AI時代が進んでいくとスポーツはどうなっていくのか | 成功する野球留学・スポーツ留学:行列の出来る教授の相談所&ときどきスポーツ名言

AI時代が進んでいくとスポーツはどうなっていくのか

 

話題の書、新井紀子氏のAI vs 教科書が読めない子どもたちを読了。

 

AIの能力の限界を示し、人間のすべての仕事を奪う能力はないとしながらも、一方で多くの人間の仕事はAIにとってかわられてしまう。特に本来AIが苦手で人間が有利なはずの読解力の著しい低下が最近の中高生の間で見られる傾向に大きな危惧を感じているという。

興味のある方はぜひ同書を読んでいただくことを大いにお奨めする。

 

同書に記載の(A Iにとってわられて)「10~20年後になくなる職業トップ25」「10~20年後まで残る職業トップ25」などを眺めていると、

 

ふと「スポーツはどうなんだろう」

という疑問が頭の中に浮かんだ。

 

問いかけをより具体的にしてみると

 

「ITの進歩そしてAIがスポーツに与える影響はどうなっていくのだろう」

ということ。             

                                                 

そう考え始めたら、搭乗直後に飲んだシャンペンによるほろ酔い状態も一気に吹き飛び、頭から離れられなくなり、パソコン使用可能状態になって、すぐに思う所を書き出した。

 

 

ITのスポーツへの導入はMITSSACというIT×スポーツのカンファレンスについて書いた先の投稿にもあるとおり、欧米では加速度的に進み、プロレベルではそれ無しでは欠かせない存在にまでなっている。

 

先述のAI vs 教科書が読めない子どもたち内、「10~20年後になくなる職業トップ25」の19位に”スポーツの審判員”がランクインしていた。すでにテニスでは、微妙な判定の際には、コンピューター判定が導入されている。そのうち、人間の審判がいなくなり、テニスの全ての判定をAIが行う時代が来るという噂話もあながち夢の世界ではなくなってきた。

 

では、テニスのボールボーイ(ガール)はボールボーイマシンに代わっていくのだろうか。

プレイが切れたタイミングで選手をよけながらボールを取りに行くことはなかなか難しそうに思える。あるいは、選手が欲しいタイミングでボールを投げることができるだろうか。複数のマシンが同時に選手めがけて投げたりはしないだろうか。あるいはプレイが続いているボールをマシンが取りに行ったりはしないだろうか。

いろんな余計な心配をしてしまうw

 

ボールボーイの仕事全てでなく、一部ということであれば、機械による自動化は可能かもと素人的に思ってしまうが、専門家の意見を聞いてみたいところだ。

ルンバみたいなマシンでボールを集めてくれる機械はすぐにできそうな気がする。練習でニーズもありそうだ(値段にもよるけど)

 

それ以外のスポーツでもスポーツの周辺部分にフォーカスするといろいろ想像が膨らむ。

バスケの汗を拭くモップマシン、野球のグランド整備マシン、場内アナウンサーなんかも機械化は可能のような気がする。

 

さて、では競技者としてのAIという点はどうだろうか。

ボストンダイナミックス社の何度倒されても起き上がる動画を見たことがある人もいるだろう。

ずいぶんロボット技術も進歩しているようだが、あれを見ている限りでは、人間と同じような体の使い方をしてスポーツをするというのはまだもうちょっと先の話のように思える。

 

では、人間と同じ動き方をしなくていい、と割り切るとどうか。

 

例えば、スターウォーズのR2D2タイプの選手ロボ(映画では「ドロイド」と呼ばれるが、ここではあえて「ロボ」とする)。R2D2の背の高いバージョン180㎝ぐらいを造り出し、そのR2にバットを搭載させ、バッターとして人間のピッチャーの球を打つ機能を備える。

 

あるいはR2がピッチングアームをつけたらどうか。そのアームから160㎞のストレートと140㎞のスライダーと120㎞のチェンジアップを同じ腕の振り、同じリリースポイントで、しかも針の糸を通す正確性で投げ込んできたら、まあ、打てないだろう。当然疲れ知らずなので、回を重ねても急速は衰えない。

 

それだとあまりに打てないということで、「ロボは最高速度140㎞まで」というスピード制限のルールが加わったりする。すると投手ロボは相手バッターが一番苦手とする回転数をビックデータから割り出し、絶妙な回転数で投げ込んでくる。

 

