成功する野球留学・スポーツ留学:行列の出来る教授の相談所&ときどきスポーツ名言 -5ページ目

あらゆる仕事に通じる仕事術 ~「ない仕事」の作り方

みうらじゅんさんの

「ない仕事」の作り方を読みました。

 

 

とても面白く、仕事の進め方、ビジネスの進め方にもヒントが満載でした。


いくつかのキーワードがありました。


「好きだということの強み」

「好きだから買うのではなく、勝って圧倒的な量が集まってから好きになる」

「無駄な努力」


ただ好きだけではだめで、無駄に思われるぐらい圧倒的に量をこなしていくことで自分を洗脳し、人に興味を持ってもらうぐらい強く思い込む戦略が説明されていました。


これは、ない仕事を作るときだけでなく、一般的な仕事にも同じことが言えると強く感じました。


仕事が面白くない、と思う時は、その多くが、単に仕事をただこなしてるだけ、深く掘り下げてなかった仕事をしてない場合のように思われます。

少なくとも自分のキャリアを振り返ったときはそうでした。


圧倒的な量で、仕事をこなし、深堀りし、自分とこの商品が好きで好きでたまらないセールスマン(企画マン)と、単にこなしているだけのセールスマン(企画マン)では、どちらから買いたいかは明らかです。


それでは商品は売れないし、結果を残すことはできません。


そして、

 

「高い敷居」や「暗黙の了解」といったものを取り除きたい

 

 という考え方。


 普通の人は、そういったものに踏み込みたくない、としますから、

 おのずと、人と違った仕事、ない仕事につながっていきます。

 

さらに


 「他人と同じことをしていては駄目だ」
 
 「なぜかというとつまらないから。」

 

 

激しく同感します。


そして、忘れてならないのが、これらの「ない仕事」を仕事にしてしまう営業力。実行力。

 

「一人電通」と称し、その中の一つの仕事として、編集者を自ら接待し、企画を通してしまう「接待力」の重要性に触れていました。

面白おかしく、さらっと語っていましたが、これがなかなかできない。


営業力。

企画を実現させる実行力


これも、あらゆる仕事につながりますね。


大変勉強になりました。

今度、授業でも取り上げたいと思います。

 

「ない仕事」の作り方

アスリートブランド野球留学生夢造君がアメリカ独立リーグ球団入団!即開幕ローテ入り! [野球留学]

アスリートブランドから今年もプロ選手!

夢造こと傳崎夢造選手から

「アメリカの独立リーグ、コロラドにある球団、Trinidad Triggersの開幕メンバーに入りました!」

と連絡ありました!


Trinidad Triggers

アメリカ大学出身だからか、出身国がアメリカになってます w

英語も振る舞いもすっかりアメリカ人と周りから思われている証拠ですね w


とはいえ夢造君は高校までは日本でがっつり野球をやってた元高校球児。

神奈川の公立高校3年時からアメリカの2年大に進み、そのあと、アーカンソー州の4年大、サザンアーカンソー大に進み、サザンアーカンソー大では、公式戦リーグの優勝投手にもなりました。


そして、いま、

アメリカの独立リーガーとして開幕戦を迎えています。



夢造という、名前通り、夢を実現していってますね!


こっからが勝負です


夢造、頑張れ!


夢造君もここから始まった。

 ↓
米大学野球部セレクション


9月枠残りわずかです。



祝八村選手NCAA登録!進路会見からわかるアメリカスポーツ留学の複雑さとポイント


日本代表候補選手、日本バスケットボール界の次期スター、八村塁選手がゴンザガ大学入学、この秋からNCAAディビジョン1でのプレイが決まったとのニュースがいろいろなメディアで記事になっていた。

バスケットボール協会会見記事

『八村塁、夢のNBAへ まず名門米ゴンザガ大へ進学』日刊スポーツ 5/12



記事を読んで


「あれ、高校卒業後 アメリカの大学でプレイするのはとっくに決まっていたのでは。」


と思った人もいるはず。


実は、NCAA ディビジョン1でプレイするのは、アメリカの大学に行けばいいという単純なことではない。
NCAA傘下のアメリカの大学に入り、選手としてプレイするために、プレイ面以外でいろいろとクリアにしなければいけないという点がある

具体的にはNCAAでプレイをしようという高校生は、事前にNCAAクリアリングハウスという部門に選手登録申請し、その審査に通らなければならない。
クリアリングハウスには、おもに高校の成績表、SAT(またはATC)という全国共通学力テストのようなテストの点を提出。NCAAが定める単位を履修しているかをチェックし、その上でGPAと呼ばれる、日本でいうところの評定値、をチェックする。GPA=評定の高さにより、求められるSATの点が変わる。
評定が高ければ、SATの基準点は低くていい。逆に評定値が低ければ、SATテストではより高い点を取らなければいけなくなる。目指すべき基準点は個別に変わってくる。GPAはコロコロ変わるものでないが、SATは何度でも受けられるので、GPAを基に算出されたSATの点を目指してテストを受け、到達した時点でクリアリングハウスに連絡し、登録が認められる。―大まかに言うとそんな流れになっている。

