正体見たり、さてその正体とは。
まさに本当の体なのだろう。
ならば仮の姿とは、なんだろう。
体は本物の人と書くのに、体が人の姿ではないという。
不老不死不滅の魂の乗り物が体なら、なぜ壊れやすいのだろう。
魂のほうが丈夫なのに、わざわざ壊れる乗り物をなぜ選ぶ。
人間が神の似姿ならば、魂も神に似ているはずなのに、そうではないとはおかしいではないか。
魂に形がないなら、神に特定の形などあるはずもなく、人間が神の似姿であるはずはない。
人間は、何のためにいるのだろう。
魂のために仮の姿として存在するなら、なぜ魂だけで存在しようとしないのか。
人間であるがゆえに愚かでばかげた行為や欲に駆られ、
愛や光に飢え悟りや意識拡大や神に憧れる。
人間という制限があるがゆえに罪を犯し、同じことを繰り返し、ただ高みに上ろうとするのだ。
それなのに人間は何がしかのために存在し続けている。
役割を終えるそのときまで、人間および類似のものはなくなりはしないのだろう。
そう考えるならば
人間の存在自体が小さなトリックであり
宇宙全体、すべてをひっくるめたトリック満載の大掛かりな舞台装置をしくんだ
まさに正体がひかえているのかもしれない