投手ロボ、打者ロボがあるなら、代走ロボはどうだろう。ランナーがでたら、これまたR2型の代走ロボが登場。代走ロボは180㎝でなくても、もっと小さいサイズでもいいだろうが、ベースタッチ用の足が必要かもしれない。まるでリードを取らなくともいい。なぜなら、全球団のピッチャーの癖が入ったデータベースから相手ピッチャーの癖を取り出し、一瞬のスキをついて走り出すことができるからだ。

あるいは、テスラ並の加速度を搭載すれば、そんなデータはなくとも楽々盗塁成功するだろう。

あまりにも成功するので、ついにキャッチャー専用ロボが造られる。

キャッチャーロボは取ってから投げるまでがむちゃくちゃ速い。わずか0.1秒で正確にセカンドに矢のような送球をする。

 

そこにテスラ並みのスピードで代走ロボが突っ込んでくると二塁塁上は危険な戦場になる。人間では二遊間は危なくて務まらない。もうこの時代の二遊間は、衝突に非常に強いむしろ柔らかい素材で代走ロボを造らなければいけないルールができたりする。

 

 

そうすると全ポジションがロボになってしまう。

だから、例えば、プロ野球やBリーグの外国人ルールみたいに、「ロボは1チーム2ロボまで」みたいなルールができ、人間対ロボの対戦となる。

 

そんな時代の試合中継、ジャイアンツのピッチャーR2 とタイガースのバッター1番ライト鈴木の対戦の実況はこんな感じになるのだろうか。

 

「鈴木打ったあ、高いバウンドでピッチャーの頭を超え、センターに抜けるあたり! 

セカンドのR2が最短距離で打球に追い付いた!そこから瞬時にテニスラケットのようなものが出て来てボールを打ち返すようにして一塁へ送球!」

「鈴木も俊足!さあ間に合うか?」

「クロスプレー」

「判定は?」

「セーーフ!」 

「一塁塁審ロボの胴体からセーフ用アームが両方に伸びてきて、電信音で高らかなセーフの音!ロボの胴体のスクリーンにもセーフの文字がくっきり浮かび上がってます!」

「おっと、タイガースのベンチから監督が飛び出してきて、すぐさまリプレイを要求!

さあ今から、一塁塁審ロボの胴体が至近距離で取った映像がスクリーンに映し出します。。見てみましょう。。。。

 

やはりセーフです。鈴木選手の足が先に入ってます!!!」

 

・・みたいなこと、技術的に難しいだろうか?夢の話だろうか?

こんな夢みたいなことを考えるのは案外楽しい。

 

でも、野球はそこまで進化していくのだろうか。

 

 

進化とまでいかない、ちょっと「変わる」ということにおいて、実は野球はバスケやバレーに比べるとかなり変更の少ないスポーツだ。それはメジャーリーグクラスでも。

 

道具一つとっても、メジャーリーグでは、相変わらず天然の木のバットを使う。金属やカーボンなど木以外の素材はもちろん板と板を合わせた合板や昔はやった圧縮バットのような木を加工したもの禁止である。守るときは天然素材の牛革製のグローブを使う。中には一部合皮素材のものもあるかもしれないが、全て合皮のグローブを使ってるメジャーリーガーはおそらくいないかと。手袋も羊やヤギの天然皮革が大半。(ただ合皮シューズ使用選手は大量にいる。)

大半は天然芝と土のでできたスタジアムで、これまた天然の牛皮製のボールを追っかける。

 

 

一方、戦略やスカウティング、ビジネスサイドにおいてはMLBは非常に積極的に新しいテクノロジーを導入している。今回のMITSSACでも、メジャーリーグは協賛コーナーで、VR上でバーチャルのピッチャーと対戦するというデモンストレーションを行っていた。

VRゴーグルをつけるとそこはもうスタジアム。

マウンドには相手投手。

バッターはゴーグルをつけ構え、マウンドからピッチャーが投げ込んでくる球が見えたタイミングで、センサーのついた短いバットをスイング。

 

そのスイング速度や角度やタイミングなどでその打席の結果(センター前ヒット、ショーツフライ等々)が表示される。

 

パワプロのeスポーツ大会はあるそうだが、これを9回、リアルの野球と同じルールでeメジャーリーグみたいな組織ができたり、大会が開催される日はそんなに遠くないだろう。

 

***

 

ではスポーツもAIに奪われてしまうのか。

 

仕事の多くがAIにとってかわるのは、人件費の安い場所に仕事が移っていくように、それが企業にとって、ビジネスにとって、より効率的だからだ。

 

それでいうとスポーツは効率性を求めるものではない。

 