こちらの記事でもあるように、
八村塁が語る米国への思いと将来の目標  高校卒業、新たなる旅立ち

八村君もNCAA登録のために、SATの基準点の突破が残っていたようだ。

年末までウィンターカップがあったので、おそらくそのあとから、本格的なSAT対策の勉強の追い込みをされたのではないかと思われ、そうだとすると約4か月で猛勉強して、一気に目標を達成したことになる。

これはすごいことだ。

別の報道では1日8時間勉強する日もあったとのことで、ほんとに素晴らしい。



では、もし求められるSAT点が取れなかったらどうなるか。

方向転換して「日本の大学に行く」というのではなく、あくまでもNCAAディビジョン1校でのプレイを目指すのであれば選択肢は2つ。


1. アメリカの語学学校で英語を勉強しながらSAT目標点獲得を目指す。
 ただこの場合はバスケ部としてプレイすることはできない。いつ目標点獲得するかにもよるが、1シーズン見送る可能性が高まる

2. アメリカのバスケの強いプレップスクールのポストグラジュエイト学年(高卒者向けの学年)に入り、SATの勉強をしながら、バスケを続ける。



アメリカにはポストグラジュエイトと呼ばれる高卒者向けの1年限定のクラスのある全寮制のプレップスクールと呼ばれる中高一貫校がある。
特にアメリカ東海岸北部、コネチカット、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、メイン辺りのニューイングランド地域には、バスケットボールの強いプレップスクールが集まっている。

現在ジョージワシントン大で活躍中の渡邉雄太選手も尽誠学園卒業後にこのポストグラジュエイトプログラムのあるセントトーマスモアスクールで1年を過ごし、全米トップクラスのバスケ部の主力選手として頑張りながらSATの勉強を頑張り、同校在学中にNCAAの基準クリアにこぎつけた。

高校卒業を控え、GPAやSAT、あるいは両方が芳しくなく大学入りが微妙な選手は留学生だけではない。アメリカ人にもたくさんいる。


アメリカの強豪大学のスカウト、成績があまりよくないが、とても能力のある高校生プレイヤーをスカウトする際に、「勉強面もサポートしますよ」とプレップスクールをパッケージとしてオファーし、青田買い的にスカウトした選手をプレップスクールに送り込むことは少なくない。ニューイングランド地域のプレップスクールにはシラキュース大、コネチカット大、ルイビル大等NCAAバスケットボールの超名門校への入部が早くから決まっている選手たちが毎年集まってくるので、レベルは必年的に高くなる。
このように、プレップスクールのポストグラジュエイトプログラムには、バスケをやりながらNCAAに求められる学業面での基準を達成するために勉強に励む環境が整っている。

選手たちがこうしたプレップスクールに通うのは勉強面だけではない。バスケでも重要な理由がある。Exposure と呼ばれる点、つまり、大学スカウトにプレイを見られる機会の重要性だ。
ニューイングランド地域のプレップスクールにはシラキュース大、コネチカット大、ルイビル大等NCAAバスケットボールの超名門校への入部が早くから決まっている選手たちが毎年集まってくるので、レベルは必年的に高くなる。

プレップスクールでプレイする選手は全員進路が決まっているわけではない。レベルの高いところには、大学スカウトは必年的に集まってくる。また青田買いの選手を送っている場合は、その選手のチェックのために訪問することもあるだろう。
そんな時、自分が送り込んだ選手を負かす選手がいる。なんてことがあれば、新たなスカウト対象として浮上してくる。
まだ進路の決まってない選手にとっては、そうしたエリートの卵をやっつけるようなプレイを見せることで、大学からのオファーをゲットする絶好の機会となる。

大学運動部に限った話ではないが、スカウトされるにためには「見られる」ことがもっとも重要である

日本人高校生にとっては、アメリカの大学スカウトに見られる機会というのはほとんどないといっていい。
アメリカの大学はさすがに日本に来てまでスカウト活動はしない。

渡邉選手は海を渡り、セントトーマスモアスクールで見られ、大学スカウトから早い段階でオファーが殺到した。

八村選手はジョーダンクラッシックという高校のエリートクラスが選抜されて行われるいわばオールスターゲームのような試合のメンバーとして選ばれ、見られる機会を得たことでゴンザガのオファーにつながった。

見られる
学業基準のクリア

この二つはアメリカ人でも重要なぐらいなので、英語の部分もある日本人にとってはさらに重要だ。

八村選手は高校2年時という早い段階で大学スカウトに見られる機会を得たので、勉強面も何とか間に合って、高卒後翌年からプレイができることになったが、これは日本でプレイする高校生にとってはまれなこと。

通常は渡邉選手のパターンになることだろう。一方、バスケ以外ではポストグラジュエイト生がプレイできる環境を持つ学校がほとんどない。
とはいえ、語学学校で1シーズンプレイをしていない、という状況はやはり避けたい。すぐにプレイしたいと思うのがアスリートとして自然だろう。

見られるという点では2年大は良い機会となる。

野球では、はじめに2年大に留学し、そこで結果を出し、NCAAディビジョン1の4年大からの全額奨学金のオファーを受けて編入進学し、現在も活躍中の選手がいる。

雄佑君


大賜君


また、アメリカでは1シーズン活躍すると、翌年から全額奨学金ということはよくある。

つい先日も上記2人とは別に、NCAAデイビジョン2所属大学の選手から、3年生の今年のシーズン大活躍し、シーズン終了直後、来年の全額奨学金のオファーを受けたと報告をもらった。



