった。
学校を卒業した私は、相変わらず割のいいアルバイトを転々とする。
何かしなくちゃといつも心の隅に焦りはあっても、
目先の華やかな生活に目は囚われていく。
タカキじゃない人と一緒に生きていくこと。
それはもちろんいつも考えていた。
暴力や争いのない安定した幸せ、
そんなものはどこにでも転がっていそうに思った。
友達がみんな羨ましく思えた。
同じコンパニオン事務所にいたクミちゃん、
華やかに着飾って、スーツ姿の彼氏と出かけていく。
「来年結婚するの」って、見せてくれたエンゲージリング。
「お金はありそうだけど、つまんなそうだよね」
陰で別の友達にそんなことを言っては笑った。
「できちゃったから結婚するの」
遊び仲間のミホは、そこそこ売れっ子のグラビアモデルだったのに
彼氏と結婚するために茨城へ引越して行ってしまった。
遊びに行った家は小さなアパートで、
生まれたばかりの子供を抱くミホは
昔の面影もなくすっかりお母さんの顔になっていた。
「あーあ、あんななっちゃ女もお終いだよね」
帰りの電車の中、1人そんなことを思いつつ、
原因不明の苛立ちに悩まされた。
あんなの幸せじゃないと、人にも自分にも訴えつつ、
幸せの意味なんて私にはよくわからなかった。
わからなくて、だから懸命に探した。
偉そうなこと言ったって、要は乗り換える先の男を探したってこと。
タカキの目を盗んでは、
バイト先やナンパや友達の紹介で知り合った男の子、
脈がありそうなら誰にでも甘い言葉を吐いた。
悪くないな、と思う相手も結構いた。
相手も私がいいと言ってくれて、
あぁ、こうやって軌道修正すれば、私の人生万々歳?
なんてことを思いもした。
でも実際にはできない。
なんでかって?
タカキのドラムの音は本当にカッコよかったんだ。
それだけ。
タカキの叩くドラムの音、
あれと同じくらいの幸福感を私に与えてくれる男の人はいなかった。
あんなカッコいいドラムを叩くタカキなら、
プロになれないわけはない。
もうすぐきっとプロになって、人並みの生活ができるようになるかも。
そうすれば一番いい。それが一番カッコいい。
いつも最後はそう言い包められる。私が私を言い包める。
タカキは私にとって、いつまでも当たりがこないスロットマシーン。
「もうだめだな。この台だめだな。別の台にしようかな。」
そう思い、離れようとしても、
「もしかして、次に大当たりがくるのかもしれない」
「次にここに座った人にいきなり当たりがきたらどうしよう?」
そんな妄想に囚われて離れられない。
だから私は意外と幸せだった。
恋を探して、欠片を見つけて、失望して、
それを繰り返しながら、タカキの成功の日を夢見る。
私の安易な浮気はすぐにタカキにばれる。
相変わらず毎日は暴力と言い争いに彩られ。
タカキに殴られ、顔が腫れ、目もろくに開かなくても
私は毎日バイトに行く。
一生懸命生きていれば何かがあるかもしれない。
そんな正体のわからない信念を胸に抱いて。
24歳になったある日、縁のある人の誘いで
私は突然会社勤めを始めた。
印刷会社のDTPオペレータ。
あの頃、印刷業界にPC化の大改革が起きていた。
当然熟練のオペレータなんてまだいるわけもなく、
卒業した高校が工業技術科で、
PCの基礎知識があるってだけで私にオファーが来た。
当然、あの頃の私がマックなんて触ったこともなかったけれど、
とにかく就職したい、手に職をつけたいと思っていたのだから
一も二も無く飛びついた。
仕事は楽しかった。
誰も教えてくれる人はおらず、
ただひたすら書籍だけを見て試行錯誤する日々。
技術はどんどん身に付く。
あの初めての就職を境に私は変わった。
仕事をしながら生きていく自分。
そういうビジョンを抱けるくらいのところまでは一気に進む気がした。
生きていくのもやっとに思えた私とタカキ。
あの頃からすれば、目を見張るくらいの成長。
どうにか人並み程度のお給料と地位を得ている。
そんな私のことをタカキはいつも応援してくれた。
「お前が稼げば俺は一生バンドしてられる」
冗談か冗談じゃないのか、よくわからない口調で言っていた。
確かに悪くない、とも思った。
それはそれで私達にはありなんじゃないかと思った。
タカキは好きなドラムを叩き続ければいい。
タカキのドラム。
湿度をまるで感じない、乾ききった音がする。
今でも簡単に思い出せる。
私の大好きな音。
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