僕は動物の専門家ではないが、動物は人間みたいにスポーツをやらないはずだ。

それは、ちょっとしたじゃれあいや追いかけっこみたいなことはするのはTVの動物番組でもよく見かける。

でも、スポーツに最も重要な要素の一つである、ルールを作って行うこと、そして継続的に競い合うこと、そんなことしているのはおそらく人間だけなはずだ。

 

 

人間にとってスポーツは生き残るためでもなく、子孫を反映させるためでもない。人間の生存活動にとっては非効率な活動なように思える。それでも人間はいまでもスポーツをやり続けてきている。そこには何か理由があるのだろうか。

 

なぜ人はスポーツをするのか。

 

走ることはもっとも原始的なスポーツのひとつだろう。

 

走るということについて考えるとなぜ人間はスポーツをするのかもちょっと見えてくるかもしれない。

 

***

 

 

出張中に行われた東京マラソン。毎年ものすごい数の人が応募し、出走権利獲得したかどうかで一喜一憂し、そして当日は応援者も含め、毎年恒例のお祭りのような一大イベントに成長した。

 

 

走るというスポーツはとにかく簡単。

 

最近でこそ、ランニングギアが高機能化してきたが、走るには特別な道具はいらない、。誰もが1着は持ってるだろうTシャツと短パン、短パンがなければジャージ。それにスポーツシューズを履いて外に出れば、いつでも、どこでもすぐにできる。一人でできる。

 

競技としてのルールも極めてシンプルだ。。

走る距離=ゴールを定め、誰が先にゴールにたどり着くか。

 

 

走るという競技は相手との戦いもあるが、自分との闘い

記録=過去の自分との闘いでもあり、苦しさとの闘いでもある。

 

試合で記録を出したいという思いももちろんあるだろうが、もっと楽に走りたい、爽快に走りたい、苦しい思いをしないで、あるいは苦しみに耐えながら、どこまで走れるか、逃げ出さないでやり切れるか、こうしたことに楽しみや喜びを見出せ、達成感を味わう競技でもある。

 

その喜びを得るためには普段からの地道な練習が欠かせない。

いまマラソン、ランニングを続けている人は、やりはじめたころ、練習をすればするほど伸びていく、この前まできつかったのが、同じ地点でも、同じペースでも苦しくない、そんな経験をしているだろう。

 

走るたびに記録が伸びる、前より楽に走れる。

それって本当に楽しい。この楽しさを経験したから今でも続けているのだと思う。その喜びを特に感じないようだともうとっくに走ることをやめていることだろう。

 

爽快に走る、記録が伸びることの喜び

 

一方で、練習をさぼったときのあのつらさ。

 

さぼるとすぐばれる。自分にばれる。

「お前練習さぼってるだろう」「だから練習しないとこうなるよ」というお説教が自分の体に苦しみや辛さという形で内から訴えてくる。

 

 

走ることは、ある意味、走りだめはできない。無理をしてやりすぎるとケガをしてしまい、そもそも走れなくなる。

地道にコツコツ継続してやるのが一番。それを体で感じる。(もちろん、より良いコンディショニング、トレーニングの方法はいろいろあるが)

 

他の競技ではどうか。

同じような場面がそれぞれある。

 

練習することで、今まで入らなかったシュートが入るようになる。

打てなかったボールが打てるようになる

取れなかったボールが取れるようになる。

できなかったプレイができるようになる。

 

 

などなど

そうなった時の喜びはひとしお。

そしてまた壁にぶつかり、そしてまた超えていく。

 

そんな喜びがあることだろう。

 

 

こうしたスポーツの喜びにAIが入ってくる余地があるとしたら、

もうすでに行われているケガの予防やコンディショニング管理。

ロボという形になると、さっき妄想したようなプレイヤーというのは行き過ぎかもしれないが、

練習相手として、例えば、仮想〇〇選手みたいに、ライバル選手そっくりのパフォーマンスをするロボや、ペースメーカーとして一緒に走ってくれるロボ、なんていうのはより現実性がありそうか。

 

AI化が進んでいけばいくほど、人間に残された人間らしい貴重な活動としてのスポーツ、このスポーツの価値はより高まっていくのではないか。

そう思うのはナイーブすぎか

 

MIT SSACでの興奮に新井氏の本が追い打ちをかけ、

AIが人間の生活の中にテクノロジー、AIが入り込んでいく流れの中で、スポーツはどうなっていくのだろう、と頭の中でぐるぐると考えが止まらなくなり、まるでリラックスできない帰りの機内であった。

 

<終>