一年中部活をやってきて量的に十分な練習をしてきた日本の高校生選手であれば、現地でプレイを見せ、結果を出すことで、アメリカ大学コーチ陣から評価を受け、奨学金オファー受けるチャンスは、どの競技も十分にある。


バスケ界では、渡邉選手、八村選手のようにトップクラスの選手がアメリカでプレイするようになってきた。
他の競技でも、トップクラスをはじめ、もっともっとアメリカに出てひと暴れする若者がふえていってほしい。



さて、バスケットボール協会会見記事 をもう一度見てみると



「今後の3ヶ月間の英語の勉強の状況で、9月に入学できるかどうかが決まるので、しっかり勉強していきたいです。」

という八村選手のコメントがある。

つまり、これを文字通り受け取ると、5月から入るESL(ゴンザガ大付属の語学学校)での成績によっては大学に入れない可能性がまだ残っているようだ。


英語でのSATのテストで目標点をクリアしたのだから、その事実をもって、英語力があるということで、OK出してもよさそうなものだが、それは大学の入試化の方針なのだろう。


ということは、もし英語の部分がクリアにならなかった時(=ESLのテストで大学側が求める英語力に及ばないとなった時)どうするのか?

ふたたび先述の選択肢となるだろう。

1. アメリカの語学学校で英語を勉強しながら英語の目標点獲得を目指す。
 ただこの場合はバスケ部としてプレイすることはできない。いつ目標点獲得するかにもよるが、1シーズン見送る可能性が高まる

2. アメリカのバスケの強いプレップスクールのポストグラジュエイト学年(高卒者向けの学年)に入り、英語の勉強をしながら、バスケを続ける。


1は、本格的なバスケができない。
そうなると、2のポストグラジュエイト生としてプレップスクールに送り込む可能性はもまだあるかもしれない。



本人としては、すぐにでもゴンザガでプレイしたいだろうが、それができないのであれば、語学学校で、自主練しているより、プレップスクールでレベルの高い選手たちとガンガンプレイしたほうが、より良い経験になるのではと思われる。


このように、八村選手の進路の例をひとつとっても、アメリカには、状況、状況により、いろんなケースがある。



スポーツ留学の専門家の我々としても、今後海外に出て挑戦する選手たちが増えていくとますます多様化してくる支援方法やスポーツ留学の仕組みそのものをあれこれ考え、より良いものを提案していかなければ。




アメリカ大学野球留学へ出発! [野球留学]


今日は今年からアメリカの大学に野球留学する3人、航世君、穣一君、功貴君のお見送りに成田空港行ってきました。

3名は、昨年秋、高校3年次に米大学野球部セレクション を受けたメンバー。


その当時の感想は↓こちた

航世君  

穣一君

功貴君  



セレクションで合格をもらってから、それぞれ、英語やトレーニングに励んできたようです。とくに、穣一君はウエイトトレーニングをしっかりやってきたそうで、体つきが以前よりがっちりなってました。


今年の秋は、日本から高校生を迎える番になります。

今から数か月後なので、結構すぐですが、その期間でも、アメリカになれて、また今とは違った姿が見られることでしょう。
その時を楽しみにしながら、お見送りしてきました。





なお、今年の米大学野球部セレクション の枠は、例年よりも早く埋まってきています。
第一弾の9月はもうあと一枠です。定員になってしまったら、他の回での参加となります。

アメリカ大学野球に興味のある高校球児。
お早めにご連絡ください!

米大学野球部セレクション






お父さんへの誕生日プレゼントにホームラン! [野球留学]


アメリカ人監督から毎週熱烈な勧誘のラブコールをもらう元都立校球児 [野球留学]
で紹介したアスリートブランド野球留学生の恭平君。


今シーズンから奨学金付きで、ウィスコンシン大パークサイド校に編入。


スタートから好調を続け、現在、スタメン3番で、.346 2本塁打 13打点 出塁率.392 特に打率はチームダントツトップの活躍でチームに貢献しているようです。


恭平君スタッツ




そして先日、

お父さんへの誕生日プレゼントとして

ホームランをかっ飛ばし、そのホームラン写真を送ってきたそうです!!!!



息子さんの誕生日プレゼントがホームラン!!!!!

だなんて、

いいですね~ うらやましいです~~






恭平君も高校3年時に参加。ここから始まった 
アメリカで野球を続けるための第一歩
 ↓

米大学野球部セレクション

9月枠が定員わずかです。
定員いっぱいになってしまった場合は
10月になります。





目指せバイカルチャー!

