小嶺監督が目指したサッカーは凄かった 

教育者であり、指導者であり、管理者であり、戦略家でもあったのだろう
そして何より熱血漢だ
管理者がメンバーに言葉を投げるのは比較的容易だ
管理者が自ら動き背中を見せて、メンバーに言葉を送ると魂も送られるだろう
組織マネージメントのセミナーで教訓とされることもあるはずだ
自ら購入したバスを運転し、日本列島を遠征するとは想像を絶する
高校世代のみならず日本のサッカーに
サッカーのみならず若い世代の多くのスポーツに、多大なる礎を築いてくれたと思う 

国見高校が有名だが、それ以前に島原商を率いていた印象も強い
1984年、島原商は帝京と優勝を分け合った
古沼監督の帝京と手に汗握る熱戦
国見の名が全国に知られる前の頃だ
帝京は高校サッカーをリードしていた
全国制覇の度にブラジル代表に似たユニフォームに星マークが増えた
その前年、長谷川健太の清水東も勝てなかった
実はこの時以来、帝京の単独での選手権制覇はない
国見の時代が始まった

国見のサッカーは凄かった 

一見、マイボールを大切にしないかの如く放り込んでいる様にも見えた
しかし、それはボールを前に進めるハイパーなパスに他ならなかった
繋ぐことに長けていても前に運べなければチャンスは生まれない
ターゲットがマークされていても
ルーズボールになりそうなパスでも
そこには必殺の(高校生相手では1対1で負けない)デュエルモンスターが居た
左サイドバックが右ウィングの位置に出没したりもした
あの伝説のジュニオールを彷彿とさせた
高校サッカーでは画期的な個性を重視したトータルフットボールでもあった
世界に通じるポストプレイヤーを
世界と戦えるポイントゲッターを
日本を代表するドリブラーを
日本に勇気を与えるパッサーを育成してくれた
そして何より1対1で負けない、接点で勝てる
デュエルモンスターを育成し続けてくれたと思う
高木や大久保や三浦や平山が有名だが、永井兄弟も凄かった

極めて重要なことを教えてくれている 

1m以内の局所を制することにより100m以上✕60m以上のフィールドを制する
(局所で勝負出来なければフィールドで勝負出来ない)

青森山田のサッカーにも
大津のサッカーにも
小嶺監督のサッカーのDNAが活きているように感じた


スキーヤーに転じても良いだろうか
ブーツの下で雪と仲良くすることにより広大な雪山に仲良くして頂く
(足元が疎かならお話にならない) 

それ以前に
情熱を持って自ら動くことだ