松坂大輔(注1)はナチュラルで笑顔がある
人に向けた笑顔ではなく、試合中のふとした場面での笑顔
ナチュラルな笑顔が出るメンタルの状態は凄く貴重だ

素人の一高校野球ファンが感じてたことだが
高校時代から投球モーションの中で若干首が動く
(全く動かない投手は居ないだろうが)
これを改善したら世界的投手に違いない、と勝手に思っていた
目の(ホーム方向の)位置変化が少ない方が制球が良いだろうと思っていたからだ
しかしながら、そのまま世界的投手になったのは凄い
いじらなかった横浜高校の渡辺監督と小倉コーチ、西武の東尾監督も流石だ
それは恐らく、野球の識者から見れば決して欠点ではなく個性の範囲だったに違いない

狭山スキー場近くから新人の松坂を見ることが出来たようだ
特筆すべきは
生で見ると首が動くことには全く気が付かない(というか気が付くことが出来なかった)
ということだ
TV映像でのみ首の動きが気になったのだ

いくつかの極めて有効な教訓を思い出した
①笑うことの重要性
②Liveでは感じる、映像では気が付く

【笑うことの重要性】
笑顔は苦手だが、笑顔で思い出した
笑うことにより、瞬時にメンタルとフィジカルをリラックス状態にワープさせることが出来る
ギャグをくり出す教師はスキルが高い
つまり
直近のツボにはまった笑えた事柄を覚えておいて緊張する時に引き出し一瞬思い出して楽しむのは有効だ
複数の胃がある牛くんのように、再度味わう作戦だ
内なる笑顔(と言うか爆笑)でリラックスする魂胆だ

【Liveで感じ映像で気が付く】
プロアスリートの動きを映像で見てイメージを持ってても、生で見ると実に多くの新たな発見があるものだ
映像と生では情報量の次元が違う
視聴者が置かれた状態も異なる
生では貴重なことを感じれる
だがしかーし、その記録映像でこそ気付けることがあるのも事実だ
何故か、理由はいくつか考えられる
・情報がデフォルメ(フィルタリング)されることにより見えてくる(判りやすくなる)
・その場に居ないデスク(ワーク)モードになれる
視聴者が分析出来る状態になれる 

アルペンスキーで
オリンピック選手が急斜面滑る映像見て
「ターン後半腰落ちぎみやねん」
と、烏滸がましく無言の突っ込み入れるが
実際に生で見たら、そんなことは一切判らず
「真似でけんわ」
と感嘆するのみなのだ 

バッティングセンターで
140km以上の球ならボックスの真後ろで見ると、その球が僅かにお辞儀していることには(一般ピーポの私は)全く気が付かない
(しかしながら、映像で見るとホップしておらず、完全に真っ直ぐでもないことは比較的容易に気付く)
ましてや、松坂が投げる直球をブルペン横で見た日にゃ
ホップしている様にしか感じれない
初速と終速の差が少ないどころか、加速度運動してるかの様に感じれる(注2)   

つまり、生で見る時は
・視覚情報をある程度フィルタリングして見ることもしばしば有効なのだ、と言ったら語弊あるが
ディテールを見すぎず見たい所を見る
と言ったら良いか
・デスク(ワーク)モード(注3)になって、感嘆をセーブし(なくても良いけど)分析眼を働かせることも重要なのだ
と言いたいとこだが、やはり生では感じることが大切なので
後程じっくりゆっくり確認することが、いと重要なのだ
生ではしっかりオーラを感じ、その後はオーラに負けず分析眼を働かせるのだ


スキーのコブのDVD
代表的3社(スキージャーナル、山と渓谷社、ノースランド出版)の代表作と勝手に思ってる作品
粟野元デモはこの作品の中で笑顔の重要性を説いている
粟野元デモはVHS時代のコブのビデオでも「力を抜くべし」と一言目に語っている
笑いは力を抜く特効薬でもある
黒菱は撮影したゲレンデが明確なため、生と映像のギャップを感じ易い
(スキーやスノボのDVDは撮影したゲレンデを明確に示してくれたら素晴らしいのに、と常々思っている
そこに行きたくなる現象にもなり宣伝効果もあると思う
スキー場名だけではゲレンデを特定出来ず、僅かにチラチラ見えるゲレンデ脇の木々などで推理してしまう、内容の理解より推理で疲れてしまうのだった)
どこで撮ったか、は重要だ
実はけっこうな難斜面を容易に滑ってる
ことを体で認識し進化ニューロンを強烈に刺激するのは重要なのだ


(注1)
遡りたくなるのだが
大輔で思い出す荒木大輔はクールだった
1年の甲子園では愛甲猛が主力の横浜に決勝で敗れた
水野雄仁が主力の池田戦は有名な話だが
愛甲と投げ合った印象も強い 
荒木を彷彿とさせると言われた斎藤佑樹もクールだった
松坂世代で思い出す
村田修一、杉内俊哉、和田毅、藤川球児
横浜高校で思い出す
愛甲猛、多村仁志
福岡出身の村田が横浜で活躍
横浜出身の多村が福岡で活躍
繋がりを感じる
思い出す群像はクールだが、笑顔の次に凄すぎるプレイを魅せてくれた
一環して向き合っていたと思えるのが
直球(ここでは直球と表現する)の質
投手は如何に直球の質を上げるか
打者は如何にして質の良い直球を打つか
思い出す群像の投手は直球に磨きをかけ続け
思い出す群像の打者は打ち返す工夫を続けた
生で見ないと絶対に感じれない事の典型的な例だ

(注2)
ヤンキースのエースのゲリット・コールは昨年まで松ヤニペタペタで凄い回転の直球を投げていた
それでもTVのスローで見たらば僅かにお辞儀してるのだった
恐らく生で見たら凄まじい球に違いない
大谷とホームランダービーで死闘を演じたファン・ソトは、コールの松ヤニ豪速球をいとも簡単に打ち返していた
生で見たらば「凄すぎる」としか感じないはずだ
分析眼が働く余裕はないだろう

(注3)
アルペンW杯で強豪チームはコース脇にノートパソコン持ち込み、リアルタイムで滑りを分析してるようだ
デスク(ワーク)モードを担当するスタッフも居るのだ
強豪は選手へのインプット情報の質も違う