「バイカルチャーと日本人」
という 櫛田健児氏の本を読みました。


ものすごく面白かったです。



櫛田氏曰く
↓ ↓

『一般的に「ほぼ完璧なバイリンガル」とは、ただ、英語が語学的に優れてるだけではなく、「社会文化的な要素」にも対応しているということだった。
つまり、「完璧にバイリンガル」だということは「言葉でバイリンガル」なだけでなく「バイカルチャー」でもあるということだった。』

↑ ↑  『  』内、同書より引用  以下青字も引用部分
 

英語でのコミュニケーション力を高めていくために「バイカルチャー度」を高めていくことが大事で、ではバイカルチャーになるためにはどうしたらいいか、ということを、バイカルチャー度の高い人の例や英語勉強法などを交えながら論じられています。


バイカルチャー度が高い人の共通点として


『日本とどこか別の文化圏を両方から、すなわち内側からも外側からも体験していることである。名付けて「ダブル・インサイダー・アウトサイダーの体験」である』



『バイカルチャーな人は「言葉と文法」を超えた「社会文化的な要素」を取り込んだコミュニケーションができる』



会話のノリや会話、議論の運び方が分かっていて、ユーモアがある(分かる)等
『社会文化的な要素を取り込んだ文化的なコミュニケーションができる」


などが挙げられていました。




同書を読みながら、

「はて、自分のバイカルチャー度ははたしてどうだろう」と思いめぐらしてみました。


この本に出てくる多くは帰国子女だったり、インタースクールに通う人だったり、スタンフォード大学に通う人だったりするので、英語力は彼らに比べ物にならず、近年、英語力の衰えを感じてますが(悲)。。。


日本生まれ日本育ちで大学になってから留学、

留学生だけの語学学校にいただけなら、それをなんとか抜け出して、アメリカ人の友達作って、アメリカ人の中に入り込んだ留学時代。

そして
アメリカ赴任のチャンスをつかみ、アメリカ人上司、アメリカ市場向けの企画担当として、実績を作って、あるいはなんか目立つことやったり、親交を深めたり、とにかく覚えてもらうために、いろんなところに顔出して、自分のできることを探し回って、、、ととにかく必死だったアメリカ赴任時代。


ユーモアに関しては、留学当初から、
「アメリカ人を笑わせたい、」
と、アメリカジョークというかアメリカのユーモアを真剣に研究し、実践してきました(受けたかどうかは別としてw)


振り返ると、
僕が、アメリカでコミュニケーション取るために必死にやってきたことは、言葉と文法」を超えた「社会文化的な要素」を取り込んだコミュニケーション、バイカルチャーの基本だったんだなあ。


真の僕のバイカルチャー度合いは、著者の櫛田氏に任せるとして(櫛田氏と面識もお会いする予定も全くないのですが)
まあ そこそこのバイカルチャー度なんじゃないか、と甘々に自己評価しておきました。
(しかし、英語力はまだまだ切磋琢磨しないといけない、と自分に喝!)



この本には、櫛田氏が育った日本の老舗のインタースクールやインタースクールを使った英会話教室などについても書かれていました。

老舗のインタースクールはアメリカの学校の仕組み・環境がほぼそのまま再現されている。
ということや、
コミュニケーションをとるための真の意味での英語力向上の環境、英語教育などについてもいろいろ学びを得ました。

ただ、カリキュラムだけじゃダメなんだ、環境、仕組みというものがコミュニケーションとしての英語力向上に重要な意味をもつんだ。

などいろいろ考えさせられました。


そして、そして、


櫛田氏がこの本で実際に現地で会ったバイカルチャー度が高い日本人として挙げていた人の一人に、サッカーを通じてコミュニケーション力をアップさせた留学生の例が挙げられていました。


ポジショントークになってしまいますが、その部分を読んで、あらためて自分のスポーツ留学事業で訴えていたことの方向性の正しさを確認できました。


これでいくと、
今頑張っているスポーツ留学生は、

バイカルチャーへの道は近い、ということです!

自信もって、引き続き頑張ってください。




留学を目指す人、留学生にもおすすめな本です!



バイカルチャーと日本人―英語力プラスαを探る (中公新書ラクレ)/中央公論新社

¥799
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日本の大学スポーツが本気でNCAAモデルを目指すとすると・・

本日(4月30日)の産経新聞ネット記事。2度見してしまうほど驚きました!

日本版「NCAA」創設を検討 政府・与党 大学スポーツ統括機関

↓ 記事抜粋 ↓

米国で1千校以上が加盟し、年間約1千億円の収益を上げている「全米大学体育協会(NCAA)」をモデルに制度整備を進める。政府は名目国内総生産(GDP)600兆円達成に向け、5月末にもまとめる成長戦略に「スポーツの成長産業化」を盛り込む方針で、その一環として大学スポーツの振興を目指す。

 制度設計はスポーツ庁が中心となって進める。参考とするのは、米国の非営利団体「NCAA」。加盟校の試合開催などを手掛け、年間収入はプロスポーツ並みに達する。収入の約8割は、バスケットボールの全国トーナメントといった人気競技のテレビ放映権料などが占めている。

↑ ↑ 抜粋ここまで



総論的には、革命的なビジョンを示した素晴らしいワクワクなニュースです


一方、各論に目を向けるとちょっと考えただけでも山のようなたくさんの課題が見えてきます。


もちろんどこにゴールを置くのかによっても解決する課題の数は変わります。


NCAAと日本の大学スポーツの違いは仕組みとしても非常に大きいものがあります。

たとえばアメリカ大学スポーツにあって日本にないものは・・

ホームアンドアウェイ制 
多くのリーグ戦(野球40-50試合、バスケ20-30試合)
少人数制
文武両道推進型(成績が一定以下だと公式戦に出れない)
アスレティックデパートメントという専用部署が各大学にある
奨学金(特待生)人数・額の制限
公式戦の長さは原則、1学期の長さ
夏休みは指導者の下で部活をしてはいけない
練習時間が決められている
等々


