断薬出来た理由 | 精神科 現代の魔女狩り

断薬に失敗する人間は多い。
私自身は断薬に成功した。医者に頼らず自分一人の力で。

では、失敗した他者との違いは何か。
それは、当時の自分は何も信じていない人間だったからである。





ニーチュは何も信じず、マルクスは全てを疑った。





神、悪魔、縁起、たたり、常識、道徳、倫理、などあらゆるものを相対化して無価値にした。



例えば、「あなたは社会人として失格だ」
こう言われたら、あなたはどう思うだろうか?



そんなことを言われても、全くダメージを受けない人間もいる。



“社会人” という言葉だが、
英訳など、諸外国の言語に訳そうとしても対応する言葉がないので不可能である。



つまり、“社会人として” という概念は日本国でしか通用しないのである。





社会人の概念はある意味、首狩族の風習と同様である。その地域コミュニティー内でしか認められない。



そもそも社会という言葉の概念は、二人以上の人がいれば、それだけで一つの社会である。
三才児であろうとフリーターであろうとも。



それがサラリーマンになった瞬間、社会人に変身する。そのようなものは日本人だけの奇習である。




日本人でも、農業者や漁業者に対しては、なぜか社会人とは言わない。



はじめから信じてもいない概念のことを理由に叱責されても、ダメージなど全く受けることはない。



たたりの概念を信じていない人間がバチを全く恐れないように。




生物学者リチャード・ドーキンス「神は妄想である」はベストセラーになった。



ここでもうお分かりだろうが、妄想とは信心から生まれる産物そのものなので、何も信じていない人間からはもはや妄想など生まれようがないし、相対化によって、そもそも、異常や正常の普遍的な定義などこの世には存在しない、ということに気付く。



なので、世界を客観視することが可能になり、ゆえに冷静な心境のなか断薬を行うことが可能になり、そして精神科から脱出することが可能になった。



ただ、何も信じていない人間が増えすぎても、それはそれであまりにもつまらない世の中なのかもしれない。







世界は多様性があるからこそおもしろい。


何か別の解決策があってもよいのではないだろうか。