
しかし、遠い未来はそうとも限らない。
死者の復活はあるのかもしれない。
はるか彼方の時代、未来人は進化の極限である、いわゆる技術的オメガ点に達するであろう。
神の概念とは、時間・空間・生命、その全てを自由に扱える、という定義でもあるが。
現代人からしたら、超高度なその全てを持った未来人は神そのものなのかもしれない。


カーゴカルト
空を飛ぶ西洋人を神そのものとして崇めた。
文明の相対的な差が神の概念を形創ることもある。
そして未来人は思うだろう。
過去の人間はどのように生活をしていたのだろうか?
まるで、今日の人類が原始人の生活様態に興味を抱くように。
そして、過去に存在していた全ての人間を蘇らせるだろう。
壮大なシュミレーションのために。









脳のデータメモリが全てコンピュータ上に保存されていることが大前提ではあるが。
ではそこで復活した“私たち”の意識は継続されるのか?
意識とはなんだろう?
自分と同じ全知識・情報・経験を持っていたとしても、それは“私たち”と同じ意識を持っている、いわば継続性はあるのか?
本人の同一性、それは“意識”であるが、
意識とは何か、その定義を説明できる時代にはまだ到達していないのかもしれない。

原子核の発見者にしてノーベル賞受賞者であるアーネスト・ラザフォードはかつて言った。
「原子の核種変換をエネルギー源とするのは不可能である」と
そう断言した翌日レオ・シラードは「中性子による連鎖核反応」を起案した。
原子力発電を始め、現在の全ての核技術産業の起点となった。

時代はいつ劇的に進むのか、わからない。
意識が解明される、その日はいつ目の前に姿を表すのか、それは未来人のみが知ることなのかもしれない。