純粋な競技面の違いに絞っても、まだまだ書ききれません。


とはいえ、日本政府の方針のそもそもの理由は、上記のような競技面というよりも、記事にもあるように「スポーツの成長産業化」です。
簡単に言うとNCAAのように大きな収益を日本の大学スポーツであげていくということです。


競技面でも全体的に参考になるところはたくさんあるものの、あえて、収益という点に絞ります。

ふたたび上記抜粋記事を見ますと、


”収入の約8割は、バスケットボールの全国トーナメントといった人気競技のテレビ放映権料などが占めている。”

とのこと

つまり、このモデルの肝は、シーズンごとの成績が放映権に左右される各大学や各地区の連盟等がばらばらの権利を売るのでなく、他のアメリカスポーツのリーグビジネスと同じように、全て一致団結して、新組織に権利を集中させ、パワーを持ち、放送してくださいという下の立場でなく、キラーコンテンツホルダーとしてTV局やスポンサーに対等の立場、いやそれ以上の立場で交渉をし、複数年の巨額の契約を勝ち取るというものです。


日本の大学バスケットボールは残念ながら、現時点では地上波TV放映ほとんどなく、このようなモデルの適用のだいぶ以前の段階です。
人気のある六大学野球でも定期的なTV放送はありません。かつて斎藤佑樹選手が早大1年生のころ斎藤選手フィーバーでひさびさに六大学で地上波放映が行われたことがむしろ話題になったほどです。


しかし日本の大学スポーツには、強力なキラーコンテンツがあります。


それは箱根駅伝です。



NCAA的なモデルに応用し、勝手に構想を膨らませてみますと。。。



全日本大学駅伝、出雲駅伝、箱根駅伝、女子駅伝、予選会とすべての権利を今回の権利母体となる日本版NCAA組織に集約し、
その大会をすべてパッケージし、さらに常に盛り上げるような情報番組を放送をすることを義務付け、それを局に、1社独占で10年長期契約という形で売っていく。


今あるキラーコンテンツを最大限に生かすには、こんな形がいいのではないでしょうか。



そして、かねてから言われていて、そして最近では青学の原監督も提唱しているように、箱根駅伝を関東学連の枠を超えた、全国大会にしていくことがさらにコンテンツとしての価値を押し上げることでしょう。



アメリカではスポーツ放送の価値がどんどん高まっていて、スポーツ団体側は強気に交渉していっています。アメリカの状況と比べると、日本のスポーツ界はテレビ局に遠慮しているところがまだまだあるように見受けられます。もっと自分たちのコンテンツに自信をもっていいと思います。


ましてや、キラーコンテンツを持っているのであれば、長期契約にし、ビッグイベント以外の周辺も放送してもらうことを義務付けるぐらいの強気な交渉があってもいいと思います。

シーズンごとの成績や一時のブームに流されない安定的な放送。
それがひいては安定的なスポーツの人気につながります。
いつも放送している、ということがより人気を高めます。
甲子園、大相撲、吉本新喜劇にもあてはまります。
人気があるから放送する、でなく、いつも放送してるから人気が出てくるのです。


とはいえ、
現在キラーコンテンツ、どころか現在放送すらされてないその他大勢の大学スポーツを、ゼロからキラーコンテンツ化していくのは、なかなか難しい。かなりの時間と労力がかかることでしょう。NCAAですら、ほぼバスケとフットボールに集中しているぐらいですから。


だからすでにあるキラーコンテンツをまず生かすべきです。


すでにあるキラーコンテンツという観点からは、日本でNCAAのモデルを参考にした日本版NCAAモデルを適用できそうなのは、実は、大学スポーツでなく、高校スポーツかもしれません。

日本の高校スポーツには

高校野球の甲子園
バスケットボールのウィンターカップ
高校サッカー
高校ラグビー
高校駅伝
春高バレー

すでに確立されたキラーコンテンツがたくさんあります。


日本版NCAAがこれらの権利をすべて束ねて、1競技1局なのか、はたまた、全競技で1局または2局で独占、ぐらいにして、長期契約で放映権収入を上げる。


高校スポーツのほうが、よりシンプルで非常に効果的なゴールが描きやすいことでしょう。



僕自身、大学の授業やいろいろなところで、日本でNCAAを説明するとき高校野球、高校スポーツに例えています。そのほうが類似性が多くわかりやすいからです。

アメリカのプロ球団がない都市は、地元の大学の選手がその地元のスターであったり、
あるいは、地元でも出身でもないのにある大学の熱狂的なファンで、グッズを身にまとい毎年その学校を応援しているマニアックなファンというのもたくさんいます。

日本でも高校野球なんかでは、似たような現象が見受けられます。



「スポーツで稼ぐという風土を作る」

という鈴木大地スポーツ庁長官の発言は非常に画期的で、個人的にも大いに賛同です。



スポーツで稼いでいいんだという原則で行くと、大学をやるなら、1-3歳しか年の変わらない高校生も扱ってもいいような気がします。

ましてや、もう、高校スポーツはすでにTVのキラーコンテンツとなっており、アマチュアスポーツという枠組みは、とっくに超えています。アマチュアスポーツ界の人気は大学よりもむしろ高校にあるという事実は無視できないはずです。

米NCAAのように放映権やスポンサーシップなど、権利を一本化して、より強い立場で交渉力を持ったり、統一化集中化により効率化し、収益を上げていくというモデルを今後推し進めるのであれば、大学スポーツにとどめるもはもったいない。そんな気がします。



もちろん、言うは易く行うは難し。

もう、それはそれは、さまざまな既得権益者との衝突。。。


そしてなんといっても、

やはり、純粋アマチュアリズム派との大きな論議、抵抗がでてきて、


いろいろと推し進めるには困難を極めることが予想されます。


言ってみたものの、冷静に考えると高校まで巻き込むと大変なことになることは必至。

だから、ひとまずは大学スポーツが最初なんだとは思います。

まあ、大学スポーツですら、実行にはいろいろな課題が山積みかと思います。



しかし改革に波はつきもの。

日本版NCAAが、単なる形だけの組織にとどまらず、

米NCAAのようなビジネスを生み出していくようなアグレッシブな組織を目指し

スポーツ成長産業化に本気に取り組んでいく流れになることを期待します。



仕事で鳥肌が立つことがあるか!?

先々週の出張からの時差ボケが

先週金曜ぐらいまで続いていたが、

土日の週末でようやくなくなった。

 

時差ボケの症状はいろいろあるが、

今回は先週金曜までは、夜中2時~4時ごろ

毎晩、バチッと目が覚めていた。

 

何とかすぐ眠りにつけたほうだが、

寝付けない日もあり、ひどいとそのまま朝まで。

 

今回は比較的、軽めだった。

 

そして、その時差ボケがなくなったところで、

明日からまたアメリカ出張が始まる。

 

 

「年に何回アメリカ出張してるのですか?」

とよく聞かれるが、

 

ここ数年は年4~6回といったところ。

 

そのうち2回は必ず選手を何人か引き連れて学校訪問をする。

 

単純な訪問でない。

 

トライアウト

またはセレクション

と呼ばれる、

 

アメリカの受入先に行って、部活動に加わり、学校のコーチ、監督に

プレイヤーとしてのパフォーマンスを見てもらい、

翌年からそのチームに入ってやっていけるか判断してもらうという趣旨の訪問である。

 

秋の受入先は アメリカの大学野球部 で

 

そして春は、プレップスクールと呼ばれる全寮制の高校のバスケ部で行われる。

 

このトライアウトの参加選手は、それはそれは緊張するだろうが、

引率して、トライアウトの現場に立ち会う僕も、実はかなり緊張している。

 

そして選手の親や指導者になったかのように

心配で、ドキドキしながら、フィールドやコートサイドで見守っている。

 

選手たちがアメリカ人プレイヤーにも気後れせずに良いプレイをしたりすると、

ホッとする

 

そして監督・コーチ(チームによっては分業制でコーチが決めるところもある)

 

監督・コーチたちの表情が

人によっては、ニヤッとしたり、

人によっては、目がぎろっとしたり

人によっては、ストレートに「彼はうちにほしい」

 

なんて言ってくると、

鳥肌ものに、嬉しくなる

 

 

南壮一郎さんの

絶対ブレない軸の作り方

 

という本がある。

 

夢へ向かって突き進む、突破力、行動力の大切さについて学ぶところ満載の本で、

常に学生におすすめし、

今日の徳山大学での授業でも紹介したところだ。

 

その本の中で

 

仕事のなかで「鳥肌が立って涙する」瞬間はあるか?

 

というフレーズがでてくる。

 

このトライアウト・セレクションの出張は、涙が出る場面はないが、

 

まさに鳥肌の立つ仕事である。

 

そのほかに、

トライアウトを経て、翌年以降に留学した選手の試合訪問。

これも、

不安と期待が入り混じり、活躍したら、それはそれは鳥肌が立つ

 

 

そんな出張が10年以上続き、今では毎年2回以上ある。

 

ありがたいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

IMGアカデミー日本人スタッフ来日説明会! [IMGアカデミー]

先週、
フロリダのIMGアカデミーから日本人スタッフの田丸氏が来日したタイミングで、
IMGアカデミー説明会を行いました。


会場がパンパンになるほどの方が集まり、盛況だったようです。



夏休みの募集は始まっています。
毎年、この時期から、どんどんお問い合わせやお申し込みが増えてきます。

申込枠は、数年前に比べて大幅増となりましたが、
飛行機代は、夏休みということも有り、出発日が近づくにつれ、安い席がどんどんなくなっていきます。

もし、行くことが決定となりましたら、お早目のお申込をお願いしております。


田丸氏はアメリカに戻ってしまいましたが、
IMGアカデミー出張経験もあり、現場を熟知している経験豊富な弊社スタッフによる個別の無料相談会は随時行っております。

電話相談、直接相談ともに可能です。


お申込の前に質問したい、という場合は遠慮なくお尋ねください!


IMGアカデミー日本正規代理店





国、人種、言葉を超えた友情というのはほんとうにあるものなんだ。(長文) 

親友であり、恩人ともいえるアメリカ人の友達と12年近く連絡が取れていなかった。
以前もらった電話番号はつながらず、メールも不達で返ってくる。フェイスブックもツイッターもやってない模様。もっとも元から、SNSとかやるようなタイプでもないが。。

その親友の名はウォーレン・ジャクソン。映画に出てくるようなアフリカンアメリカンで、陽気でよく笑う。すらっとして、筋肉隆々でカッコいい体系だ。


最後に会ったのが2004年、その数年前から住んでいたパサディナの住所に手紙を送っても、戻ってきてしまっていた。


とっても仲良かったので残念に思うとともに、結構破天荒なところもあり、運転は超荒い!ので、事故にでもあったり、もしかしたら、最悪、何か大事故にあって、この世にいないのでは、とさえも思っていた。

手紙が戻ってきたときは特に、そう不安に思った。

そうやってずっと心配で、機会あるごとにウォーレンのことは頭に浮かんでいだ。

特に今回、パサディナもそう遠くないロスに出張ということもあり、
「ウォーレン、SNSやり始めてないかなあ」と思って、FB検索などしてみた。

するとFBではないが、ひょんなところから実家らしき住所がゲットできた。
そしてググると昔、確かに、訪問した時の実家らしい!

しかも、偶然にもある予定がキャンセルのとなり、急きょ時間が空いた。

これは行くしかない。

と行ってみた。


ギャング映画でも出る
クレンショーブルーバードを通り、
ちょっとビビりながら実家に到着。


そして度合いに近づく間いろいろ考えが頭に浮かぶ



ウォーレンがいたら、感動の再会で、涙出るかな。


でも
もしかしたら

もうこの家はウォーレンには関係なく、


アメリカ映画に出てくる、怖い犬や
ライフルを持ったおっさんが

" Who the F*** are you?!!!!"

とかすごんで出てきたらどうしよう。


それでも、
がんばって、ウォーレン知ってるか、聞けるかな~


などとすごく短い時間にいろいろ考えながら、
いよいよドアベルに。


緊張しながら
ベルを押した。



ピンポーン~



反応なし。



もう一度押す



ピンポーン~





誰もいなかった。


怖い人が出てきても困るので、ドアをどんどんたたいたり、ベルを鳴らしまくるのはやめて、名刺に「電話して!」とメモを残してその場を去った。


すると。

しばらくしたら、携帯に電話が!!



Shingo!!
What's up, Homeboy!!!!!


この声は紛れもなく聞き覚えのある声!



ウォーレンだった!!!


話したいことがいっぱいあったが
ウォーレンが運転中ということもあり、幸いのち程会う時間もあるということで、手短に約束をした。


そしてついに12年ぶりの再会!!!!!

太ってることもなく、痩せこけてることもなく、昔よりちょっと老けたが(お互いさまだが 笑い)
昔と変わらないウォーレンだった。



僕らは、まあしゃべった しゃべった。

僕は、話したいことはいっぱいあったが、
ウォーレンもいっぱいあったそうだ。

ウォーレンは、小学校の先生をしているが、
僕の話も生徒にしていたらしい。


なにか
時が12年前はもとより、26年前に戻ったようだった。


初めてウォーレンに会ったのがその26年前の1990年。

アメリカに留学して、3日か4日目ぐらいだった。
場所は、留学生、アメリカ人、男女分け隔てなく一緒だった学生寮の食堂。(寮について、男女はさすがに部屋は別だが、なんとフロアは一緒だった。アメリカはなんて自由奔放なんだ、と衝撃的だった)


英語もままならない留学生が、アメリカ人と友達になるのは実はなかなか難しい。クラスも違うし、部活にも入れない。アメリカ人と一緒になる機会がないのだ。

寮が唯一の場所だが、異性に声かけるほうがある意味自然。男性が男性に「仲良くしよう」「友達になって。」と声かけるのは、なかなかの不自然で抵抗ある。もしかしたら女性同士はそんなことないのかもしれないが。。。


でも、アメリカ人と友達になったほうが、英語は絶対に上達するし、それに、そんな理由抜きに、せっかくアメリカに来たんだから、アメリカ人の友達がほしい。
そういう思いは強かった。



そんな時、ウォーレンが食堂で陸上のスパイクを机の上に置いてご飯を食べていたのを見かけ、高校まで陸上をやっていた僕は思わず話しかけた。

Are you athlete?   陸上競技のことをAthletics ともいう(アメリカではtrack & field のほうが一般的)のでこんな聞きかたしたが、ネイティブはこんないいかたしないだろう。

 athlete は athletics をやる人のことだけを言うと勘違いしていた当時の僕は、ネイティブでは決して使わないような、へんてこな英語でウォーレンに質問をした。


「あなた、アスリート?」

日本語でも、そんなべたな質問しない。「お前、それでもアスリート?」みたいな、
運動選手が、つまづいたりして、運動神経悪いんじゃない、と皮肉的にからかう時に使われるようなそんな質問だ。(良い子のみんなはマネをしないように。)


案の定




といった顔で、

こいつ何いってんの
といった感じだったが


W "yeah!"

と、ウォーレンからはとりあえず、俺はアスリートだと答えが返ってきた。
僕はそこから、その時の最大の英語力を振り絞って、


W "what event?" 


僕「種目は?」

と続けた。勘の良いウォーレンは、陸上のこと聞いてるんだと、すかさず

W "ワンハンドレッドミーターハードル =110H"

と答えた


僕「おー、ハードル!」

hurdle の実際の正しい発音は結構難しいのだが、べたべたな日本語発音も、勘のいいウォーレンには通じた。


W "Yes!! Hurdle! Are you competing Track,too? Which event?"

「そうだ!ハードルだ! お前も陸上やってんのか?」 


はっきり言って、なんといってるのかわからなかった、competing のところはあとで聞いたらそう言ったらしい。
その時は、which event というのだけかろうじてわかり、


僕「エイトハンドレットメーター!(=800ⅿ)」

W "What is best timing in 800m?"  

僕 "1'53" 1分53秒!

W "One fifty three?????  Damn~~! Really???"

  マジ はやい!



始まりはそんな感じだった。

お互い陸上以外のスポーツも大好きで、NBA,NFL,MLBと話は大いに盛り上がった。好きなアメリカンスポーツなら、英語が下手でも何とか会話になった。


そこからは、ウォーレンのアメリカ人のルームメイトジョンをはじめ、友達連中を紹介してもらい。アメリカ人グループの中に入れてもらうことに成功した。


ウォーレンは彼女が日本人だったことも有り、日本人のブロークン英語にも慣れていて、たどたどしい僕の英語にも辛抱して聞いてくれ、そしていろいろな言い回しやなど英語を教えてれた。その中にはここで紹介できないような英語ももちろん含まれた。

ウォーレンには彼女がいたが、まるで第二番手の彼女のように、ウォーレンとはよーく一緒にいた。
おかげで英語は上達した。(誤解のないようにいうと、お互い、恋愛対象は女性です。笑)


あるとき、学校の休みが1週間ほどあり、ちょうど大学の同期と先輩がUCサンタバーバラとサンタクララに留学をしていて、じゃあサンタバーバラに合流しようという話になった。

その時、ウォーレンもちょうど実家のロサンゼルスに車で戻るということを聞きつけ、一緒に乗っけてくれないかと頼んだ。

僕らのいたところはヘイワードというサンフランシスコ・オークランドから南へ30分から1時間ほどのところ。地図を見ると、ロスへの帰り道ではなく、サンタバーバラに寄ると、1.5~2時間は遠回りとなる。
でもそんなそぶりもみせず、ウォーレンは二つ返事でOKをくれた


もう忘れてしまったが
サンタバーバラまではたしか車で5時間ぐらいだったか、あるいはもうちょっとかかったか。帰りも迎えに来てくれたので、往復10時間のドライブだった。

二人とも道中、ずっと話していた。


家族のこと、異性のこと、そしてもちろんスポーツのこと。

話は尽きなかった。

帰りは、ウォーレンが眠そうだったので、寝ないように、いろいろ話しかけた。

道中全編、ウォーレンお気に入りのラップをバックミュージックに。おかげで当時はラップにはまった。


それまでもすでに仲良くなって、よく話す間柄だったが、往復10時間以上にわたる長時間、それも二人きりのトークは抜群の英語トレーニングになった。


実際、この小トリップが終わってから、自分の英語能力のレベルがワンランクも2ランクも上がったのが実感できた。

より聞き取れるようになり、そして言いたいことが、以前より、はるかに早く、スムーズに、すっと言えるようになった。

それを実感できたことがさらに自信につながった。


英語を学んでると、一定期間で、急にうまくなった感じがするようなブレイクの瞬間があり、膠着状態になり、またブレイクする。このような状態の繰り返しを経験する。

何かをマスターするのと同じだ。

膠着状態の期間が、一般的に3か月と言われているが、短いサイクルで、ぐんぐん上がっていく人もいれば、もうちょっと長い期間かかる人もいる。
またブレイクにもうひと押しだったり、ひと訓練が必要だったりする。


このサンタバーバラ往復はまさにそのひと押しだったようで、自信という点でも大きかった。


もう結構長々と書いたが、
ウォーレンとの思い出はほかにもたくさんあって、ほんとうに尽きない。

僕の帰国後、まだインターネットのない時代の90年代前半のも、つながりを絶やさずに関係が続いていた。


前職ミズノで、赴任した時期(1996~2001)は、毎年のように、サンクスギビングやクリスマスなどのホリデーシーズン、家族のいない僕は、ウォーレンの家族や友達たちと過ごした。

そして、独立してすぐの2004年のロス出張の際にも会って、独立したことを報告すると、すごく応援してくれた。



海外の赴任や、アメリカ市場の担当をさせてもらったのも留学時で培った英語力があったおかげ。(それほど大したレベルではないが。。)
その英語力は、もとをたどれば間違いなくこのウォーレンのおかげといえる。


このウォーレンという男に出会ったことで、

国境、言葉が異なっても、気心が通じ、お互いなんとなく、似ていたり、お互いの考えてることが分かったり、相性があったりする、
親友という友達ができる。

そんなことってほんとうに実際にあることなのだ。

国や人種を超えた友情というものはほんとうに成り立つものなのだ。


それを文字通り体感させてくれた。



これは自分のその後の日本とアメリカ、グローバルの考え方にも大いに影響している。
その意味も含め、ウォーレンに会ってなかったら、今の自分はなかったかもしれない。


そんな大切な友に
再び会えて、昔と変わらないくだらない話をして、何度も笑った。



ロサンゼルスでの最高のひと時だった。